第31話
7
頭の中で流れたすべての映像は、そこで途切れた。親友から見た、自分の汚い
「……なんだ、これ」
身体はすっかり凍りついたように動かない。嫌悪感、もしくはそれ以上の〝黒いもの〟が這い上がって、やっと姿が現すというところだった。
──ああ、だめだ。
「これは、すべて真実だ」
クレイヴが言った。
「君の言う親友が、君に対してどういう感情を抱いていたのか。そして、君をどうしたいのか、これでよくわかっただろう?」
違う。そんな声が聞こえたと思い、十村を見た。そこには、すっかり色を失くした瞳が、こちらを見据えているだけ。首を縦にも横にも振らずに──。
違うよな? 十村。おまえなわけないじゃないか。だって、ずっと十村は俺を……。
「僕の口から言うと、面白くないんだよなあ」
クレイヴが、素の口調で言った。
「でも、誠一郎君が言ってくれるとは限らないし。どうしたもんかね。──とりあえず、十村君。いま瞳也君が見た記憶、真実か嘘か、どっちなのかを答えてくれるかな。彼は、君の口から聞かないと落ち着かないようだよ」
壁に貼りつけられた十村は死人のような顔になった。そっと唇を開こうとする。けれど、声までは出せないようだった。こらえきれず涙があふれ出して、嗚咽交じりに
「……ちが」
違う。そう言ってくれ。
じゃないと、俺は──おまえを、
「ちが、わない」
おまえを、憎んでしまう。
「ぜんぶ、真実だ……おれは、神山を……神山を……」
「…………」
「おれは……自分が厭になるほど……おまえに、クソ……っ」
「────」
十村はとぽつぽつとつぶやく。それこそ、今も降り続く雨のように。
頭を振って、濡れた前髪が揺れるとともに水気が飛んでいった。そして、叫んだ。同じ音を一定に保ち、耳をつんざくほどの悲痛の叫びを。胸の内から吐き出された息と、鋭い叫びが神山の希望を打ち砕いた。
十村が、視線を上げて神山と目を合わせようとした。だめだ。俺を見るな。自分が目をそらせばいいのに、おさえられない感情が、頭を固定している。
──違う。
これは自分がそうしたいと思っているからこその行動だ。これは紛れもない、自分の感情なのだから。
──俺は、おまえを憎んでいる。
たったその一瞬、渦巻く感情がまとまった。まとまったかたちは憎悪。一気にそれは膨れ上がっていく。ぶつけたい。やっと、この憎しみを向ける相手を見つけられたことと、それが目の前にいることの効果が重なった結果だ。
その一瞬のあいだで、目が合った。
十村はまた叫んで、涙を流して、狂ったように何度も何度も頭を振った。
気づいて、神山が手を伸ばそうとした瞬間には遅かった。
「十村っ!」
上手側から少年が出てくる。短パンの黒いパーカーを着ており、フードを被っている。
クレイヴのそばに寄って、彼から銃をもらった。リボルバーだ。それを手に取り、とくに気にするでもなく頷いた。
頭からフードをとる。見れば、十村によく似た少年の姿だった。
「彼は私が作った、十村君の処刑人だ」
まだ、坂下少年だったころの──。
むかしに犯した罪を、そのころの自分によって罰せられるという構図が、ここにあった。
動け。そう自分に命じる。だが、その少年がまず先にこちらを振り返った。向けられた銃口から火花が飛び散った。
太ももに激痛が走った。足から崩れて倒れ伏す。足を撃たれたのだと数秒遅れて気づく。
なんとか両手と片足を使って立ち上がろうとする。けれど、雨水によって手や足が滑って、撃たれた足の痛みから逃れることはできなくて。
無力でしかなかった。
「違う、違うんだ、十村っ! 俺は、お前に──!」
銃声は、声を掻き消すように、空に響いた。
一発──
二発──
三発──
四発──
──五発。
リボルバーのシリンダーに残っていた弾を、すべて放った。
すべての弾丸は、十村の額に集中していた。見れば、彼の額に五個の弾痕がある。そこから、だらりと赤黒い血が噴き出して、少年の顔に飛んで濡れた。
「……とむ、ら」
名を呼んでも、
「うそ、だろ?」
訊いても、
「起きてくれよ、なあっ!」
願っても──彼は、起きなかった。
濡れた瞳は下を向いて、涙は流れる血とともにコンクリートにこぼれゆく。
十村誠一郎は、死んだ。
今度こそ、ここで。
「さて、少年。君もここで消えたまえ」
クレイヴがナイフを取り出す。少年は素直に彼に向き合い、刃先を胸の左側──心臓部──に受けた。一瞬、そのときの少年の身体が強張って、塵となった。
十村は、無残な姿だった。涙を流し、血を垂らしたまま終わっているのだ。
「虚しいね、大丈夫? 生きていける?」
近寄ってきたクレイヴが、神山の前にしゃがみ込んだ。
「ひどい目だ。僕の姿すら映っていない。虚ろだね」
十村は、死んだ。
誰のせいだ? 俺のせいだ。俺が、あいつを拒絶しなければ。そうすれば、あいつは死なずに済んだ。生きようって手を伸ばせば、それでよかった。
「素直に喜べない性格だねえ、相変わらず。本当は復讐できて嬉しいんだろ」
「──ッ!」
「少なくとも、安心しているんだろう?」
「…………そんな、わけ」
この、静まった動悸のことを安堵だというのなら、たしかに安心していると言えた。
だが、それよりも。
親友を救えなかった、信じきれなかった己の弱さが、あまりに憎い。
「無理に悔やむことはない。だって彼はたしかに、君にひどいことをしていたんだからね。それはもう、ひどいこと、では済ませられないようなことをたくさん、ね」
たしかに憎かった。最初から厭な目つきで見られるより、信じていた人に裏切られるほうがよほど──。
「彼は一度、罪と向き合うべきだったんだよ。そして罰を受けるべきだった。私が罰を与えるのは筋違いだから、君たちふたりに委ねることにしたんだよ。君が罰を与えるか与えないか、それを選ぶ。で、私がその答えに沿った措置をさせてもらう。要は、処刑台の上での裁判ってわけ」
「……答えた憶えは、ねえぞ」
「うん? いや、目が言ってたもの。許さない、ってね。それともどうしても口頭で言いたかった? でもそしたら君、嘘を言うでしょう」
「…………なあ」
「はい」
「おまえ、結局はなにが目的なんだ?」
「目的。はて、そんなものは忘れたな」
「はは、簡単には言わねえってわけね」
もう、どうでもいい。
そのどうでもいいという気持ちを、具現化させた力が今ここにある。この瞳に──、
「でも、教えてほしいんだよな」
うつむいて、瞼を閉じて視界をゼロに。幕を上げて、モノクロの世界が展開される。再び瞼を開けて、そのモノクロの世界を直視する。自分を含めた世界のすべてが、虚無という色に塗りつぶされた。
もう、どうでもいい。
「おまえが、どうしてそこまで死人にこだわるのか」
どうでも、いいんだ。
「……まいったな」
クレイヴと目が合う。彼は後頭部を掻いて、困ったように笑った。もうわかっていたのだろう。
「もう自由に操作できる段階だったのか」
やはり勢いで乗り込むべきじゃないね、と自嘲するように笑ったあと、
「これだけは憶えていろ、神山瞳也。その〈瞳〉を持ち続けている限り、永遠に誰かを、なにかを失い続ける」
視界の端で、白い手が伸びた。それが一、二、三──数本伸びてきて、オスカー・フィン・クレイヴのシルエットに向かう。
「──死ぬほうが、楽だよ」
それが、彼の遺言となった。
白い手はクレイヴのシルエットをつかみとり、互いに奪い合いをするように左右から引っ張っていた。
「……君は、ここにいたのか」
クレイヴはつぶやく。
「まほろ……」
その苦痛に喘ぐ声が消えたとき、すでに彼のシルエットは崩壊して、真ん中に魂の〈カタチ〉だけが視えた。白い手はその〈カタチ〉を、神山の内側へ引きずり込んだ。
次の瞬間。
モノクロの世界から解放されたとき、周囲の様子がまるで見えなくなっていた。
ばたっ、となにかが倒れる音。〈中身〉を失って空っぽになった、クレイヴの身体だろう。
暗闇のなかで、神山はそっと息をつく。そして、すべてを放棄するように倒れた。
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