第26話
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居酒屋〈銀太郎〉に訪れた。意外にも店内はそこまで人は多くなかった。奥のボックス席について、お互いに生ビールを頼んだ。話はビールが届いてから始める。口には出さなかったが、十村もそのつもりだったらしく、最初は雑談だった。日常で起きた小さなできごとを話題に、談笑をする。
やがてすぐにきんきんに冷えたジョッキが届いて、さっそく乾杯をした。同じタイミングでビールを口に入れて、爽快感に浸った。
「やっぱりいいよな」
十村が言う。神山は頷いて「だな」と同意した。ジョッキを置いて、深呼吸をする。その様子を見た十村もまたジョッキから手を離してテーブルの上で両手を合わせた。
「なんで、いま話す気になったんだ」
神山は訊いた。十村は難しそうに眉間にしわを刻んで、
「なんでだろうな」
と言った。
「たぶん、罪滅ぼしみたいなものなんだと思う」
沈黙が落ちる。
ビールを一口飲んでから、神山は言った。
「……話してもらおうか」
そう言うと、十村は小さく頷いた。右手は開いたまま、左手は握りしめたままテーブルに置いていた。
「まず、そうだな……あの聖命学会について話すよ」
神山は頷く。
「あの聖命学会はクレイヴと、複数の人間が創設した。その中に僕の父親もいたんだ」
十村彰文。
言われて、すぐに名が浮かんだ。
「クレイヴは大学教授だった。あいつはその経緯で知り合った生徒や同僚を誘っていたんだ。僕の父親は、クレイヴの同僚で大学の准教授だった。しかも個人的に交流のあった仲らしかったからね」
クレイヴと十村彰文は友人だった、ということか。
「やつは、聖命学会を作り上げたあと、家族や大切な人を失った人たちの心につけ込んで、入会を試みた。最初こそはうまくいかなかったみたいだけど、そのうちに軌道に乗って……」
「おまえはそのとき、どうしていたんだ」
言われて、十村は苦笑していた。
「まあ、なんというか」
気まずそうに顔をそらして、彼は言葉を続けた。
「僕はもともと震災孤児ってやつでさ。しばらくのあいだ養護施設に預けられたあとに、父の養子になったんだ。その時点で父は聖命学会の創設者になっていた。
……そんな顔をするなよ」
「え?」
神山は目を見開いた。どんな顔をしていたのだろうか。
「まあいい」
十村はかぶりを振って、
「父は、暗殺者だった」
と唐突に言った。
神山の眉がさらに上がった。え、という声さえ出てこない。
「いわゆる裏切り者の始末だったり、規則を破った者への折檻だとか。そういう汚い仕事をしていたらしい。というよりは、汚いものの後片付け……かな」
「マジか」
本当だよ、と十村は微笑んだ。
「それ自体は父が死んだあとに知ったことなんだ。あの人の書斎でよく入り浸っていたんだけど、
神山はあることに思い至って、一瞬腰を浮かせた。
「もしかしておまえ、あの計画書っていうのは──」
「そう」
十村は強く頷いた。
「父の手記だ。そこには、『蘇生計画』について詳しく綴られていたよ。まほろ、という女性を蘇生させるために立てた計画らしくてね。まほろという存在については詳しく書かれていないけど、能力者の前にしか現れないとはあった。まほろについての情報が少ないのは、現れた直後、その能力者を殺害しているからなんだと。でもクレイヴのように、生き残りもいて、なおかつ深い関係にあった。
クレイヴの前から姿を消したまほろを追うため、死者の記憶を読み取りたかった。だから、九〇年から現在にかけて──この二十年間に死んだ能力者を調べて、目撃情報を集めようとしていた。それで、死者蘇生を試みた」
十村は言葉を切った。
「クレイヴ自身も死者蘇生について研究を重ねていたらしいからね。本当なら、社会全体にも通用するような方法をとりたかったらしいけど、彼がいま現在できるのは仮初の肉体と魂を用意しかけ合わせる。前者も後者も専門家が必要だ。それも、世界でもほんの一握りのね」
「その魂を用意するのは、十村の役目だったんだよな」
「そのとおりだ」
十村は肯定した。
「肉体を用意するのは錬金術師の役割だ。シド・クラウス、という名を聞いたことあるか」
「ああ」
アリスが言っていた名だ。
神出鬼没の錬金術師兼狩人。規則を嫌う性格だった、と聞いている。
「シド・クラウスは、狩人の仕事を通して知り合ったらしい。お互いに価値観や思想が合って、最初こそ友人として交流を積み重ねていったらしいが、クレイヴが隙を突いて彼を計画に引き込んだ」
「隙?」
「要は取引なんだと。シド・クラウスが欲しがっていたものと引き換えに、彼の力を借りる。そういう条件のもとで彼らは協力し合っていた」
神山は首をかしげながら、
「シド・クラウスが欲しがっていたものって?」
すると十村は唇を引き結んで、
「さあ」
と肩をすくめた。
「ともかく、そういう取引を行ったらしい。まずは肉体を作ることから始め、死霊使いを探すことに専念した。そしたら友人の養子に、霊魂を扱うことのできる能力者を見つけたってわけだ」
「……おまえは、どういう経緯で聖命学会に入ったんだ」
十村は少しのあいだ沈黙でいた。ジョッキに残ったビールを飲みほして、そっと息をつく。
「僕の父・彰文はクレイヴに殺されたんだ」
「え」
「家族ができたから、だそうだ。手記にはそう書いてあった。でも、いつになっても決断できないままでいたらしい。そんなときに、僕を養子に迎えて、これが転機だと直感した。詳しくは、そんな感じだったかな。
要するに知らず知らずのうちに、僕が父の夜逃げの後押しをしていたらしい」
自嘲するように鼻で笑って、十村は言った。
「僕を引き取ってから一年後、クレイヴのもとを去ることを決めたそうだが、そこで父が殺された」
神山は黙って聞いた。
「表向きは交通事故として片づけられているけど、僕と成美は見たんだ。サービスエリアで眠っていたところ、クレイヴが侵入してきて、あの人を殺す瞬間をな」
神山は下唇を噛みしめた。
「成美は自閉症に。僕はというと、そのときの記憶が曖昧だった。でもあの手記を見たことで徐々に記憶を取り戻していったんだ」
「……そういうことだったんだな」
十村は頷きもせず、ただ黙ってジョッキを見つめていた。神山も同じくジョッキを眺めていた。底に滑り落ちる泡を見ていたのだ。
「手記で記憶を取り戻した僕は、父の仕事を受け継ぐことにした」
「……受け継いだ?」
聞き違いかと思ったが、どうやらそうではないらしかった。
「今の聖命学会における僕の役目──それは、父と同じ暗殺者だ。幸い僕には死霊使いの才能があった。きっとクレイヴも買ってくれる。たった一年だったけど、十村家で手に入れた幸せは何物にも代えがたいものだったんだよ」
十村の瞳が揺らいでいた。涙がたまっているのだ。神山は目をそらして、彼の顔はしばらく見ないことにした。
「少し、長くなる」
彼は左手をぎゅっと握りしめたまま、語り始めた。
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