第24話
7
「で、どうなんだよ」
大柄の男が迫りかかってくる。十村はパイプ椅子に座ったまま、目を伏せていた。
現在、十村は取調室に閉じ込められている。このような状況に陥ってから一時間は経っている。
男の名は松島といった。最初に名乗った。そのときこそ温和に話してくれていたが、徐々に松島は顔を赤くさせて十村に迫った。
おそらく十村がなにも言わないので、彼は憤りをおぼえたのだ。
「さっきちょうど連絡があってな。たしかに研究室ん中に文書が見つかった。いま六課に回して調べてもらってる。あの神山とかいう野郎がおまえから聞き出したらしいが……なんで今は沈黙なんだよ、ええ?」
十村は顔を縦にも横にも振らない。口はつぐんだまま。ここで答えてはならない。
六課の人間は事件に関わった者の記憶ないし存在を消すことも仕事のうちだ。そのうえ
なのである程度は神山が十村を脅して聞き出した、ということにした。彼らにとって必要な情報だけを神山に伝え、間接的に提供しているかたちになる。
十村がここにいる理由はまたべつだった。それは十村を〝秘匿対象〟と判断するか、だ。
六課は通称・秘匿課と呼ばれている。隅の警官が書いている調書はふつうの調書とは違う。情報を記録すると同時に、当人の記憶消去で不必要な情報を厳選する材料にもなる。主に六課ではそういった使われ方をしている。
つまり、記憶消去を行うか存在消去を行うか。その材料となるのは、まさしく〝十村誠一郎〟という人物の正体だ。
「もう一度訊く。おまえはあの男とはどういう関係なんだ」
むろん、それにも無言で応じた。
松島は痺れを切らしたのか、椅子を蹴り上げた。壁に吹っ飛んで大きな音を立てる。十村の肩がびくっと跳ねた。そんな様子を見て松島は唇の端をつり上げた。
「次は椅子じゃねえぞ。おまえだ」
六課では、ある程度の暴行が許されている。表向きは警察組織の一員だが、やっていることは暴力団と変わりない。シマを荒らした当人を拷問し、追い詰める。
「……なるほど。まあ、この状況で黙秘を続ける度胸は認めてやる。だが、あいにくとおまえに人権なんてあるようでないんだよ。馬鹿野郎っ」
衝撃。後頭部に鈍痛。一気に壁まで飛ばされていた。見れば、男は拳一つでやったらしい。歯が二本折れて、口の中から血の味がした。十村は唾液とともに歯の残骸を吐き捨てた。口元を腕で拭う。
「まだまだぁ!」
松島が十村の胸ぐらをつかんで宙に浮かせる。その状態から五発、腹に拳を叩き込んできた。二発目から血を吹き出し、三発目から胃液を口から洩らした。松島は体液を顔やスーツに受けてなお、暴行をやめなかった。
手を離す。今度は腹に衝撃がきた。革靴のつま先で
右頬。脇腹。右足。側頭部。左頬。違う部位をそれぞれ執拗に蹴り続けた。
視界がぼやけてきた。思考もまとまらない。激しい痛みや衝撃より、眠気のほうが気になった。目を少し閉じようとすると、気持ちが楽になった。〝死〟の快楽とやらが十村を支配していた。
松島が後ろへ二歩下がっていく。テーブルの上にあった灰皿を手に取っていた。ゆっくりと腕ごと振り上げる。灰皿の位置が天井近くまで達すると、彼は高笑いをした。
「大丈夫。殺しやしねえよ。また気絶してもらうだけさ。あ、でもよ──」
松島は目を光らせて口元を歪めた。
「殺したら、ごめんよ」
男の剛腕が振り下ろされる。十村の頭蓋が派手に砕かれ、その割れ目から大量の血液が噴き出す。人間の頭をした噴水のようだった。意識はそこで不明となり、十村は目覚めぬ眠りにつく──そんな想像は起きなかった。
「松島ちゃん」
何度も聞いた声が、十村の身体を起こさせた。松島の背後にいる女性は十村に、
「そのままでいて」
と言った。
松島は戸惑ったまま、女性のほうを振り向けずにいた。だが正体はすでにわかっているのだろう。彼は震える声で小さくつぶやいた。
──先生。
先生は松島の剛腕をつかんで、無理やり灰皿を奪い取った。次いで先生はその灰皿を彼の頭蓋に叩きつけた。灰皿は砕けなかった。叫ぶ松島の身体を葵が押しのける。松島は仰向けに転倒し、うずくまった。
おぼろげな視界で見えたのは、そんな大雑把な一部始終だった。
「時間稼ぎありがとう、十村君」
「……はい、先生」
「準備は整った。君はもう秘匿対象じゃなくなった。私の保証つきでね」
「よかったです」
すぐにも気を失いそうだった。
だが、まだ一つ確認したいことがある。神山のことだ。神山も秘匿対象から外れたのか、それを聞き出したかった。
「神山君もだよ。決定打はやっぱり手記の場所を明かしたことだろうね。これは組織に貢献したことになる。本部の疑いもこれで薄れた。とはいえ、秘匿対象ではなくなる。これも、私の保証つきだ」
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