第23話
6
視界の真ん中で、自分の手が震えていた。小坂鈴江を助けようとして伸ばした腕は、結局届かず、そのまま後ろへ倒れ込んでしまった。
上体を起こす。アリスに視線を向ける。仰向けで倒れている。胸にはナイフの柄が天井を向いていた。彼女の黒い服に赤が沁み込んでいく。やがて波紋状に血だまりができていった。
「アリス」
二の句が継げなかった。身体も動かない。ボルトで身体を固定されてしまったようだ。
「十村、なんの真似だ」
ステージ側からクレイヴの声が聞こえた。その次の瞬間、身体を何者かに抱え上げられた。抗う気持ちなどとうになかった。目の前でアリスを刺されたときから、そんなものはとっくに──。
気づけば見知らぬ場所にきていた。どこかの部屋の一室らしい。四畳ほどの空間で、まさに畳の部屋だった。アパートだろうか。
扉が開く音がして、神山は振り向いた。十村だった。彼は片手にレジ袋を持って神山の近くに寄ってきた。小さな丸テーブルの上に袋を置き、中からコンビニのおにぎりを取り出して、神山の前に差し出した。
「神山。僕がわかるか?」
十村の顔を見据える。とたん、なにか熱いものが胸の奥からこみ上げてきた。彼の胸ぐらをつかんで、正面の壁に叩きつけた。彼は苦しげに喘いだ。
「てめえ、どういうつもりだっ!」
十村は苦悶の表情を浮かべるだけで、なにも言わなかった。
「なんか言えよ、なあっ」
「……ごめん」
「謝ってすむことじゃねえよ。アリスが刺された。おまえが邪魔してくれたおかげでな」
「神山。話を聞いてほしい」
十村がまっすぐ神山の瞳を見つめて言った。
「話すことなんざねえよ。俺は今からアリスを助けに行く。邪魔するってんなら、たとえおまえでも殴ってやる」
「彼女はまだ生きている!」
神山以上に十村は叫んだ。
「なんだと?」
「……難しいのはわかっている。でも聞いてくれ」
十村が深く頭を下げた。彼の身体は震えている。怯えているのだ。
神山は十村から手を離し、震える手をぎゅっと握りしめた。二、三回深呼吸をした。落ち着いたとは言えないが、話をできる程度には頭が冷えた気がした。
一歩後ろへ下がって、腰を床に落ち着かせた。それを見た十村はほっと息をついて、神山と向き合うようにあぐらをかいた。
「アリスが生きている、ってのは本当なのかよ」
ああ、と十村は頷いた。
「生きているよ。すでに〝魂〟は回収してある」
「回収?」
「死者の魂だ。僕はそれを扱うことができる。いわゆる霊能者に近いものだ」
「おまえが、霊能者?」
「まあ、授かったものなんだけどね……」
十村がぼやく。
「クレイヴの計画を聞いただろう」
「ああ」
死者を蘇生させるという計画だ。彼は特定の人間を生き返らせようとしている。
「死者の蘇生に必要なのは、身体、魂だ。片方の魂を用意するのは僕の役目だった」
「……おまえ、そんなことを俺に話してどうする気なんだ」
なにかしら企んでいるのはたしかだが、なにがしたいのかがまるでわからなかった。
「計画を止める。その協力をしてほしい」
「ならよ、あのマンションで尋問されたときに言えばよかったじゃねえか。そうすりゃ余計な被害が出ずにすんだ」
「あそこで言ったところで、僕がクレイヴと対峙していることの証明にはならない。神山は違うかもしれないけど、あの子はなにを喋っても僕を殺す気だった」
あの場に立っていた者として、十村の言っていることには共感できた。たしかに、真実をすべて吐いたとしても、アリスはやる気だっただろう。
「ならなんであのタイミングを狙った?」
「クレイヴは慎重だからな。一度油断させる必要があった。たとえば、一つ問題をクリアした瞬間とかね」
「その問題っていうのは、俺たちのことだった」
十村は小さく頷いた。
「……言いにくいが、神山とあの娘、どちらかを目の前で殺す必要があったんだ」
「で、その隙に俺を助け出し、どさくさに紛れてアリスの魂とやらを回収した。だけど十村、魂とやらを回収したところでどうなるんだ」
「元の器に戻す。肉体はすでに僕の仲間が回収しに行っている。ひどい傷だけど、治してくれるだろう」
「仲間?」
神山は顔をしかめた。
「その仲間っていうのは誰なんだよ」
「それは」
十村はそこで言葉を切った。申し訳なさそうに下唇を噛みしめている。
「これだけは、言えない」
「なんでだ」
「そういう契約だからだ。これを破れば、計画を止めるどころかあの娘さえ助からない」
胡散臭い話だ、と舌打ちしたくなった。だが、十村が嘘をついているとは考えづらい。本当のことなのだろう。
神山は頷いて、
「わかった。続き話してくれ」
と言った。
ここまできて、ようやく落ち着くことができた。アリスが生きて帰ってくるという希望を見出したからかもしれない。
ふと胸にもやがかかった。これは、クレイヴの思惑どおりなんじゃないか。彼が言っていた、大切な人にもう一度会いたいということへの、間接的な賛同になるのではないか。
「ちなみにもう回収は終わったらしい。さっきちょうど連絡がきた。傷は深いけど、治せるだけ治せるらしい」
「なあ」
「うん?」
「魂を失ったあとの身体ってのは、どうなるんだ?」
「魂がないだけなら、肉体そのものは〝活きている〟。心臓は動いているし、呼吸もしている。でも核となる魂を失うことで、目を醒ますことはない。いわゆる昏睡に近い状態になるんだ」
なら、大丈夫だ。胸のもやが晴れた。アリスは死んだわけじゃない。今も身体は活きているし、魂にしたって十村が保護してくれている。
希望が見えてきた。
「これから僕らがするべきことは、まず協力を要請すること。神山は警察とつながっているらしいな」
「ああ、でもなんで」
「仲間から教えてもらった」
……いったい誰なんだ、その仲間ってやつは。
「その人たちと連絡がとれるか」
「とれる……けど、おまえが見つかったらどうなるかわからないぞ」
「覚悟の上だ」
眉間にしわを寄せて、十村は言った。
神山は頷いて青木の電話番号にかけてみる。ワンコールですぐに出た。
「神山君か! よかった、ずっと連絡がとれなくて心配だったから。それよりどこにいるんだ」
十村に目配せすると、彼は手のひらを差し出した。自分から説明するということらしい。
「俺より上手く説明できるやつがいるんで、そいつに代わりますね」
青木の戸惑う声が聞こえてきたが、十村の手に携帯を置いた。彼はそれを耳にあててまず名乗った。それから謝罪と、状況の説明。説明に手こずっていたようだが、やがて通話が終わって彼は耳から携帯を離した。
「すぐに保護してもらえるそうだよ」
「十村もか」
「まあ、そうだね」
十村は苦笑いを交えて言った。
「でもこの場合、僕という犯罪者を囲うための措置だからね」
「そうか……」
「そして次に、君は今の青木さんと会ったときに、伝えてほしいんだ」
「なにを?」
十村は天井のほうを見上げて答えた。
「クレイヴの計画と、それについて書かれた文書の存在だ」
十分後。
開けた窓から停車する音が聞こえてきた。ちょうど十村が話し終えたタイミングだった。扉がどんどんと叩かれる。驚いてしまった神山をよそに、十村はまっすぐ玄関のほうへ向かった。
扉を開けてすぐだった。青木によって押し倒され、両手を背中に回される。十村は呻いたが、抵抗する素振りは見せなかった。手錠をつけられ、もう一人の警官が神山のそばに寄り添う。
外に出ると二台の車があった。四ドアの黒塗りのセダンだった。神山は手前側の車に、十村は奥側の車に乗せられた。
すぐに車は移動を開始した。
「災難だったな」
助手席の青木がルームミラーで神山を見つめて言った。
「まあ」
曖昧に答えた。
その場で青木からなにも訊かれなかった。せいぜい「怪我はしてないか」と心配だけしてもらった。
しばらくして月浜署に到着した。先に神山が降りて、青木に案内をしてもらう。どこへ行くのかと思えば、取調室だった。中に通されて座席に座るよう促される。
「大丈夫だ。べつに疑っているわけじゃない。話を聞くだけだからな」
神山の不安を見抜いてか、青木はそう言った。とりあえず席に腰かけた。
「さて」
向かいに青木が座り、両手を組む。後方左には調書を取っている警官が一人、背を向けて席に座っていた。
「神山君、あの場でなにがあったのかね」
神山は、あそこで起きたことをすべて青木に説明した。すると彼は深くため息をつき、こめかみを指で叩いた。
「そうか、アリスが……そのうえ死者の蘇生などと。まいったな、俺の想像の斜め上をいってやがる」
もう一つため息をついて、青木は無表情に戻った。
「それで、ほかには」
「……十村から聞いた話によれば、クレイヴの計画が綴られた文書が存在する、と」
「なに? それはいったいどこにあるんだ」
青木が一瞬腰を浮かせた。
「来栖町の、十村が借りていたアパートにあるそうです。計画について詳細に綴られた、手記というものが」
青木は頷き、また窓のほうを見て頷いた。
おそらく文書を回収しに誰かが向かったのだろう。
「……さて、話を続けようか」
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