第22話
5
朝の九時ごろに出発した。
約束の時間までまだ五時間ある。なぜこんな早くに。アリスに訊くと見張るためだという。つまりは張り込みだ。
ビルは東来栖町の中央にあった。周りも同じくビルに囲まれていた。近くにカフェテリアがあったが、そこだと裏側にある外付けの階段が見えない。アリスは言った。正面の出入口から入るとは限らない。なので出入口と階段の両方が見える場所にしよう。
それから周辺を回った。すると電機屋につながる立体駐車場が条件にあてはまった。左右に動く必要はあるが、三階から見渡すことができる。青木に頼んで彼の車を貸してもらった。運転は誰がしようかと相談すると、やはり青木が妥当だという結論に至った。
青木の車に乗り込み、立体駐車場へ入って三階で降りた。車の奥側で、ドアを開ける。そこからビルを見られる。アリスが部屋から持ってきた双眼鏡で、ビルを覗いた。
一時間経っても二時間経っても、アリスは執念深くビルを観察し続けた。神山は左から、正面の出入口を観察していた。神山は青木と基本的に交代しながらやり続けた。
「あ」
アリスが声を上げた。ちょうど交代の時間で、アリスに近寄った。
「クレイヴです」
双眼鏡を渡されて、神山はさっそく覗いた。たしかにクレイヴの姿だ。二時から談話会が開催されるので、二時間前からきたのはそのための準備だろう。
「引き続き観察します」
アリスは表情一つ変えずに、また双眼鏡の中を覗いた。
昼食を買うため、アリスに言づけてからコンビニに向かった。かごに適当な品を入れ、レジをすませる。コンビニを出ると、妙な恰好をした女性とすれ違った。麦わら帽子にサングラス。白のシャツの下からインナーを着ている。その口元に、既視感をおぼえた。
「あの」
声をかけても彼女は振り返らなかった。人通りの中でふいに声をあげたことで、周囲から不審な目で見られた。顔が熱くなって、さっさと駐車場へ戻った。
「ただいま戻りましたよ」
左側で待機していた青木の肩を叩いた。彼は振り返らず、ぴったりと双眼鏡に両瞼をつけている。
「どうしたんですか」
「ちょっと黙って」
口をつぐんで、神山は彼の視線をたどった。目を細める。よく見えないが、人影のようなものがビルの出入口付近にあることはわかった。
「あれは誰だ?」
青木が低い声でつぶやく。さあ、と神山は肩をすくめる。だが、服装の色で察して青木から双眼鏡を奪い取った。文句をのたまう青木をよそに、神山はその人影を正確に把握した。
さっきの女性だ。俺と通りがかった、あの──。
「あ、裏口に回った」
「信者かもしれませんな」
「セミナー自体はたしか、二時からでしたよね」
現在、時刻は一時。まだ一時間もある。
「まあ、早くくるやつもいるんでしょう」
「そう、なんですかね」
違和感で、声が途切れ途切れになった。
あの女性だけは違う。なぜだかそんな気がした。じわじわと沸き起こる不安感が、神山の心を蝕んだ。決断を迫られている。この場で早く決めないと、きっと──。
「もう時間です。行きましょう」
アリスが言い、神山は頷いた。青木にはその場で待機してもらって引き続き監視と連絡をしてもらうことになる。
立体駐車場から離れ、向こう側のビルへ渡った。その道中、信者と思しき者たちと何度もすれ違った。中年女性二人組や、高齢の男性……こういった宗教の信者はやはり年齢層が高い傾向にあるのだろう。だが、小坂みなみのような若い人間も入信したりする。入信に年齢は関係ないとは思う。だが、わざわざ『聖命学会』を選んだのはなぜなのだろう。
昨日、聖命学会について調べたとき。深く信じ、あがめているのは人の命だと書いてあった。人以外のものではなく、人そのものをあがめるとはどういった趣向だろうか。
疑問は止まない。
「トウヤさん」
呼びかけられて、エレベーターが開いたことに気づいた。中へ入る。アリスが地下一階のボタンを押して、すぐに到着した。
踏み入る。動悸が早くなった。自然と足早になる。
開けた場所だった。息を呑んで周囲を見回した。縦にも横にも広い。体育館並だ。上の一室よりも遥かに広い気がした。パイプ椅子がカーペットの上に並んでおり、それらが向いているのは天幕だった。まるでステージだった。いや、実際にステージなのだ、あれは。
「豪勢だな」
「最近に作ったものでしょうか」
「わからない。でも、ふつうはこんなものないはずなんだけどな」
神山もアリスも、お互いに声に緊張が滲んでいた。空間が広くて落ち着かない。アリスはまたべつの理由で落ち着かないようだった。
パイプ椅子の数からして、五十以上は信者がいるらしい。多いのか少ないのかは判断しかねた。
ふいに、幕が開いた。
紅色の天幕が左右に移動して、その内側が見えた。ステージの真ん中に立っているのは、白装束を着たクレイヴだ。白の装束を着る宗教といえば仏教だ。
仏教において、穢れのない清らかな象徴として白色が選ばれる。
「時間どおりだね、二人とも」
クレイヴの声が空間に木霊した。
「約束どおりに説明してくれるんでしょうね、クレイヴ」
あきれたようなため息をついて、クレイヴがこめかみを触った。
「そんなに信用ないんだね」
「ええ」
アリスが即答した。
ははは、とクレイヴは笑う。彼の心情がわからない。いったい今、どんなことを考えてどんなことを思っているのか。言葉そのものに胡散臭さがこびりついて、どうしてもそんなことを考え込んでしまった。
「それじゃあ、二人とも適当なとこにかけてよ。僕がここで講演をする気分で説明させてもらうよ。そのほうが気分乗るし」
「王様気取りですね」
「かもね」
「馬鹿な人」
「そうかな」
アリスの罵倒を軽々しく受け流すクレイヴ。神山は半ば感心して、いちばん前の席に座った。アリスも同様に隣に腰かける。
「さて」
と、クレイヴが手を叩く。
「僕のことから紹介したほうがいいかな」
「〈記憶の狩人〉。
「ま、知ってるか。かなりの有名人らしいしね、僕は」
クレイヴは続けた。
「僕はむかし、たしかに組織でがんばってきた。でも、ちょっとトラブルがあってね。組織から追われる身となったんだ。それからは隠居生活。でも、そのあいだで考えが変わってさ。ちょっと革命を起こしたくなって自分で宗教作った。まあ、いわゆる資金集めってやつさ」
「資金集め?」
「そう、僕のちょこっとした計画のための」
「それを今から話すんですか」
「うん」クレイヴは頷いた。「これは単なるいたずらみたいなものだからさ」
「と言いますと?」
アリスが顔をしかめている。
「死者を蘇らせる」
クレイヴははっきりとそう言い切った。
沈黙が流れる。すると、クレイヴは堪えきれなくなったように噴き出した。
「やめてくれ、滑ったみたいじゃないか」
「笑いごとではありません」
アリスの声に、怒りが滲んでいる。空間に緊張が走った。
「なぜさ」
「なぜって、」
「君だって兄を亡くしたんだろう。でも君は納得しなかった。だから組織に入って兄の面影を求め、あげく生きているという証拠を欲した。そうなんじゃないか?」
違う。
アリスがつぶやく。
「私は……兄が、なぜ死んだのかを、」
「建前ってやつか。大事だけど、それじゃ生きていけないよ」
「っ──建前なんかじゃっ!」
「まあ聞けよ。なんと僕はね、死者を蘇らせることに成功しているんだ」
「……なんて言った?」
アリスの声が一気に低くなった。いけない、と思って神山は、
「ほざけ、この野郎。そんなことできるわけがねえだろ」
「証拠はあるさ。それも、君の最も身近なところにね」
「なんだと?」
クレイヴは、明らかに神山を向いて喋っている。つまりは自分の身近なところ。
俺の、身近な──。
「それについてはあとで説明するよ。後のお楽しみってことでね」
片目をつぶってウィンクをするクレイヴ。いちいち喋り方や仕草が癪に障る男だ。
肩を叩かれ、アリスを振り向く。彼女が、もう大丈夫だ、というふうに小さく頷いた。
「クレイヴ。なぜ、あなたは私たちに近づいたんですか」
「なぜって、十村を助けにきたからじゃないの」
「助けにきた結果、こうして私たちに詰められているではありませんか」
「ああ、なるほどね。──詰められているって感覚はないけど」
クレイヴは続けた。
「いずれも君たちは僕に追いついた。それを見越して、自ら前に出たってだけ。面倒な工程はできるだけ省略したい。それはお互い様だろう?」
「あなたにとってデメリットでしかないはずですが」
「そんなことはないよ。むしろメリットだらけ。嬉しい誤算だよ」
アリスが首をかしげる。
クレイヴは微笑んだまま、演劇のように身体を大きく見せた。
「死者蘇生。不老不死が研究されているように、これまでも死者を蘇らせるということについて多くの者が研究してきた。僕もそのうちの一人だった。そして、ある人に出会った。まほろ、という名の女性だった。彼女は僕の研究を大いに賞賛してくれた、唯一の理解者だった。そんな彼女が好きだった。でも、あるとき彼女は姿を消した。探したけれど、どこで誰に訊いてもみな、口をそろえて言ったよ。死んだ、とね」
「だから死者を蘇らせたい、と?」
「そうだ」
クレイヴは手を広げた。
「それなら、なぜ他者を巻き込んだんですか」
「わかってないな。確実に成功するためには実験体が必要だ。実験を重ね、条件を見出し、成功率を上げていく」
くそが。
アリスが吐き捨てるように言った。
「だから、あの人たちを殺したんですか」
「ああ」
当然のようにクレイヴは頷いた。きょとんとした顔だった。
「……くだらない」
「うん?」
「じつにくだらない、と言った」
アリスは目を伏せ、膝元でスカートをぎゅっと握りしめていた。
「クレイヴ。いくつか質問がある」
「ついに敬語が外れちゃったか」
「質問が、ある」
「はいはい、なあに」
「おまえの名がオスカー・フィン・クレイヴだというのなら、疑問点が生まれるのよ」
「うん」
「その名を知ったのは、父の話だった。大戦後、姿を消した優秀な狩人の一人として教えてもらった。そしておまえは、私の曽祖父の家系の名を知っていた。フォンテーヌは今から百年前は健在だったけれど、すでに今は途絶えかけている一族のはず。だがおまえは、始まりの一人であるエマ・フォンテーヌと友人と言った。
これはすでに気づいていたことだけれど、クレイヴ、おまえは〝鬼〟よ」
「ほうほう」
「紅の瞳に、白蝋のような肌……日光に耐性がついているのは、鬼の血がうまく噛み合ったおかげね。なにより死者を蘇らせるだなんていう倫理的価値観の欠如。
……知っているでしょう、ダヴィッドの三原則。これによーく当てはまるわ」
「でも、僕の瞳は碧。悪いけど、一つあてはまらないよ」
「そんなの日光にあてればすぐにわかるわよ」
「……へえ」
「知っているでしょう。瞳が紅くなるのは、吸血鬼特有の生理現象。たとえ日光に耐性があってもごまかせない唯一の部位よ。日光にあてられると、瞳は反応を起こす。
そういうわけで、外で話してみる? 幸い、いいお天気だけれど」
「あはは、遠慮しとく」
クレイヴは、まいったな、と首の後ろを掻いていた。
「さすがにプロの前じゃごまかせない、か。たしかに僕は吸血鬼だよ。第二次大戦中、僕は吸血鬼に襲われて噛まれた。それ以来ずっと生きているよ」
「とんだ死に損ないね」
「まあね。──でもさ。僕がこの計画を進めることで救われる人はたっくさんいるよ」
「そんなことで救われる人がいるわけが、」
クレイヴは指を鳴らし、アリスを指さした。
「それはアリス、君がよくわかっていることだろう。兄を失い、君は兄を求めている。それはね、君だけじゃないんだよ。友達や恋人、家族を失った人間はこの世にごまんといる。その一部をかき集めたのが、この『聖命学会』だよ。大事な人を失った者たちが集まり、僕の計画に賛同してくれている」
そこで、一連の自殺者のことが思い浮かんだ。
正田勝彦は恋人は失った。岡本昭三は妻を失った。小坂みなみは父を失った。
彼らの共通項は、この一点のみだった。
「ふざけないでっ!」
後方から叫び声がした。振り返ると、そこには先程すれ違った女性が立っている。拳銃をクレイヴに突きつけた勢いで、サングラスが外れる。その顔は見知ったものだった。
──小坂鈴江。
「鈴江さんっ」
神山が叫ぶのをよそに、鈴江はクレイヴのもとへまっすぐ突き進んでいく。
「おまえが」鈴江は言った。「おまえが、みなみをっ!」
「おやおや、これはみなみちゃんの母上かな」
「殺してやる」
鈴江の目には、クレイヴしか映っていない。そうわかっていても、神山は止めにかかった。アリスは首輪を持ってすでに構えていた。
「邪魔しないで」
そう言って神山を押しのける。
「返してよ」
鈴江は高い声で叫んだ。
「みなみを、うちの娘を……返してよ!」
「ええ、もちろん」
クレイヴは愉快そうに笑っていた。鈴江はさらに「ふざけるな」と責め続けた。
「ふざけてなんかいませんよ、わたくしはお母様のような方のために、ここまで準備をしてきました。ではさっそくお呼びいたしますよ」
「は……?」
クレイヴは下手側を向いて、手招きをした。おいで、みなみちゃん。そう言っていた。これにはさすがの鈴江も戸惑ったらしく、拳銃は突きつけたままだが、瞳が揺れていた。
ことは、すぐに起こった。
下手側から裸の女が現れた。乳房や性器も露出していたが、
ゆっくりと女が歩いてきて、鈴江を見下ろした。
「……みな、み……?」
そのとき神山の携帯が鳴った。だが、それに応える気には当然なれなかった。今、神山の意識は眼前で起こっている不可思議な出来事に集中している。
小坂みなみが、生きている。
みなみはステージをゆっくりと降りて、きゅ、きゅ、と歩いてくる。やがて鈴江と向かい合った。
「みなみ、なの? ねえ、みなみ……?」
「そうですよ、お母様。その娘は小坂みなみ。あなたのじつの娘さんです」
鈴江はゆっくりと両手を下ろした。鈍い音を立てて拳銃が床に落ちた。鈴江は両手を広げて、ゆっくりと娘に近づく。目に涙をためて、嗚咽を洩らしながら。
危機を察して、アリスが首輪から怪物を呼び出す。夜人が現れる。すぐに怪物は鈴江とみなみを遠ざけようと右腕を伸ばした。
──腕がちぎれた。
ちぎれる瞬間、発砲音のようなものを聞いた。振り向いた。ステージ上、クレイヴの隣には十村が立っている。彼は拳銃を手に、怪物を狙っていた。
「十村ぁ!」
彼は一瞥されくれなかった。瞬間、火花が散った。それが夜人の左腕を貫いた。三発目、四発目。四肢が切断され、怪物は倒れる。
みなみと鈴江はもうすぐだ。神山は駆けだした。きらり。みなみの左手から刃。それがまた光った。顔を歪ませる。叫ぶ。伸ばす。
鈴江の身体が、神山のほうへ飛ばされる。受け止められず、後ろへ転倒する。
──アリス?
硬直している。
口から血を吐いていた。
目を見開いていた。
みなみの手をとる。
みなみは刃を抜いた。
また彼女の胸を深く刺し込んだ。
アリスは、ゆっくりと振り向く。
赤く染まった口元が、開く。
ご め ん な さ い
そうつぶやいて、みなみの身体にもたれかかった。
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