第21話

  4


「ずいぶんと楽しそうでしたね」

 加奈子を家まで送り届け、スコフィールド邸に戻った。それから食事と入浴を終えてから〈地下の図書室〉にきて、アリスと作戦会議ということになっていたが……。

 加奈子と別れてからずっとこの調子である。帰る道中も食事中も神山をちらちらと見る。用件を尋ねても、べつに、とそっぽを向くだけ。この〈地下の図書室〉にきても、頻度は減ったもののまだ見てくるので、しびれを切らして問い詰めた。

 すると、アリスはぽつりとそうこぼしたのだ。

「ああ、楽しかったしな」

「ふうん」

「なんだよ」

「ただそう思っただけです」

「悪かったって。たしかに会話してる途中、おまえのこと蚊帳の外にしていたけどさ」

「意図的だったんですか」

「いや、しょうがないじゃんか。双木高校の話とか、アリスわかんねえだろ」

 たしかにそうですけど……。

 アリスがつぶやく。

「わかった。次から気をつけるよ。それよりほら、さっさと調べようぜ」

 アリスがため息をつきながら、パソコンに向き合う。これから新興宗教団体、『聖命学会』について調べていくのである。検索サイトにその名を入力すると、あっさりとホームページのリンクが表示された。クリックして覗いてみる。

 眩しく大きなフォントで宗教名が載っていて、その下部に小さな文字で説明が綴ってある。これまでの歴史のようなものもあった。

 1997年に、オスカー・フィン・クレイヴほか十二名が発起人となって設立。生と死という概念について研究を行う団体らしく、機関誌『命の泉』を毎月刊行していた。

 主な活動としては、生命にまつわる(心霊現象などが主らしい)調査・研究、研究誌の発刊、講演会や講習会の開催とあった。

 神山は創立者の名前に目をつけた。

 理事長はむろんクレイヴ。その横に並ぶメンバーの名に、十村彰文とむらあきふみを見つけた。単なる偶然とは思えなかった。彼が自ら関与しているのか、あるいは十村彰文──親族だろうか──に強制されてか。

 どちらにしても、十村をあの男から取り戻さなくてはならない。

「シド、クラウス……」

「うん?」

「憶えていますか、ホムンクルスのこと」

「ああ」

 あの部屋にあった、小坂みなみによく似たホムンクルス。しかしアリスが言うには、等身大のホムンクルスは作れないものらしい。

 ──ただ一人をおいて。

「はい。その一人というのが、このシド・クラウスです」

「てことは、あれを作ったのも──」

 アリスが頷く。

「錬金術師であり狩人でもある彼は、神出鬼没で、どこにでも現れます。基本、組織的な縛りを嫌う性格だったはずですが、このような団体の創設者となっていたとは……」

「知らなかったんだな」

「そうですね。上層部は知っていたのでしょうが」

「その上層部ってやつは、こんな事態になってんのに止めないのか」

「なかなか自ら腰を上げることはしないでしょう。彼らにとっては些末事ですから。いよいよ大きな段階になってきたときに、黙々と始末をします」

 おお、怖え。

「大きな段階っていうと、どんなもんだろうな」

「魔王が目覚めたときでしょう」

「は?」

「魔族の王です。転生を繰り返してはこの世界を破壊しようとする存在。大きいでしょう?」

 そりゃ大きいだろうが……。

 あまりにスケールの大きな話になったので、これ以上深堀りすることはしなかった。

 とたん、鳴り始める着信音。アリスは慌てて携帯を取り出して、画面を見た。青木さんです。そう言って着信に応じた。

「はい、もしもし。……はい。はい。やはり、ですか。……ええ」

 同じような受け答えがしばらく続いて、アリスは電話を切った。神山から訊く前に、彼女は言った。

「被害者の職場にまで聞き込みを行ったそうですが、交流のあった人物たち全員が口をそろえて『とくに様子は変ではなかった』と」

「全員が?」

「オスカー・フィン・クレイヴ。彼の名には憶えがあります。たしか、〈記憶の狩人〉という呼ばれる者がそういった名でした」

「記憶の……?」

「これは〝銘〟と言いまして、いわば勲章です。実力を認められるともらえるんです。銘をもらった狩人を〝在銘〟、まだもらっていない狩人を〝無銘〟ですね」

 どうやら、実力の有無は銘があるかないかが境界線になっているらしい。

「じゃあ、記憶の狩人っていうのは?」

「銘は能力にあやかってつけられることがほとんどです。なので、クレイヴの場合は〝記憶〟に関する能力を所有していたはずです。記憶というと、記憶の消去や改竄が主でしょう。実際、目撃者の記憶を消去する場合は〝記憶いじり〟ができる狩人の出番ですから」

「記憶いじり」

 繰り返し、神山は意味をなんとなく理解した。そして絶句した。まずい。もしそれが本当なら──、

「彼がその気になれば私たちの記憶なんて、いくらでも変えられるでしょう」

「それなら明日、俺たちはどうすりゃ、」

「行きますよ」

 アリスははっきりと言った。

「私にしか、できないことですから」

 胸の奥を突かれた気分だった。衝撃だった。私にしか。その言葉の意味を考えると下唇を噛みしめたくなったのだ。だが同時に、愉快な気分にもなれた。はっきりとした物言いに、吹っ切れた気分にもなれた。少なくとも、そう振る舞うことはできる。

 少し考え、神山は強く頷いた。

「俺たち、だろ」

「……そうでしたっけ」

「コンビ結成数日前だからな」

 やってやるよ。

 調子に乗ってしまっている。我ながら珍しく興奮していた。しばらくして気づいた。自分がなにかの役に立てているという優越感。それが、神山の胸の内を満たしていたのだ。そんな嫌味な自分に、眉が歪んだ。

「そういや、気になってたことがあるんだけど」

「なんです?」

「おまえのご先祖さまのこと」

「ああ」

 納得したようにアリスは頷いた。

「父から聞いたことがあります。エマ・フォンテーヌという人がシャサール御三家のうちの一家で、狩人という存在を生み出した、と」

「へーえ」神山は頷いた。「すると、ほかにもいるんだな」

「ええ。まず狩人を生み出したフォンテーヌ、組織を形作ったアンリ、特殊能力という定義を作り上げたダヴィッド」

「一つ目二つ目はわかるけど、三つ目は?」

「人か魔族かを分けるための指標の一つが、能力でした。ですが人間にも特殊能力が発現するために、たとえ魔族でなくても魔族だと断定され、処刑されるんです」

「魔女裁判みたいだ」

 まさしく。

 そうつぶやいてから、アリスは続けた。

「ですが、ダヴィッドが特殊能力そのものを研究した結果、人間でも発現するとわかった。それから彼は、〝魔の三原則〟を提唱しました。通称・ダヴィッドの三原則とも呼ばれています」

 一つ目、無臭。

 二つ目、異色の部位。

 三つ目、倫理的価値観の欠如。

 アリスは指を三本立てながら言った。

「体臭はなく、ある部位の色が一般とは異なり、言動・行動から倫理から外れている。一目でわからない場合は、この三法則に従って見分けます」

「どれも難しいな」

「熟考した結果らしいですよ。私としても、もっとわかりやすくしてほしかったんですけどね」

 ぴたっ、と神山の視線がアリスの顔に止まる。それを察してアリスが怪訝そうに神山を向いて、「なんですか?」と訊いた。

「……意外だ」

「は?」

「いや、アリスが組織の決め事に文句を言うなんて」

「私をなんだと思っているんですか」

「シャサール万歳」

「違います。私だって、いろんなストレスを受けていろんな文句を思いつきます。でもそれを言ったってどうしようもないから、ふだんは沈黙するんです」

 うーん、と神山は唸った。

「それじゃストレス発散にはならないだろう」

「余裕がありませんしね」

「こまめにやったらどうだ。音楽聴くとかさ。あ、読書してるじゃん」

「まあ、たしかに気が楽にはなりますが……かなり時間がかかるし、内容次第では逆にストレスになる場合もありますし。最近はトウヤさんで発散するのもいいんじゃないかって思っていますよ」

「やめてくれ」

 それからすぐに部屋に戻った。

 まず窓を開けた。ベッドに座り込んで、夜風に当たる。遠くの空に、星が点々と輝いている。雲間から月が現れて、神山はその光を目に焼きつけた。

 視線を自分の足元に下ろす。シーツの上にある携帯電話を手に取って、連絡先を開いた。その中から『十村』を選んだ。コール。

 ──出ない。

 出たかと思えば、留守電用の定型音声が流れるだけ。もう一度かけ直してみようとは思わなかった。これ以上やっても、十村は出ない。

 神山はそっと息をついて、ベッドに横になる。携帯を床に放り出してから目を閉じた。

 明日はクレイヴと再び体面することになる。対峙するだろう。だがひとまずは彼らのことを知ることだ。そうすることで、この事件の解決につながるはずだ。

 そのとき、床からぶるぶると振動が伝わった。すぐにわかった。それが、携帯のコール音だということを。飛び起きて携帯を取って、着信に応じた。

「十村!」

「おわ、なんだよ」

「……ハル姉?」

「おう」

「なんだよ」

 ちくしょう、とつぶやいた。

 聞こえたのか、夢野が「おい」と声を低くした。

「どうしたの」

「いや、上手くいってるんかなって。ちょっと確認に」

 夢野の癖だ。月に一回は必ず、こうして電話をかけてきて確認をする。確認とは、この〈瞳〉のことや日常生活などだ。二十歳になっても弟を心配するばかりで、肝心の自分についてはなにもしない。

 これまで彼氏さえいたことないという。むかしはとくになにも思わなかったが、夢野は美人だ。性格もいいし気さくだから、合コンなどに参加すればたいがいの男は釣れるだろうに。

「いつもどおり」

「そ。ならいい」

「ていうか、これだけならメールでいいってむかしから言ってるだろ?」

「声を聞かないと本当にいつもどおりかわかんないでしょ」

「声聞いてもわかんねえって」

「わかるわ」

「もういいだろ──」

「あんた、十村と喧嘩でもした?」

「え」

 なんでわかったんだ。そう言おうとしても、実際は言えなかった。言葉が詰まった、とはまさにこのことだろう。

「喧嘩……ていうか、まあ」

「はっきりしないねえ。なんかあったことには違いないんだろ?」

 ああ、と神山は頷いた。電話の向こうから深いため息が出てくる。

「瞳也」

「なにさ」

「わたしが必要?」

「……必要ねえよ」

「そ」

 淡々とした声だった。

「ならよかった」

「だいたいハル姉には頼らないってそう決めたの、知ってるだろ?」

「ああ」

「なんでハル姉のほうから手を差し伸べるんだよ」

「そういうの拒否すんのも、目標に近づける秘訣なんじゃないの」

「まあ、かもしれないけどさ」

 沈黙が流れる。こういうときはお互いなにかを考えているときだ。神山も夢野も考えるときは静かになる一方で、騒ぐときは調子に乗る。

 よく、夢野と仕草が似てると言われる。誰もが姉弟だとは思わず、恋人同士だからなのではと疑われるが、仕草が似るのは当然だった。

 神山が、強い憧れによって彼女を真似していた時期があったからだ。

「大丈夫だよ」

 自分でもびっくりするほど、柔らかい声。

「ハル姉の力がなくたって生きていける」

 しばしの沈黙のあとで、

「そっか」

 夢野はつぶやいた。

「だからいい加減、彼氏作れよ。売れ残っちゃうぞ」

「うっせえ。つか、まだそんな時期じゃねえっつうの」

 それから少し雑談をして、電話を切った。窓を閉めてカーテンで覆った。空を眺めるのはやめだ。そんな遠いものを見たって仕方ない。

 一丁前にそんなことを思って、神山は枕に頭を預けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る