第13話
6
翌日。
朝の十時を回るころには、すでに外出していた。
灰色の雲が低く垂れこめ、今にも雨が降り出しそうな勢いだった。報道では、七十パーセントと言っていた。スコフィールド邸にあった傘を借りることになった。
訪問先は予定どおり二件目の岡本昭三宅。彼と交流のあったという隣人たちを訪ねるのだ。いきなり親族を訪ねるよりは安全だという理由からだ。岡本邸は中央区来栖町の五丁目にある。今度は電車ではなく、バスで行くことにした。最寄りのバス停で乗車し、四つバス停を越えたあたりで降りた。
それから歩いて五分。岡本邸に到着した。
「あ」とアリスが声を上げた。
彼女の視線をたどると、門扉の前に誰かが立っていた。制服を着た女子高生のようである。少女は一人で和風の邸宅を眺めていた。
アリスが歩き出す。
「あの」
少女が振り返り、アリスを認める。珍妙な恰好に瞬きを繰り返しながら、「はい?」と返事をした。神山も少女の近くに寄る。と、制服の彼女はわずかな悲鳴を上げて、神山から一歩後退した。
「…………」
「あ、この人は私とは赤の他人なので」
「さんざん付き合わせてよく言えるな」
アリス一人のほうがよかったのかもしれないな、とはむしろ思った。
少女は依然として怯えたままだ。男が苦手なのかもしれない。
「私たち、こちらで亡くなった岡本昭三さんの知り合いで」
「おじいちゃんの?」
「おじいちゃん? ということは、あなたは」
少女は目を泳がせる。
「……はい。孫の、岡本加奈子って言います」
やや伏し目がちに、アリスと神山を見比べながら言った。正体を明かすつもりはなかったのに、つい言ってしまった。そんな様子だった。
神山はアリスと目が合う。彼女は頷く。つまりここから去るのだ。遺族に会って刺激するのはよくない。改めて二人で考えたことだった。が、
「待ってください」
ときすでに遅し、ということらしい。
加奈子に呼び止められてしまった。当然の反応だ、と納得した。
「あなたちは誰なんですか」
アリスは加奈子を振り向いた。
「私は、エマ・スコット。こちらはアイザック・ウィンター。私の従兄で、草間町に住んでいます」
「ああ、従兄……」
納得したらしい。たしかに、アリスと神山の容姿は似ている。彼女は銀髪で、神山は白髪という違いだが、傍から見ればさほど変わりない。
「その、おじいちゃんとはどういうお知り合いだったんですか?」
むろんまだ警戒は解かれていない。この場をどう切り抜けようか。そう考えたときには、すでにアリスが口を開いていた。
「以前、来栖町に住んでいたんです。そのとき、右も左もわからない私と家族にいろいろ教えてくれたのが、昭三さんだったんです」
神山の前では見せないような微笑みをその口元にたたえて、そう言った。
「ふーん」
半目でアリスを見つめ、神山に視線を移す。
「あなたは、なんなんですか」
「私は、その」神山は戸惑う。「付き添いです」
「まあ、つまりどうでもいいんです」
「マジかおまえ」
少女──加奈子はあきれたように息をついて、再び岡本邸に向き直した。いちおう受け入れてもらえたようだが、警戒はまだ解かれていないだろう。
「それで、なぜここへ来たんですか」
神山は、紙袋から花束を取り出す。途中の花屋で買った白ユリだ。加奈子がそれを見て、そっけなく視線をそらした。
「弔い、ですか」
「はい」
アリスが頷いた。
加奈子はとくに表情を変えずに佇んでいた。その様子を見て、神山は尋ねた。
「この家が、好きなんですか」
そのとき、加奈子は目を見開いたまま神山を振り返った。何に驚いているのだろう。
「いえ」加奈子はかぶりを振った。「好きではありません」
「好きではない?」
「はい」
はっきりと加奈子は言い切った。
神山はどこかやりきれない気分になった。加奈子は、はっと我に返ったように空を仰いで、
「おじいちゃん、そんなにいい人だったんですか」
と、小さな声で訊いた。
アリスはわずかに頷いて「はい」と答えた。加奈子は、嘲るような笑みを浮かべた。アリスが首をかたむけたのを見て、加奈子が、
「あなたたち、誰なんですか」
「え?」
神山とアリスの声が重なった。加奈子はいたずらを仕掛けた子供のように笑いながら、言う。
「おじいちゃんは、このへんではかなり評判悪いんですよ。無口、頑固、なおかつ怒りん坊将軍。とんでもないクソジジイとして名を馳せているんです」
加奈子は、戸惑う神山たちの顔を見て楽しそうだった。
彼女は続けた。
「わたしも、大嫌いでした。正月はぜったいに実家に帰らなくちゃいけないから、本当に嫌で嫌で仕方なかった。小さなころからわたしのこと、睨んでくるんです。そのうえ、いつも説教ばっか。
そんな人が、あなたたちみたいなよそ者に優しくするはずがないんですよ」
「…………」
当然、神山たちは何も言えなかった。加奈子の祖父だ。彼女のほうがいろいろ知っているに決まっている。何も知らず訪問してきた自分たちが知ったような口を言えるわけがなかった。
「誰なんですか」
もう一度、加奈子が尋ねた。
はっきりと警戒を声音に滲ませて。
──そのとき、
「すみません。その人たちは、私の部下なんですよ」
低く野太い声が、右から聞こえた。首を巡らせた。スーツを着込んだ初老の男性が立っている。神山より背は高く、七三分けのセットが上手かった。その大きな両目から、何かとてつもなく強い意志が宿っている。そう見えた。
「私は、新月浜署のもので」
男はジャケットの裏から警察手帳を取り出し、加奈子に見せつける。
「
「……この二人が警察ぅ?」
加奈子が神山たちを振り返った。
じつに疑わしい、という態度が明らかだった。
当然だ。この出で立ちで自分たちを警察官とは思う者はいないだろう。実際、警察官ではないのだから。
「たいへん申し訳ございません」
青木が一礼をし、顔を上げると神山たちをひと睨みした。
「君たち、今日は非番だろう。こんなことをしてもらっては困るよ」
「え、あ」
神山が戸惑っていると、すぐに察したアリスが、
「すみません。少し、気になったもので」
「気になった……ってなあ。まあいい、説教はあとでたっぷりしてやる」
青木はさらに加奈子に頭を下げた。神山とアリスを引っ張るように青木が歩いていく。結局、その場を立ち去ることとなった。
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