第12話
5
玄関前まできたとき、慌てて鈴江が「少し待っててくださいね」と言った。少しして彼女が戻ってきた。片手で何かを持っていた。
見ると、それは鍵だった。鍵のほかにホルダーがくっついている。なにかのご当地キャラのようだった。
「じつは今朝、それを見つけて。娘が二月ごろに訪ねてきて置いていったことを思い出したんです。よければ持っていって」
鈴江が差し出す。アリスが横から小突いてきた。脇の下から手袋を出してきた。すべすべした生地の手袋だった。指紋が残らないように、という配慮らしい。
手袋をはめてそれを受け取る。鈴江は首をかしげながら見つめていた。
「ありがたいですけど、いいんですか?」
「ええ」
鈴江は複雑そうな笑みを浮かべながら頷いた。
「ちなみにこれは?」
鈴江は申し訳なさそうに顔を伏せる。「すみません、それがわからなくて」
二人で礼を言った。
今度こそ小坂邸をあとにして、前の通りを歩いていくと「あの」とアリスが声をかけてきた。おそらくあのことだろう、と思って神山は言った。
「ハル姉の友達だったんだ。俺とも仲良くさせてもらっていたよ。同い年だけど、弟みたいに年下扱いしてきた」
アリスは小さく微笑んだ。
「可愛がってくれた、ではなく?」
「ないない」と神山は笑う。「むしろ、からかわれてばっかりで。しかもハル姉と二人になって、な」
「それを可愛がってくれたというのではないのですか」
「まあ、そうかもな」
「──だから小坂邸へ行くとき、妙に緊張した顔になっていたんですね」
「そうだなあ」
神山は空を仰いで、唸った。
「そりゃ世話になった人の母親だしな。いつもより気を引き締めるさ」
なるほど、とアリスはつぶやいて、会話は終わった。
空は暮れようとしていた。夕焼けは地平線の向こうに沈んで、オレンジ色の光を放っている。暖かな風に、少し冷気が混じって吹き込んだ。その夕焼けを背に、アリスが振り向いた。
「今日はここまでにしましょう。少し、休憩していきませんか」
それから移動したのは、近場の公園だった。両側にベンチがあり、神山たちはその左側のベンチに腰をかけた。神山はいったん席を立って、公園の外にある自動販売機でお茶を買った。アリスには紅茶だ。
ベンチに戻ってアリスに差し出すと、きょとんと目を丸くした。が、すぐに無表情になった。あげく「ご苦労」などと可愛げのないことを口にし、紅茶を受け取った。
再び隣に座って神山は一口飲んで、言った。
「まさか休憩しよう、だなんて言ってくるとは思わなかった」
「私だって人情はあるんですよ」
「本音は?」
「もう足がパンパンで──あ」
「そのまま素直になったほうが可愛いと思うけどな」
「誰が」
ふん、とそっぽを向いて紅茶を飲むアリス。
これは思春期だろうな、と思いながら、神山も緑茶に口をつけた。
「そういや小坂さんのときは、なんで首輪を使わなかったんだ」
ずっと気になっていたことだ。
アリスの物言いだと、あれは決して曲げられない信念のようなものに思えたのだが。
「効率重視です」
「効率悪かったろ」
「誰のせいだと」
「俺のせいだな」
「よろしい」
「でも、上手く行ったのは──」
「あなたではありません」
「ハル姉のおかげだな」
「シスコン」
「違えよ」
──緑茶を飲み終えるころには、もう外は真っ暗だった。夕暮れが過ぎていくのは早い。気づかぬうちに、太陽は沈んでいく。不思議な気分だった。
「明日は」
アリスが紅茶を飲み干して、言った。
「まず二人目の岡本昭三さんの親族あるいは目撃者のもとに訪ねて、小坂さんの母親からもらったこの鍵──これが何なのか、探ってみましょう」
そうだな、と神山は頷いた。
「それと」
「ん?」
「……首輪を使わなかったのは」
「ああ」
「その、良い飼い主というものはリードを使わずともしつけられる人なんです」
「なんだそれ」
「いえ、やはりなんでもありません」
「つか犬じゃねえよ」突っ込みが遅れた。
アリスがくすっと笑った次の瞬間。──振り返った。怖気が走る。背中に冷たいものがこぼれたような感覚だった。自分に言い聞かせる。誰もいない。そのはずだ。俺とアリス以外には誰もいないんだ。
「なにをしているんですか?」
「いや」
神山はかぶりを振った。
「なんでもねえ」
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