第10話

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 双木市なみきしは、K県の地方都市だ。上から見下ろすと、土地は円状に広がって見える。

 近年の人口増加に伴い、市の都市開発に勤しんでいるためだろう。周囲を見渡すと工事中の建物がちらちら見える。青色のビニールに包まれた一棟のビルや、近々リニューアルオープンされるというショッピングモール。

 ますます街並みは変わろうとしていた。自宅の付近にある学習塾が変わり、友人が通っていたピアノ教室がふと閉じられ、今では空き地になっていたりする。小さな変化が積み重なり、やがてこの町も、二十年後にはまるでべつの世界になるのだろうか。寄り返す波のように寂しさがやってくる。

「そういやさ」

 道の途中で、ふとあることが気になった。

「はい?」

「あの化け物はなんなんだ?」

「あの、とは」

「昨夜見た、あいつだよ」

「ああ、あれは夜人やとというんです。夜に人、と書きます」

「へーえ」

「ときおり夜に現れる怪人です。都市伝説で聞いたことありませんか?」

 そういえば、むかし夢野から聞いたことがある。

 夜零時から一時までのあいだにのみ現れる、黒い人型の怪物。あれは実在したということか。

「強いのか」

「日中ではそれほど。まあ、いないよりはマシな程度ですね。夜人の強さは、夜間に発揮されるんです」

「え、じゃあ昨日俺やばかったじゃん、ぜったい」

「止めるのが一秒でも遅れたら、あなたは今ごろここにいないでしょうね」

「やめろよ、怖えだろ……」

 最寄りの駅に向かう。電車に乗って二駅過ぎたところで降りる。東区の月浜町だ。途中、アリスが花屋に寄った。白ユリの花束を三つ購入していた。

 駅前から十分くらい歩いていくと、二丁目にある雑居ビルを見た。すでに検視を終えているためか、ビニールテープや印も何もない。ただこの辺りの区域に入ったとたん、人通りが少なくなった。それも当然といえば当然なのだろうが。

「ここで飛び降りたんだな」

「ええ」

 アリスは頷く。そんな顔を見て、神山は首の後ろに手を回した。苦味のようなものが胸の内に広がった。

 アリスは枯れた花束が置かれた電柱に、白ユリの束を立てた。優しくめでるような丁寧な仕草。神山はさらに戸惑い、ふと思ったことを訊いた。

「遺族の方とは、どこで?」

 遺族と目撃者の情報はすでに葵から携帯に送信されていると言った。

「いえ、ここで大丈夫です」

 首をかしげていると、

「来ました」

 アリスが言って、神山は首を巡らせた。前方に、花束を持って歩いてくる婦人が一人。母親だろうか。しかしあの婦人はより老けて見えた。深い皺やほうれい線ではなく、沈んだ表情からそう思わせたのだ。

 婦人が神山たちを認めると足を止めた。神山とアリスは軽く会釈する。婦人もゆっくりながら頭を下げてくれた。

「ええと」

 怪訝そうな目で婦人が話しかけてきた。返答に困っていると、アリスが一歩踏み出して婦人を見た。こうしてみると、婦人のほうが背は小さかった。

 次いで、アリスは懐から首輪を出して、婦人の首に巻きつけた。

「おいっ」

 アリスの肩を引いて、神山は怒鳴った。

「今、おまえ何をしたっ」

「問題ありません。〈捕縛の首輪〉には催眠作用があるだけで、攻撃性はないので」

「そういう問題じゃねえだろ」

 神山は、アリスを睨み据えていた。しかしまるで通じなかったようで、彼女は再び婦人に向き合った。

「立ち話で申し訳ありませんが、いくつか質問がございます。よろしいですね?」

「はい」

 婦人は瞼を閉じて直立している。たしかに今のところ婦人の身に何か危険がありそうな気配はないが……。

「まず、あなたのお名前を教えてください」

正田和美まさだかずみです」

「正田和美さん。ここで亡くなられた正田勝彦さんは、あなたの家族ですか」

「はい。母親です」

「正田勝彦さんが亡くなられた理由にお心当たりはございませんか」

「いえ……」

 正田和美はかぶりを振った。

「ただ、三年前に恋人が交通事故で亡くなって……」

「その恋人とは?」

長尾友里ながおゆりちゃんっていう、同じ大学で知り合った同い年の子で。恋人生活は順風満帆で、婚約して結婚式の話を進めていた、とあとで聞きました。ですがそれも……」

「長尾友里さんが亡くなったことで?」

 力なく頷く正田和美。

「ほかに、何か本人におかしなところはありませんでしたか? たとえば、言葉数が少なくなったり、とたんに冷たくなったり」

 いいえ、と彼女はかぶりを振った。

「むしろ、少ししたら元気になったんです。恋人のことは後悔しているけど、それでも前向きでいようという姿勢でした。わたしとしては嬉しかったですが、内気だった勝彦があそこまでポジティヴに振り切るだなんて。その、珍しかったので」

「それはいつごろのお話ですか」

「たしか……友里ちゃんが亡くなって三か月後でした。六月ぐらいでしたね」

 なるほど、とアリスが納得した。

 少し考え込むような素振りを見せて、

「ありがとうございました」

 アリスが礼を言って、首輪を取り外す。すぐには目を開かなかった。取り外したとたんに我に返る、というわけではないらしい。そのあいだにアリスが踵を返して歩き出した。

 神山はそれを追いかけて、横に並ぶ。

「何のつもりだ」

「記憶に残らないように、です」

「……赤の他人にあんなこと、言いたくないはずだろう、あの人は」

「私たちには必要な情報です」

「だとしても」神山は怒気を込めて言った。「それは俺たちの都合だ。その都合に合わせるために、利用するっていうのか」

 アリスがため息をつき、立ち止まる。ゆっくりと神山を振り向いて、無表情のまま、彼女は口を開いた。

「私たちは、正義ではありません」

 アリスは言った。

「一般常識や社会通念に従って進むのは、あくまでこの社会に生きる人たちの役目です。私たちは、その社会の毒なんです。だからこそ言うでしょう、毒を以て毒を制す。その役目を担うのは、紛れもない私たちです」

 呼吸する間もなく、アリスは一気に言い放った。少し疲れたように息をついて、深呼吸をした。

「これが、私たちのやり方なんです」

 それが、アリスたちのやり方。

 納得はできないが、理解はできた。きっと普通のやり方では、目的にはとうていたどり着けない。良心に甘んじていると、いつか足をすくわれるのは自分たちだ、と。

 彼らのやり方が正しいのか、間違っているのか。

 わからない、というのが神山の正直な感想だった。

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