第9話
3
神山が部屋を出ていったあと、
「瞳也クンの説得には、成功したのかなっ」
と、葵が訊いた。
「説得というには強引だったでしょう」
「そんな他人事みたいに。アリスちゃんがやったことでしょ?」
「…………」
罪悪感はないのか、と訊かれたら、あると答える。
今まで対峙してきた魔物は、異形か人型に近いかだった。人型に近いと言えども、そのどれもが思考が異常であったり、異形に変身したり。変わり種ばかりで、むろん共感できるはずもなかった。
だが、神山の知性はただ備えつけられた知性ではない。人間としてこれまで生きて培ってきたもの。彼なりの人間らしさがあって、はっきりと見下すことができなかった。
「迷っているね」
「迷ってなどいません」
「そうかな」
葵が引き出しからまたファイルを手に取った。今度は彼女自身がそれを開いて、読んでいる。
「何ですか、それ」
「瞳也君の経歴さ」
と答えた。
「しかし、不思議だね」
葵が興味深そうに言って、ページを繰る音が聞こえた。
「養護施設〈
アリスは、先日に読んだ資料を頭の中に思い浮かべる。
「たしか、彼には記憶喪失の症状があったとか」
「逆行性健忘症ってやつだね。強いショックが原因で、それまでの記憶、自分のことでさえも忘れてしまう」
はい、とアリスは顎を引いた。
八歳以前の記憶はない、と資料にはあった。神山自身も『神山瞳也』という名前しか憶えていなかったのだという。不幸中の幸いというべきなのだろうか。
もう一つ、と葵は人差し指を立てた。
「あの子の〈
「でも、魔眼というものはふつう人間には持ち得ないもの、ですよね」
「そうだね」葵は頷いた。「魔眼は魔族の産物ってこと、憶えているかい」
もちろんです、とアリスは答えた。
「通常、魔物の血統のうち〈バロール〉の血を受け継ぐ個体が、それぞれアレンジされた魔眼を所有している」
葵が満足そうに笑って言った。
「そう。でも人間にだって〝特殊な目〟を持つやつはいる」
葵は続ける。
「でもそれは超能力だ。異能力ではない」
片目を閉じて、アリスを見る。
「超能力と異能力の違いってやつだね」
アリスは頷く。
葵も頷き返す。
「人間自身が超能力者になるとき。それはあくまで、人が人として超越した結果に過ぎない。人の域を出ているんじゃなく、あくまで人としての可能性を自ら広げたんだ。でも瞳也君の場合、可能性を広げたどころか人としての形を失っている部分がある。それが、彼の持つ瞳だ」
葵は続ける。
「たとえば未来視。あれは、未来を視ている、というのは結果でしかない。その結果に行きつくまでの過程には、最大限の視力を発揮することにある。それは一般人としての『最大限』ではなく、人間という生物としての『最大限』。ほとんどの者が到達し得ない領域に、足を踏み入れる。あるいは、
アリスは、そんな葵を出し抜くかのような思いで、言った。
「人類に可能な第六感的な特殊能力を、『超能力』。対し、人類には絶対不可能なイレギュラーな特殊能力を、『異能力』──とそれぞれ称する」
超能力は正統にレベルアップを繰り返し、カンストしたもの──
異能力は裏技を使って、レベルを最大値以上にまで突破したもの──
人間の視点から見れば、つまりはそういうことだ、と葵が補足した。
「それに魔眼は通常、人や物に干渉できるという特徴がある。未来視や霊視といったものは、視ることはできても干渉とまではいかない。干渉できるのだとすれば、それはまたべつの能力。プラスアルファってわけ」
アリスと葵は互いに頷き合う。
しかし、そこで葵は首をかしげた。
「ただ、彼がなぜ魔眼を持ち得たのかは、あいにくあたしにもわからない」
「それは、たしかに……」
うつむいて、アリスも考えてみた。
先程の葵の仕草を真似するように、アリスも人差し指を立てる。
「考えられることはひとつ。彼には魔族の血が入っていて、遺伝により得たもの」
人と魔族が交配して混血が生まれることは、今ではもはや珍しくない。むしろ多くの魔物は、そうやって狩人たちの目から逃れようと考える。
アリスは言った。
「もう一つあるとしたら、人の手によって、彼の眼球が魔眼に取り替えられたか……だと思います」
ふむふむ、と葵が顎を撫でた。
「後者の場合だと、つまり彼には〝親〟がいるってことなんだよね」
そうです、とアリスは答えた。
「ふむ……そういや、彼の魔眼はどんなものだったっけ」
「私、憶えています」
「憶えている?」
「はい」
アリスは頷く。
「一年前、ある賞金首ハンターの拷問を行っていたところを見学させてもらったことがあるんです」
その賞金首ハンターとは、内輪で魔族に賞金をかけて勝手に殺し回る連中のことだ。賞金首ハンターは、いちおう組織的なものはあるが、ほぼ無法地帯と化している。
そのうちの一人のハンターが、神山瞳也の瞳に賞金がかかっているのを知り、彼の居場所を突き止め、殺そうとした。が、その次の一瞬に彼が見たのは──、
「──〈白い手〉、だったそうです」
真っ白で、女性のような腕。一キロ先まで伸びる長い腕。しかも一本ではない。そのうえ二本どころでもない。少なくともあのときは、この目で四本めを見た、と言っていた。
「でもそれが、いったい人にどういう影響を及ぼすのかは知らないんです。できれば、これからも折り合いをつけていくために知っておきたい。でも、人体実験するわけにもいかないでしょう」
「……ほうほう」葵が、またさっきのような意地悪な笑顔を貼りつける。「なら、試しにあたしに使ってみる?」
「え」
「私ならいいよ」
「でも、何が起こるかわからないですよ」
「いいよ」
「いや、だめですって」
「ワタシもね、ぜひ知っておきたいんだ。おまえの言う〝人体への影響〟というのが。そんなの関係なく、私という存在はね──」
──不滅なんだ。
「……心臓に悪いです」
「冗談さ」
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