第8話
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「さて、もう本題から始めちゃうか」
デスクの椅子に腰かけた葵が言った。昨夜と同じく、神山はアリスとベッドで隣り合って座っていた。
「瞳也君」
葵が呼んだ。
「今、ニュースで連続自殺が報道されているの、知ってる?」
神山は頷いた。
テレビをつけて最初に見るものは、たいていニュースだ。最近、たしかに連続自殺が話題になっている。
自殺者数は四人。場所や方法はそれぞれで、一人目から屋上からの飛び降り、自宅で首吊り、風呂場で脈を切る、陸橋から川へ飛び込み溺死……と、かなり惨い。
関連性の有無を期待したが、シチュエーションはバラバラ、被害者たちに共通項なし、残されたものは虚しくも遺書のみ。他殺はないだろうとされていた。
「それが?」
訊くと、葵は腕組みをして言った。
「あれは自殺じゃないんだ」
「……え」
そんな小説みたいな話があるものか、と言いたかった。ただ、アリスや彼女が従えていた化け物を思い出した。これらこそ娯楽の世界にのみ存在し得る代物だ。
それを比べれば、じつは他殺だった、というほうがまだ現実味を感じた。
「現に根拠はある」
「え?」
葵は片目を閉じて、にやりと唇を歪ませた。
「どの遺体にも、血がすっからかんだった」
「血が、すっからかん……?」
葵が続ける。
「血液が一滴たりとも検出されなかった」
血液が、一滴たりとも? そんなことがあり得るのか。
この場では、世の常識はまるで通用しないと理解したつもりでいた。けれど、ここまで荒唐無稽だと、常識に頼りたくなってしまうものだ。
「それが本当なら、それも誰かの仕業なんですか?」
葵は頷いた。
「……でも、なんで死体のことなんてわかるんですか」
「それはこれから説明するよ」
そわそわしてつい質問攻めしてしまった。
神山は口をつぐむ。
「あたしの親族にね、警察官の人間がいるんだ。で、警察内部には秘密の課があってね。早い話、それはアリスちゃんのように狩人。その狩人が所属する組織が、退魔組織〈シャサール〉。いちおう政府のトップからは認められた裏組織なわけ」
「国が認めているんですか?」
驚いて、また質問してしまう。
葵は頷きながら、
「それも、世界中の国がね。一部は知らないかもしれないけど」
それでね、と葵が続ける。「暗躍する以上、表の情報は必要不可欠。よって1954年の警察法改正に合わせて、表にはない課が作られたわけ」
「はあ」
「刑事部捜査六課。通称『秘匿課』といわれていてね。月浜署の青木サトルっていうやつが属しているんだけど、そいつからの情報なんだ」
「なるほど」
何となく理解して、神山は頷いた。
「報道だと、あくまで『自殺』として扱われているけれど、秘匿課はこれを『事件』と判断した。そのあとは、本部ないし支部にこの事案を通して、業者と呼ばれる実行部隊に依頼するのがいつものパターンってわけ」
狩人という単語は、昨夜に説明してもらった。
吸血鬼、人狼……それらの化け物が、じつはこの世に存在していて、そういった存在を秘密裏に狩る。漫画やゲームで、ドラキュラハンターなる主人公がいた。彼以外にも、そういった化け物と対峙する職業は、架空の物語上で存在していた。
それが、まさか現実に実在したとは誰も思うまい。
「遺体から血がなくなっていた。これはいったいどういうやつがやったんだと思う?」
「吸血鬼、とか?」
答えるのは早かったが、声が小さかった。
葵は指を鳴らした。
「そう! そのとおり!」
「はあ」
「で、その依頼内容っていうのが、この双木市に
「ですが」とアリスが口を挟んだ。「その依頼内容だけでは当然、何もわかりません。なので葵さんに情報提供を賭けてもらったんです」
「それ、賭ける必要あったのか?」
隣のアリスに尋ねた。彼女は無言だった。
葵がくすくす笑って、
「今回の依頼で百件目でさ。ここで手柄を立てれば昇進できるんだよ。で、いわゆるノルマみたいなものがあってね、魔族の中でも上級を捕獲ないし狩猟すれば、それなりの報酬が約束されるのさ」
「だから俺を捕まえたんですかぁ?」
呆れるあまり声が掠れてしまった。
葵は愉快そうに頷いている。恨めしかった。アリスにも視線を向ける。いかにも、悪いですか、と開き直っている態度だった。
ノルマ達成のついでに、捕獲した魔物を使って働かせる──つまり神山は〝ただのついで〟ということだ。
「それじゃあ、俺はこのまま解放されないってことなんじゃ……」
「いえ、そういうわけではありません」
アリスが言った。
「今月のノルマはすでに達成しています。問題は、百件目の依頼を無事に終えて昇進すること。その一つに尽きます。ここで失敗するわけにはいきません。ですので、保険はかけておくべきです」
「その保険が、俺……?」
はい、とアリスが頷いた。
「あなたの能力はとても強力です。その力を利用するためなら、どんな手を使ってでも構わないと私は思っています。ですから、〝捕虜〟として私の膝元に置くことで、何かしらの切り札にはなるだろうと思っているんです」
「はあ」
「ですが、無条件で協力してくれる、とは私も思っていません」
アリスは首を横に振った。
「この仕事にある程度貢献し、無事に達成できたなら、あなたをその首輪から解放しましょう」
「……ほんとか?」
アリスの淡々とした物言いに、つい疑いを持った。
彼女の眉が一瞬ぴくっと跳ねたが、見なかったことにした。
「もちろんです。約束いたしましょう」
「……あと、俺が『秘匿対象』だっていうの。あれもなんとかならないか。ずっと狙われ続けるって言ってたろ?」
「あなたが私に歯向かうことなく、組織に貢献できれば、『秘匿対象』ではなくなるでしょう」
「そんな単純なもんなのか?」
簡単ではないのだろうが、貢献すれば見逃してもらえると聞いてなんだか拍子抜けだった。
「あくまで疑いですから」
「疑いだったのかよ」
「疑わしきは罰せず、の真逆をいくのが私たちです。疑わしいものはすべて罰する」
そう言い、アリスは小指を出した。神山はきょとんとした顔で、「なんだこれ」と尋ねる。彼女は目を丸くして、
「約束ごとをするとき、日本人は〝ゆびきりげんまん〟とやらをするのでしょう?」
そのときのアリスの顔が、より幼く見えた。もともとあどけない顔立ちだ。顔をかたむけているときなんて童女のようだ。
「あ、ああ」
ほだされた、ということなのだろうか。
そのあどけなさが、神山の中にある庇護欲を刺激されたのだ。それでつい自分も小指を差し出した。お互いに小指を交わす。アリスの指は細いが、長い。だが手のひら自体は神山よりも
ゆびきりげんまん、とアリスが歌う。やや外れた音程だが、淡々と進めた。
「はりせんぼん、のーんます」
最後は神山も歌った。
終わった瞬間に頬が熱くなっていくのを感じた。
そういえば、教育実習のときもこんな感じだった。生徒の前で板書をし、手を挙げさせたり誰かを当てたり。学生たちの前で声を張り上げることの難しさを実感した。難なくこなしていたベテランの教師陣が神のように思えた。
「さてさて、じゃあ肝心の情報提供だけどね」
葵が神山たちを交互に見る。
「自殺者もとい被害者の情報が届いた。これだよ」
葵がデスクの上からファイルを手に取り、それをアリスへ投げた。キャッチした彼女は、ファイルを開いて中のプリントを黙読した。
神山も、なるべく身体が触れない程度に近づいて、肩口から覗き込んだ。
『 双木市連続自殺 調査書
・正田勝彦(二十四) 男
遺体の発見場所は東区月浜町二丁目の雑居ビルの出入り口あたり。屋上から飛び降りたと思われるが、血液は一切検出されず。死亡推定時刻は三月二十七日、午前三時前後。
遺体の発見者は出勤中だった伊東宏司氏(三十七)。
・岡本昭三(七十二) 男
遺体の発見場所は中央区来栖町五丁目○─××、岡本邸の居間にて首を吊った状態で発見された。岡本邸は4LDKの一戸建て。築年数五十年で、ちょうど五十年前、岡本昭三氏が購入した。死亡推定時刻は三月三十一日、午後十一時前後。
発見者は隣に住んでいて、岡本昭三氏とも交流のあった桂木紀子氏(六十四)。
・小坂みなみ(二十二) 女
遺体の発見場所は中央区来栖町二丁目○─××、自宅のアパートで、首の大動脈を包丁で切って死亡。アパート名は神木ハイツ。二階建てで、2LDKで最大八部屋。死亡推定時刻は四月二日午前一時前後。
発見者は松山有子氏(四十八)、アパートのオーナーで、家賃の催促のため訪問し、鍵が開いていることに気づいた松山氏は、中に入って倒れていた小坂氏を発見。』
──と、情報を頭の中に叩き込む。とくに三人目は、神山とも関係があるからだ。神山が目を離すより先に、アリスがファイルを閉じた。
「貴重な資料、ありがとうございます」と、彼女は軽く頭を下げた。神山もなんとなくそれに倣う。
葵は笑って、
「いいともいいとも!」
アリスは笑顔の葵をよそに言った。
「それでは支度をお願いします。しばらく泊まり込みの調査になるでしょうから、自宅から衣服や生活用品を持参してもらって構いません」
つまり持ってこい、という命令なわけだ。
「それから何をするんだ」
「聞き込みです。被害者遺族や目撃者、交流のあった人物に会いに行きます」
「そんなの警察が先に済ませているんじゃ?」
「特務案件となると話は違ってきますし、今回は特別なんです」
「じゃあ今回は?」
「初動捜査の段階で遺体の状態が異常だったので、すぐに六課に引き継がれましたからね」
「まあ、わかった」
神山は頷いて、さっさと部屋を出た。
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