第二章

第6話

第二章


  1


 窓の引き戸をスライドさせる。暖かい風が肌に優しく触れた。目についたのは桃色の花だった。腕を伸ばさずとも届くくらい枝は近くまで伸びている。枝から幹へ、幹から根本までを視線で辿る。木は芝生から生えていた。


 ここは、スコフィールド邸。

 富裕層が集まる草間町に建てられた洋館らしい。昨夜、気絶したあと目覚めたのはこの洋館で間違いないらしい。いまだ外装は見たことはないが、中を簡単に歩いたところ、想像以上に広かった。


 寝室は、二階の部屋をあてがわれた。というより、選ばされた。昨夜、どの部屋でも使って構いませんと言って、そのまま彼女は自室へとんぼ返りしただけ。なので言われたとおり適当に部屋を選んだ。


 朝を迎えて、ここを選んで正解だと思った。もともと部屋に置かれている家具等は、ほとんど同じなのだろうが、窓から見える景色はまるで違う。


「春って感じだなあ」


 神山は伸びをした。腕を下ろす。首に触れて、はっと我に返る。チョーカーの固い感触に、指先から全身に警戒心と恐怖心が渡ってきた。

 そうだ。今、自分は拘束された状態なのだ。何より驚きだったのは、昨夜の出来事は夢ではなかったことだ。これは紛れもない現実だということが嫌でもわからされた。


 がちゃ。


 扉が開く音がして、ぱっと振り返る。


「…………」


 アリスが立っていた。彼女の眉が上がる。見開かれた碧い目が、じっと神山を見つめていた。恰好そのものから無防備だった。兎柄のナイトキャップを被り、同じ柄のパジャマを着ている。

 そのときの印象は〝雪ん子〟だった。

 

「……なぜ、ここに」


 硬い声色。恰好と釣り合わなくて笑いがこみ上げてくる。


「なにが面白いんです?」


「いやっ、それは……ていうか、ここにいるのは君が適当に選べって言ったんだろ?」


「……そうでした」


 失敗した、とばかりに額に手をつくアリス。


「今日からこの部屋は使用禁止といたします。ここ以外でしたら、どこでも構いませんので」


「急だなあ」


「わかってください」


「わかったから睨まないでくれ」


 眉間のしわが深い。私怨を強く感じて、神山はすぐに退散しようとした。が、足を止めて、


「そういや、着替えないんだっけ」


 夢だろうと思って、昨夜はそのまま眠ってしまった。よって服は昨日のままだ。


「着替えですか」


 うーん、とアリスは唸った。


 少しして顔を上げた彼女は、部屋のクローゼットを開けた。そこに、何着ものスーツがかさばっている。薄暗いなかで、黒で統一された衣服ばかり。朝からなんとなくどんよりとした気分になる。


 その中から一着、アリスは手に取った。それをハンガーごと神山に差し出して、


「今日はこれで我慢してください」


 と、ぶっきらぼうに言った。


「あ、あぁ」


 もともと無愛想な子だとは思っていたが、今朝は拍車をかけて無愛想だ。


「あまり気にしないでください」


 と、冷たい一言。


 要するに詮索するな、ということらしい。

 服を受け取る。アリスが退室したときを見計らってそれに着替えた。中には下着もあった。他人の下着を履くのか。げんなりするものの仕方なく履いてみる。するとこれがサイズぴったりだった。複雑な思いだった。


 これはいったい誰のものなんだ?


 自分の姿を見下ろしていると、視界の端がふと気になった。窓の脇に首を巡らせる。


 写真立てだった。箪笥たんすの上にあった。木でできた額縁の中に、一枚の小さな写真がおさめられている。端が黄ばんでいて、かなり古いものなのだとわかる。


「……これは」


 緑の豊かな背景だった。

 奥から樹木の枝が見えて、上方には枝葉が垂れ下がっていた。そこの芝生に立つ一人の青年が、四、五歳ほどの女児と手を繋いでいる。アリスと同じ銀髪で、背は高い。手を繋いでもらっている女児のほうがつま先立ちしているぐらいだ。歳の差はかなり開いているようだ。

 青年は笑んでいるものの、目つきの悪さは緩和されていない。しかし美形ではあった。


 あの子の親族だろうか。

 たしかに、耳から顎にかけてのラインが綺麗なところは彼女とよく似ている気がした。


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