第5話

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 ついてください。


 そうアリスに言われるまま、彼女の後ろについて歩いていった。


 周囲を見渡す。どうやら図書館のようだった。空間は上から見れば四角形になるように作られていた。吹き抜けになっており、二階まであった。一階にまず、移動式の書架がいくつか並んでいる。それぞれ棚から作家名や大衆だの純文学だのと分けている。


 二階の書架は壁におさまっており、いくつか梯子も見かけた。目で見た限りだと、棚の中は七段ある。そのまま視線を天井へなぞると、いくつか照明が降りていた。古風な装いである。


 途中、並列した机の上で灯る蝋燭ろうそくを数えながら、アリスの後ろをついていく。と、鼠色の扉にたどり着いた。


 中世を思わせるようなふるい雰囲気をまとっていたこことは打って変わって、扉は現代的だ。


 扉の脇にあったボタンをアリスが押すと、自動的に開いた。


 乗り込んでみる。やはりこれはエレベーターだった。一分ほどでエレベーターは止まってすぐ扉が開いた。


 開いた先は、それはもう壮観そうかんの一言に尽きる。


 奥まで通路は続いており、その両脇、等間隔に扉がつけられている。見上げると、シャンデリアが光を降ろしていた。映画や写真でしか見たことのないインテリアばかりだ。感動していると、いつの間にかアリスとの距離が開いていることに気づき、小走りで追いかける。


 アリスは、右側の扉の前で立ち止まった。位置でいうなら、いちばん手前側にある部屋だ。


 軽くノックをする。

 と、


「ん? 何の用……?」


 アリスの背中越しに、扉から青白い顔がはみ出るところを見た。


 頬はくぼんでおり、ぼさぼさの髪をく手や腕はあまりにか細い。死人かと思うぐらいに。なんとなく女性だとわかるが、声がひどく枯れている。深い森の中を何日間も彷徨さまよったような顔つきだ。


「ご紹介したい人がいます。いいですか?」


「んあ? まあ、いいけど」


 アリスが横にずれて、その女性の真正面に立たされる。視線が合い、思わずそらしてしまった。アリスに目を向けると、


「こちら、カミヤマ・トウヤさん。ほら、私が前に言っていた、」


「ん?…………あーーーっ、ごふっ、げふっ」


 無理に叫んだものだから、女性はむせた。


「え、ええと」


 と、女性は口許くちもとに手を添えて、


「あれか。ドSちゃんが前から狙ってた奴。……ちょっと待って!」


 言って、扉が閉まる。

 でもそれは一瞬で、すぐに開いたと思えば、


「君、名前は? 字、なんて書くの?」


 と、たずねてきた。


 見ると、彼女の手元には大学ノートが一冊とボールペンが一本。


「え、ええと」


 神山瞳也、と字を教えると、


「ほうほうほうほう。神山瞳也くん、ね」


 神山瞳也神山瞳也神山瞳也神山瞳也……。

 名前をおぼえるように何度も呟き、手に持っていたノートを開いて、かちかちっと芯の先を出したペンで神山の名を書きつらねる。


「君、何歳?」

「え、二十二、です」

「なるほどねえ、大学は卒業した?」

「え、ええ」

「なるほどなるほーど。交友関係は?」

「二人だけ、です。男友達と、女友達とで一人ずつ」


 ひとりは大切な家族でもあるが。


「……なるほどね」


 声を落として、女性は顔を上げる。

 目元のクマはひどいし、目やにがついているし、お世辞にも綺麗とは言えない顔だが、どことなく引き込まれてしまう。きっと、その雰囲気にってしまうのだろう。

 女性は口を少しだけ開いて、


「君に相応しいテーマは、『喪失そうしつ』かな」


 と、呟くように言った。


「え?」


「アオイさん。本題に入ってもいいですか?」


「あー、はいはい。本題ね」


「こちらの方はアオキ・アオイさん。居候いそうろうです」


「あひゃ、どーも居候でーす」


 青木葵──字はあとで教えてもらった──は、おどけた調子で笑う。


 葵は扉をさらに開けて、「さ、どうぞ上がってー」と言った。


 中へ入ると、そこは雑然ざつぜんとしていた。


 一台のデスクトップパソコンが、無骨ぶこつなスチール製の机の上にある。そのパソコンの手前、右側の壁にぴったり本棚が置いてある。資料や小説、新書など……さまざまな書物がおさめられていた。


 生活感はあまりない。どちらかというと仕事部屋だ。唯一ゆいつ、それらしいものがあるとすれば、すみに置かれているベッドぐらいなものだろう。そのベッドでさえ、シーツ、布団、枕すべて白で統一とういつされており、どうも味気ない。


 しかしその味気なさを吹き飛ばしてくれたのは、部屋の中央にぶら下がった縄だった。天井の管から伸びており、あらかじめ結ってある。ちょうど首がくくれるほどの隙間だった。


 ふたりはとくに気にしていなかった。なぜ驚かない?


 葵にベッドに座るようすすめられる。促《されるがままアリスとふたりで座った。葵はスチールデスクから椅子を持ってきて、腰を下ろした。


「じつはね、ワタシとアリスちゃんで勝負をしてたんよ」


 と、葵は言った。


「賭け?」


 神山は首をかしげた。


「勝負というより試験みたいなものかな。ワタシが試験官兼採点者で、アリスちゃんが受験者。んで、前にアリスちゃんは言ったのさ。いつか必ず、最強の使い魔を連れてきてやるってね」


「そんな子供っぽい言い回しはしてません」


 アリスはむきになったように言った。


「実際、子供でしょ。──でね、もし本当に連れてきたらワタシはアリスちゃんに情報提供をする。でも、連れてこられなかったらそのときはこの家を譲ってもらうってのと、生活費を稼いでもらうために身体売ってもらうってことにしてたの」


「妙に比率が釣り合わないような……」


 しかもエグイことさせようとしてるし、と神山は苦笑した。


「でも連れてきたからねえ、条件どおり話させてもらうよ。あ、でも夜遅いから明日でいいー?」


「…………」


「だーって仕方ないじゃん! ワタシ今日ずっと缶詰状態だったんだよぉ⁉ いくら売れない作家とはいえ、忙しいときは忙しいのっ! もし原稿上がらなかったら首くくるつもりだったんだからぁー!」


「作家なんですね」


 最後の部分はそっとしておいた。


「そっ。ワタシこそが、星沢ほしざわオリオンさ!」


「あぁー」


 前にパクリ騒動で炎上していた人だったな。前に見た掲示板を思い出した。


「というわけで、今日は寝させてよー、お願いだよー」


 言われたアリスは、柿の皮を食べたみたいにしぶい顔をする。数秒ほど考え込んで、そっと息をつくと、


「わかりました、明日にしましょう」


 やった、と葵はその場で飛びねた。と、思えばすっ転んで頭を強打した。金切声に似た叫びをあげながら転げ回ったあと、すっと立ち上がって、


「さ、どいてどいて。そこワタシの寝床だからっ」


 アリスはさっさと立ち上がった。大人しく部屋を出ていって、神山もそれに続く。扉を閉められ、なんとなくとなりを見やった。アリスが俯いている。


「絶対追い出してやる……」


 そらそうなるわな、と神山は小さく頷く。

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