良薬は口に苦し

 「さあどうぞ、タルキウス様」

 リウィアは冗談でも悪ふざけでもなく、ただ純粋にタルキウスの健康を気遣っている。その思いが独り歩きしてしまった結果、このような液体が出来上がったのだ。


 その事をよく分かっているからこそ、タルキウスはこれを飲まなきゃいけないと追い詰められていた。

「……」

 とはいえ、中々勇気が出ないタルキウスはリウィアとコップを交互に見て、どうにかこの状況を打開できないかと様子を伺う。


 しかし、やがてそんなチャンスは無いと悟ると、恐る恐るコップを手に取って口元にゆっくりと近付けた。

 そして意を決してまずは一口。リウィア特製フルーツミルクを口にする。

「ッ!! ゴホッ! ゴホッ!」

 フルーツミルクを飲んだ瞬間、タルキウスの中に何とも表現し難い味が広がり、思わず咽(むせ)てしまう。

「り、リウィア、何これ? ゴホッ! ゴホッ! すごい味なんだけど……」


「ま、まあ、良薬は口に苦し、ってどこかの国のことわざにもありますし。ささ! まだ残ってますから」

 リウィア自身、味に関しては一切自信が無かったが、基本的に何でも食べるタルキウスなら大丈夫だろうと安易に考えていた。

 しかし、タルキウスの反応は想像以上であり、一瞬戸惑いを見せるも、何とか全部飲み干してもらおうと試みる。


「ねえ、これフルーツミルクって言ってたけど一体、何が入ってるの?」


「え? そ、それは、まあ、……企業秘密です」


「これから飲もうとしてる奴の中身くらい知っておきたいよ」

 いつもならそんな事は決して言わないタルキウスだが、今回ばかりは彼の直感が危険を知らせたのだろう。


「だ、大丈夫ですよ! 全部身体に良いものですから! 決して健康を害するようなものではありません!」


「……」

 栄養はあっても、不味過ぎて気分が悪くなりそう。

 そう言いたげにするも、せっかく自分を思って作ってくれたものを不味いと言う事はタルキウスにはできず、何も言い返せなくなり黙り込んでしまう。そんな中、タルキウスはある打開策を思いついた。

「あ! じゃあさ。リウィア、これちょっと飲んでみてよ」


「はい!?」

 まさかの発言にリウィアは思わず声が裏返る。

「……い、いやあ、でも、それはタルキウス様のために作ったものですし。わ、私が飲むわけには」

 明らかに嫌がっている。

 あまりに露骨に嫌がるので、これをタルキウスはチャンスだと捉えた。

「リウィアがこれを飲んでくれたら、俺も飲むよ」


「ほ、本当ですか?」

 タルキウスの言葉を聞いてリウィアの目付きが変わった。そして「分かりました」と答え、一瞬躊躇しながらもタルキウスが握っているコップを受け取り、目を閉じて一気に飲み干そうとする。

 しかし、フルーツミルクが舌に触れた瞬間、その見た目通りの酷い味が口の中に広がって思わず手を止めてしまう。

 あまりの不味さに目からは薄らと涙が浮かび、再び口を付けようとすると手が無意識に震えて口から遠ざけようとした。


 その姿を見てタルキウスは、自分の胸が締め付けられるような思いになる。

「ごめんリウィア! 俺、全部飲むから、もう無理しないで!」

 涙を流しながらも飲もうとするリウィアを目の当たりにして思わず口が滑ってしまった。

 タルキウスはリウィアからコップを受け取る。リウィアも少しは飲んだから、残りは後ちょっとだなと内心ホッとしていると、横からリウィアがポットを取り出してコップにフルーツミルクを再び注ぎ出す。


「ちょ、り、リウィア!」


 タルキウスが制止しようとした時にはもう遅かった。コップには再びフルーツミルクが満たされている。思わず溜息が出そうになるが、流石にリウィアの目の前でするわけにもいかず、グッと堪える。


「さあタルキウス様。どうぞ」


「う、うん」

 一瞬でも躊躇したら飲めなくなる。ここは一気にいくしかない。

 そうタルキウスは自分に言い聞かせてコップに口を付けて一気に飲み干そうとする。

 極力、舌や口の中には意識を向けないようにして、口の中に広がる味を紛らわしながら、とりあえず飲み干す事に全力を注ぐ。

 そして、短いようで長い格闘の末、遂にコップの中身を空にする事に成功した。

「ぷはぁッ!」

 タルキウスは口の中にのさばっている味を、飲み切ったという達成感で何とか覆い隠す。


 空になったコップを見てリウィアは嬉しそうに笑みを浮かべ拍手までしている。

「ちゃんと飲んで偉いです!」


「あ、あのさ、リウィア、今度はもうちょっと違う味がいいな~」

 はっきり不味いとは言わずに、かなり遠回しに味の感想を述べるタルキウス。


「あぁ、はい。今度はもう少し味にも気を遣います」

 流石にあれは酷過ぎたと自分でも自覚しているようで、リウィアは表情を一転させて申し訳なさそうにする。


「……でも、俺のために色々考えてくれたんだよね。ありがとう、リウィア」

 自分の事を気遣ってくれる。その事が素直にタルキウスは嬉しかったのだ。


「い、いえ、私はタルキウス様の侍女なんですから、当然の事をしただけです。だからそんな、お礼なんて言わなくてもいいですよッ」

 口ではそう言うが、表情は明らかに満更でもないという感じである。まるで息子に日頃の感謝の意を述べられて照れる母親のようだった。

「さてと。朝食も終わりましたし、そろそろ歯磨きをしましょうか」


「はーい」


 リウィアは部屋の隅に置いてある長椅子に座って、タルキウスがその長椅子に寝そべって頭をリウィアの膝に乗せる。リウィアに膝枕をしてもらう格好となった。

 タルキウスがリウィアに膝枕をしてもらってうっとりとした表情を浮かべていると、リウィアは自分の右手の人差指に麻の繊維を巻き付けていく。そして動物の骨や卵の殻を焼いて作った歯磨き粉をその上に塗る。


「お口をあーんして下さい」


「あー」

 タルキウスが口を大きく開けた。


「それでは失礼します」

 リウィアが右手の人差指をタルキウスの口に入れて歯を一本一本丁寧に磨いていく。

 指に巻き付けた麻の繊維が歯に付いた汚れをどんどん落とす。これがエルトリアで行われている一般的な歯磨き方法である。


「そういふぇあさ、リウィアってあしゃこはん、たへたの~?」

 リウィアに歯磨きをしてもらうために口を大きく開けているためうまく喋れないタルキウス。

 翻訳すると、「そういえばさ、リウィアって朝ご飯、食べたの?」と質問したのだ。


「は、はい。タルキウス様の朝食を作る合間に、頂きました」


「ふーん。そうなんだ」

 タルキウスは少し頬を膨らませてムスッとした表情を浮かべる。

 それを見てリウィアはクスリと笑った。

「あれ?もしかして怒ってます?私だけ先に食べてしまって」

 リウィアはタルキウスの口から指を離して、どこか楽しそうに聞いてみた。


「別に~。俺が腹ペコで苦しんでる間にリウィアはこっそり朝ご飯を食べてたって全然気にしてないよ~」

 怒ってないと口では言うが、口調や態度が怒っていると告げていた。

 そのあまりの分かりやすさにリウィアは愛らしさを感じずにはいられない。

「ふふふ。じゃあ、この膨らんだ頬っぺたは何ですか~?」

 リウィアはタルキウスの膨らんだ頬を指でツンツン突く。


「な、何でもないもーん」

 タルキウスは慌てて頬を萎ませてそっぽを向く。


「もーう、機嫌直して下さいよ~。じゃあ、お詫びに今日は一緒に寝てあげますから」


「一緒に寝るだけ?」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべて視線をリウィアの方に向ける。

 リウィアは恥ずかしがって顔を赤くしながらも観念したように口を開く。

「……分かりました。夜伽のお相手もさせて頂きます」


「やったー!」

 タルキウスはさっきまでの不機嫌そうな顔から一転して大喜びだ。勢いよく上半身を起こしてリウィアに抱き付いた。

「リウィア~、今夜は寝かさないからね!」


「ちゃんと寝て下さい!また寝不足になっちゃいますよ」


「えー、せっかくなんだから、リウィアといっぱいしたいよ~」


「一昨日の夜にたくさんしたばかりでしょう」


「できれば毎日したいくらいだよッ」


「ま、毎日はダメです! 私の身体がもたないです。……だいたいタルキウス様はいつも激し過ぎるんですよ」

 徐々に声が小さくなっていくリウィア。


「だっていつもリウィアが可愛い声を出すから、ついつい気合いが入っちゃうんだもん!」


「もう! タルキウス様ったら、そんなお世辞ばかりうまくなって……」


 結局今晩、リウィアはタルキウスと熱い夜を夜明けまで過ごした事は言うまでも無い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る