犬のチャーリー
板倉 遼
第1話
チャーリーが僕達のマンションに来てから一年が経った。
去年の春にショッピングモールで映画を観た後
ペットショップを覗いた唯さんが時一目で気に入って衝動買いをしたのだ。
どうして唯さんがそんなにチャーリーに引き付けられたのかは
僕には分からない。
だって模様はいびつで大きさも揃っていない
なによりディズニーに出てくるダルメシアンより間抜けな顔をしていたから。
唯さんは模様のひとつを指差し
「ほら見てこの腰のところ。ハートマークなの」と教えてくれた。
でも僕には贔屓目に見てもそれは、できそこないのそら豆にしか見えなかった。
唯さんは毎日散歩に連れていくし、世話も必ずやるからと約束した。僕に迷惑はかけないと。
唯さんの余りに熱心なおねだりを僕は断る事は出来なかった。
もし反対なんてしたら、唯さんはチャーリーと駈け落ちくらいしちゃいそうだったから。
そんなわけでチャーリーはその日から僕達と一緒に賃貸マンションに住むことになった。
それからの唯さんは約束通りチャーリーの世話を毎日欠かさずにしていた。
夜の散歩から帰ればバスルームでチャーリーの脚を洗ったし、テレビを見ているときや
ソファーでくつろいで居る時のチャーリーはまるで唯さんのボディーガードのように
ぴったりと唯さんの傍に寝転がり、僕の侵入を拒んだ。
唯さんは唯さんで、チャーリーのご飯を買ってくることは一度も忘れなかったけれど
僕のビールを買ってきてくれることは極端に減ってしまった。
そんな感じでチャーリーは唯さんにとても馴ついていて、いつも一緒にいた。
僕が嫉妬してしまう位だ。
犬に嫉妬するなんて自分でも不思議なのだが、それ位仲が良かった。
何故なら唯さんは僕と一緒にお風呂に入ることは一度も無かったけれど、チャーリーは週に3回もお風呂に入っていた。
それでも美容室の仕事へ出かける唯さんの後ろ姿を、小さく鳴きながら見送る姿を見ると、僕も少し悲しくなった。
僕が学校やアルバイトに出かける時には、昔のオーディオメーカーのトレードマークのような格好で見送ってくれた。
ある小雨の夜にそんな僕達の生活が突然壊れた。
いつも唯さんと一緒に帰ってくるはずのチャーリーが玄関の前でドアを引っ掻きながら哭いていた。
僕がドアを開けるとチャーリーは
リードを引き摺りながら階段を駆け降りていった。
僕もチャーリーの後を追って階段を駆け降りた。
階段の下でチャーリーは僕が降りてくるのを確認する様にふり向いた後、人通りの少ない道へと走っていった。
僕はチャーリーを見失わないように走って行くと救急車と軽自動車が不自然な方向を向いて止まっていた。
そこには人だかりが出来ていてその真ん中に唯さんが投げ出されるような格好で倒れていた。
僕はその人だかりの中に割って入り、チャーリーはまるで護るように唯さんの横に座り鳴き続けた。
その後唯さんは救急車に乗せられ、僕は同乗して病院へ行った。
犬 は 乗 れ な か っ た 。
救急車の中から後ろに目をやるとチャーリーがリードを引き摺り後をついて走ってきた。
チャーリーの姿は次第に小さくなっていき交差点を曲がった後、チャーリーはもうついてはこれなかった。
幸い唯さんの怪我はそれ程深刻なものではなかった。
それでも二週間程度の入院は必要だったけれど、特に後遺症の心配もないとの事だった。
それでも僕はその日から3日間は唯さんに付き添っていてマンションには戻れなかった。
唯さんが安定してからは、病院から学校やバイトに行ったせいでマンションにはほんの少しの時間立ち寄っただけだった。
しかしそこにチャーリーの姿は無かった。
いつもならドアの鍵を開ける音で駆け寄ってくるはずなのにチャーリーはそこには居なかった。
そういえば昔何処かで、動物は飼い主の危険が迫ると身代わりになるといった話を聞いた事がある。
もしかしてチャーリーは唯さんの身代わりになったのだろうか?
僕は目から涙が零れるのを感じた。
どうしようもなく悲しかった。
僕にとって唯さんは勿論かけがえのない人だが、チャーリーもいつの間にか大切な家族のようなものになっていたことに気づいた。
時間を見つけマンションの近くを探してみたり名前を呼んでみたが、間抜けな顔のダルメシアンはどこにもいなかった。
そして探すのを諦め病院へ向かう。
退院までの数日間、それが僕の日課になっていた。
病室で唯さんはチャーリーの事を聞いてきた。
でも僕は唯さんにチャーリーが居なくなってしまったことは言えずにいた。
唯さんは僕にチャーリーの食事と水を忘れないように与えることと、散歩をするように僕にお願いしてきた。
僕は適当に頷き分かったと言うことしかできなかった。そうして二週間が過ぎ唯さんが退院する日がきた。
うれしい筈なのに胸の奥の蟠りを残したままその日が来たのだ。
僕はマンションに着くまでにチャーリーの事を話そうと思ったが、唯の顔を見ると結局言いだせなかった。
「チャーリーのとこについたら事故の時の事をたくさん褒めてあげるんだ、だって命の恩人だから」
と松葉杖をつきマンションまでの道すがら、唯さんはずっと独り言のようにしゃべり続けていた。
そして僕達はマンションの部屋の前に到着してしまった。
マンションのドアの鍵を開ける時に僕は、チャーリーが居なくなってしまったことを話した。
唯さんはそのままドアの前で蹲って泣いてしまった。
僕は唯さんの背中を抱いたまま何も言えずにいた。
しばらくした後僕は黙って荷物を部屋の中に運び、唯さんに部屋の中に入るように言った。
唯さんがようやく泣き止んだ頃、階段を駆け上がってくる足音と息遣いがはっきりと聞こえてきた。
唯さんは階段の方を見たまま、もう一度大きな声で泣き出した。
犬のチャーリー 板倉 遼 @ITAKURARYO
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