雨につつまれて

砂鳥はと子

通り雨

 朝起きて外を見ると、清々しいまでの青空が広がっていた。暖かな日差しと風が心地よい。


 休みだけれど、特に予定のなかった私は散歩がてら、先月オープンしたばかりのホームセンターへ出かけることにした。家から徒歩十分もかからない場所にあり、オープン当日は行列もできてかなりの賑わいを見せた。さすがにもう混雑はしていないだろう。


 私は徒歩でホームセンターへと向かう。途中の大きな公園には桜がいくつも植えられており、ちょうど見頃となった花を惜しむことなく咲かせていた。

 子供たちが楽しそうに桜の雨の中を駆け回っている。帰りに待受用に桜でも撮ろうかと思いつつ横を通り過ぎる。


 ホームセンターは大混雑してはいなかったが、日曜日とあってか、なかなかに人で溢れていた。


 真新しい店内は天井も高く、広々としていて品揃えも豊富だった。


 日用品コーナーで必要な物をあっさり見つけはしたが、すぐに帰るのももったいない気がして店内をぶらぶらする。


 洗剤やトイレットペーパーなどの日用品。鍋やポットにフライパンと調理器具も並ぶ。文房具に大工用品、手芸材料まで色んなものが揃っている。見ているだけで目に楽しい。


 気がつけば一時間半もうろうろしてしまった。

 そろそろお昼も近いし、私はレジで精算を済ませて出口に向かう。


 空を見上げると先ほどまでの青空が嘘のように灰色の雲に覆われていた。


 朝の天気予報でも、突然の雨に気をつけてくださいなんて言っていた気がする。


 家まではすぐそこなので、雨に降られる前に帰宅できるはず。


 私はのんきに構えてホームセンターを出た。


 しかし私の希望的観測は外れて、すぐにポツポツと雨粒が落ちてくる。


 まだ弱々しい雨なので傘がなくても何とかなる。


 私はやや足早になりつつ家路を急ぐ。


 空からゴロゴロと不機嫌そうな雷の音がした。


(急に雷雨になったりしないよね)


 不安になったがのんびりしている暇はない。


 大きな交差点に差し掛かり、信号待ちをしていたら、雨足が強くなってきた。


 信号が青になると同時に私は駆け出し、路地に入り、先程の公園に逃げ込んだ。


 公園の真ん中には大きな山を模した滑り台があり、ちょうど真ん中がトンネルになっている。


 トンネル部分は大人でも身を少し屈めれば中に入ることができた。 


「あー、びしょびしょになっちゃった」


 髪も服もかなり水分を含んでいる。


 雨のせいかさっきまでいた子供たちも帰ったようで、公園内は静かだ。


 雨音だけが響いている。


「すぐ止むかな」


 もうすでに濡れているのだから、この雨の中を走って帰るか、それとも止むのを待つか。


 私はトンネルの中でため息をつきながら空を見つめる。


 風と雨で散った桜の花びらがあちこちの水たまりに浮いているのをぼんやり見ていたら、視線を感じて通りに目を向けた。


 白い傘を差した女性がこちらを見ている。


(不審者だと思われてたら嫌だな)


 と思っていたら女性はこちらへと近づいて来た。


(私に向かって来てる?)


 他に何も見えてないと言わんばかりに私に狙いを定めて、ずんずんと進んで来る。


「あの、良かったこれ使ってください」


 年は二十三くらいだろうか。私よりいくらか年下で、溌剌とした若さがみなぎっている。黒くややまなじりの上がった瞳が凛として印象的だった。


 女性は真っ直ぐに私を見据えて、自身が差している傘を差し出す。


「えっ!? いや、大丈夫。大丈夫です」


 この傘がなくなったら、目の前の女性がずぶ濡れになってしまうではないか。


「平気です。家、この近くなんで」


 こちらの返事も聞かずに女性は私の手に強引に傘を持たせた、と思ったら走り去る。


 いつの間にか雨足は弱くなっているが、若い女性を傘なしで放り出すには抵抗がある。


「待って!」


 私は慌てて荷物を掴んで後を追う。


「待って!!!」


 大きな声を出したら、女性が止まったので私は急いで傍により傘を傾ける。相合い傘のように二人で一つの傘を分け合う。


「傘、ありがとう。でもね、私も家は近いから大丈夫。雨も少し弱くなってきたし」


「あ⋯⋯」


「ん?」


 女性は何故か恥ずかしそうに俯いた。親切にしてくれたことに、急に照れくさくなってしまったのだろうか。


 沈黙が流れる。


 雨は私たちに配慮でもするがごとく、静かに弱くなっていく。


「上がりそう。これなら傘がなくても帰れる。ありがとうね」


 私は傘を女性に渡した。


「いえ。なんか、すみません」


「ううん。知らない人に親切にしてもらえるのって嬉しいなって思ったから気にしないで」


 通り雨だったのか、遠いところにある空に青さが見え隠れしている。じきにこの辺りからも雨雲は去るだろう。


「それにしてもすごい雨だったね」


 私はまだ恥ずかしそうな女性に話しかける。


「はい。急に曇って雨になりましたから」


「だよねー。いきなり雨は困るよね。このまま晴れそうだね。今のうちに帰るよ。傘、ありがとうね」


「⋯⋯はい。すみません」


 私たちは並んで公園の出口へと歩いて行く。


 空を見上げると、虹がかかっていた。 


「ねぇ見て、虹出てるよ」


「⋯⋯本当だ。⋯⋯きれい」


 二人で立ち止まり、七色の雨上がりの橋を見つめる。空から雨雲が引いていく。


 通り雨に遭遇しても、こんなきれいな虹が見られるならそう悪くないと思える。


 どちらともなく、再び歩き出す。


「あっ⋯」


 だが大して歩かないうちに女性の足が止まった。


「どうかしました?」


「いえ。あれもきれいだなって」


 女性は園内の片隅にある芝生を指す。


 まるで川のような帯状の水たまりができている。そこには広がり始めた青空がくっきりと映し出されていた。 


 磨かれた鏡のような水たまりの中の青空は、別世界への入口のようにも見える。


「ジャンプして飛び込んだら、どこか他の世界の空に行けそうだね」


「⋯⋯⋯」


 私の発言に女性はきょとんとしていた。子供っぽいと呆れられたかもしれない。


「お姉さん、ロマンチックなんですね」


「あはは、年甲斐もなく何か変だよね」


「⋯⋯そんなことないです。水たまりをそんな風に見られるなんて、ロマンがあって素敵だと思います」


「そうかな。ありがとう」


 私たちは公園への出口に来た。


「お姉さん、あの⋯⋯」


「ん?」


「⋯⋯私ずっと、実は⋯⋯お姉さんのこと⋯⋯。いえ、何でもないです。すみません。晴れてよかったですね」 


「そうだね。傘ありがとう」


 彼女の言葉が気になったけれど、それ以上何か聞けそうもないし、私はもう一度お礼を言って左方向に、彼女は右方向へと進む。


 きっともう二度会うこともないのかと思うと少し寂しい気がする。話したせいで情のようなものが湧いてしまった。


 彼女もこの近くに住んでいるらしいから、またどこかですれ違うこともあるかもしれない。


 私は一時の出会いと優しさに温かな気持ちになりながら、帰宅した。

 

 

 


 月曜日の朝は憂鬱だ。


 ただでさえ休みが終わって憂鬱なのに雨まで降っていたらなおさら。


 駅のホームで電車を待つために並ぶ。


 隣の列前方に並ぶ女性が白い傘を携えているのを見て、先週傘を貸してくれた人のことを思い出す。


 通りすがりに見ず知らずの人に、自分が濡れるのも厭わずに傘を貸せるなんて何て出来た人だったのだろう。


 私なら大変そうだなと思って素通りしてしまう。


 じっと見てしまったせいか、白い傘の女性がこちらへ振り返った。


「⋯⋯あっ」


 目が合う。あの時の女性だった。


 向こうもこちらに気づき会釈したので、私も同じように返す。


 お互い何となく見つめている間にホームに電車が到着した。


 彼女とはこの先も縁がありそうな気がする。


 そんな予感を抱きながら私は電車へと乗り込んだ。

 

        

                     

       

  

 

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雨につつまれて 砂鳥はと子 @sunadori_hatoko

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