第51話 最後の手紙

 小夜の部屋は、紅茶のいい香りがしていた、美波がひかりたちの分のお茶も用意してくれていたのだ。


 小夜が器用に車椅子を操り、首から下げていた鍵を使って本箱の引き出しを開ける。


「ひかり、悟さん。来てくれて本当にありがとう。これを‥ひかりに渡したくて。すまないね。」


 小夜は震える手で、テーブルの上に取り出した小箱を置く。小箱は洞窟で見つけた箱と同じように、綺麗な貝殻でおおわれていた。


「私も同席させていただいて、良かったのでしょうか?」


 悟はいつになく緊張しているように見える。


「私がお願いしたのですよ。悟さんにもお話しておきたいことがあって…。」

「はい。」

「お祖母様?」

「悟さん、この度のこと‥。巻き込んでしまって、ごめんなさいね。そして‥孫の命を救ってもらい…本当にありがとうございました‥。」


 小夜は悟に深々と頭を下げ、小さい身体をさらに小さく折り畳むような格好になった。


「いえいえ、とんでもないです。こちらこそ‥ズカズカと遠慮もなくお邪魔してしまい、申し訳ございません。」


 悟もかしこまる。こんな悟は見たことがない。


「お祖母様、私が悟さんを巻き込んだのです。なので本当は私が‥。」


 小夜はひかりの言葉を遮る様に、ひかりの手にそっとふれる。


「お祖母様?」

「悟さん、お名前はなんとおっしゃいましたかな?」

「あ‥。雛型悟と申します。」


 小夜は大きく頷く。


「やはり、そうであったか‥。」


 小夜は大きく息を吸い込み、話を続ける。


「咲夜胡が愛した、たった一人の人物の名が‥、雛型真悟さんなんじゃ。あなたは…桜小路家とのご縁が、あったんだな。初めてお会いした時に気づけばよかった。あかりの中にいた咲夜胡があなたに執着していたと聞いて、もしやと…。」

「あかりさんが言っていた、真悟って‥。」

「悟さん‥。」


「柚莉愛が言っていた。咲夜胡と真悟の二人はまた会える日が来ると。私は信じてやれなかった‥。でも、悟さんとひかりが出会い、ここにこられるとは‥。柚莉愛にはわかっていたんだろうな〜。その悟さんが、孫たちを助けてくれた。本当にありがとう。なんとお礼を言えばいいのかわからん‥。」


「小夜さん、俺は俺なので。真悟という方との関係は分かりません。自分が正しいと思うことをしたまでです。俺の方こそ、ひかりさんに出会えたことに感謝しています。それが最初から運命付けられていたとしても。嬉しいと思ってます。」

「悟さん‥。」


 小夜は小さく何度も頷き、目に涙を浮かべている。小夜もまた、龍三との間で思い悩む日が多かっただろう。心から愛した人がいたのかもしれない。ひかりたちが知らない場所で涙した日も‥あっただろう。


「ひかり、柚莉愛からじゃ。お前たちが生まれ、自分の置かれた立場を受け入れた後、これを大人になったひかりに、全てが終わった時に渡してほしいと言われ預かったものじゃ。」

「お母様が。」


 ひかりはなかなか箱を開ける勇気が持てなかった。母が自分達のために、龍三に身体を預けていたことを知っているから。それはどんなに苦痛を強いられたことか、ひかりには耐えられなかっただろう。


「私も中身は分からないんじゃ。あの子が何を考えこれを託したのかもわからない‥。あの頃の私は、娘を鬼に捧げ、神から授かりし力を覚醒させることばかり考えていた‥。母親失格じゃ‥。そうすることが正しいことだと思っていた‥。許しておくれ。」

「お祖母様‥。」


 ひかりはしばらく箱を見つめ、勇気を持って箱を開ける決意をした。


 箱のなかには手紙が入っていた。封筒には、ひかりへという文字が書かれていた。


『ひかりへ

 元気に過ごしていますか? あかりは大丈夫でしょうか?


 あなたは全てを知ったのでしょう。そしてもう一人の名もなき咲夜胡の存在を見つけていることでしょう。


 ひかり、あなたに知っておいてもらいたいことがあって、筆をとっています。


 私は鬼と共に生きる覚悟をしました。逃れる術を探し、運命に逆らおうともがき、その中であなたたちが産まれました。今は、あなたたちがいてくれて、本当に幸せです。それだけは忘れないでください。


 咲夜胡の話を、あなたたちも紅夜様から聞く日がくるでしょう。その咲夜胡には分身とも言える、もう一人の名もなき咲夜胡がいたのです。あなたとあかりのように二人は姉妹だった。鬼との距離が近くなればなるほど、名もなき咲夜胡の存在、悲しみが私を支配していきます。


 その名もなき咲夜胡は鬼と繋がり、この桜小路家に幸福と不幸をもたらします。力は絶大で、その力を恐れた当時の主は、名もなき咲夜胡を惨殺したのです。それは酷い仕打ちでした。その悲しみが、今もなお私たちを苦しめています。


 近い将来、私はその闇に飲み込まれるでしょう。あなたたちの側に居られなくなる日も遠くありません。


 でも、私には一粒の光が見えました。

 それは、あなたがその名もなき咲夜胡の苦しみを解放し、あかりを救ってくれた未来です。


 その日が来ることを望んでいます。


 大人になったあなたを抱き締め、傷つき心折れそうになっているあなたに大丈夫よと伝えたい。


 でも、それは叶わぬ夢です。


 鬼と結ばれたことで、私はくっきりと未来が見えるようになりました。

 あなたが名もなきもう一人の咲夜胡の魂さえも救ってくれた未来です。


 なにもできなかった母を許してください。あなたの母としていられた時間はかけ替えのない時間です。あなたを初めて抱いた日のことは忘れられません。


 後少し、残された時間で思い出をたくさん作りたい。あなたたちの母になれたことを心から感謝しています。


 あなたに未来を託した母を許してください。


 あなたには明るい未来が待っています。自分を信じて。


柚莉愛』


「お母様‥。」


 小夜が優しくひかりの背中をさする。ボロボロと涙があふれてくる。柚莉愛の愛に包まれて過ごした子どもの頃の幸せいっぱいの日々をひかりは思い出し、また涙した。


 名もなき咲夜胡の悲しみも、心の中にあふれ涙が止まらなかった。


* * *


 東京へ。車中二人は、ほとんど話すことなく時が過ぎていった。悟もどう声をかけていいか分からず、ひかりも口を開くこともなく、もうすぐひかりのマンションに到着する。


 途中渋滞もあり、深夜に近い。


「もうすぐ着くよ。大丈夫かい?」


 ひかりはボーッと外を眺めていた。こんなとき、男としてどうしてあげるのが正解なのか、悟は考える。考えてもどうしていいのかわからない。


 時間は過ぎ、ひかりのマンションのエントランス前に到着した。


「着いたよ。まだ落ち着かない様だったら、このままドライブにでも行くかい? 」


 ひかりの反応はない。悟は黙ってひかりの反応を待つ。


 どのくらい時間が経ったのだろう、悟はギアを入れ車をUターンさせた。


「悟さん?」


 今まで悟の声すら届いていなかったひかりが反応した。


「ちょっと付き合ってよ。」


 車は神奈川方向へ走り、小高い山を登る。30分ほど走ったところで、車は広い駐車スペースに停まった。

 深夜のこの時間、駐車場には悟の車と1〜2台の車が停まっているだけで昼間とは違った景色が広がっていた。


「着いた。ちょっと降りてみないか?」


 悟は車からおり、ひかりも後に続いた。


 少し歩くと目の前が開ける場所に着く。眼下に広がる景色はまるで宝石箱のようにキラキラしていた。この街一帯の景色が広がっている。

本格的な秋になり、空気が澄んでいるせいもあって、街も空も輝いていた。


「綺麗…。」

「だろ? 空にも星が見えるんだ。」


 ひかりは夜空を見上げる。星の名前に詳しくはないがいくつか大きい星が輝いて見えた。


「秋子と俺は、子どもの頃北海道に住んでたんだ。何もないところで夜は星がとても綺麗に見えた。天の川だって肉眼で見れるんだよ。すごく綺麗だった。」


 悟は空を見上げている。長時間の運転で疲れているはずなのに、穏やかで優しい声が聞こえる。


「都会の空はそこまで星が見えないからな〜。」

「そうですね。」


 ひかりが一歩前に進む。目の前の街の光に目を奪われているようだ。


「でも、ここからの景色も素敵です。色々な人が活動してる。」

「だな。実は…ここは秋子と俺のお気に入りの場所なんだ。」

「秋子の?」


 ひかりは悟の方を向き、ここしばらく秋子のことが頭から離れていたことに気づく。


「親父が亡くなった後、二人でこうして街を眺めたんだ。あん時、秋子は何も話さずただ街を眺めてた。」


 悟は手すりに体を預け街を眺めながら、話を続ける。


「俺はさ〜、親父とはうまく折り合いがつけなかったから、親父が病気になっても、苦しんでいても、俺に会いたいと言った時でさえ、全て秋子に任せてた。秋子も親父と俺の間で苦労してたんだと思う。文句も山ほどあっただろう。でもあいつは何も言わなかった。俺も聞かなかった。」


「親父が死んだ時も手続きなんかも全部一人で…。俺は葬儀に顔を出しただけ。喪主がいないのは困る。それだけ。」


 悟は振り向き空を見つめる。


「だからなんだ?って感じだけど、人はそれぞれ想いを抱えて生きてる。どう生きていくのか、どう苦しみと向き合うのか。」


「君のお母さんも、そうだったんじゃないかな? とてつもなく大きな決断をし、貫き通した。」


 悟はひかりに顔を向けた。その顔は悲しみを乗り越えてきた大人の顔だった。


「素晴らしいお母さんだな。」


「悟さん…。」


 ひかりの目にまた涙が光る。


 悟はひかりの頬にそっと手を添え涙を拭う。もう片方の手でひかりを抱き寄せたかった。


 でもできなかった。弱みに漬け込むような真似はできない。変な正義感が働いたのだ。抱きしめたら、今にも消えてしまいそうな、街の光に溶け込んで2度と会えなくなるのではないのかと不安を感じたからかもしれない。


 悟は泣いている子どもをあやすように、ひかりの頭を軽くポンポンと叩く。


「帰るか。」


 ひかりは頷き、悟の後を追う。ひかりは身体中が熱くなるのを感じていた。自分が今悟を求めていたことに気付いたのだ。咲夜胡のように、何もかも忘れて悟に身を預けたい。


「顔が赤いけど大丈夫か?寒かった?」

「い、いえ…、大丈夫です。」


 ひかりは自分の感情を持て余しながらもシートベルトを閉めた。この先、悟との共同生活が始まる。


 秋子やあかり、母のことを一時でも忘れてしまった自分を責める想いを抱えながら、二人は帰路へ向かった。


* * *


 男は暗い部屋の中にいる。カーテンもなく月明かりが部屋を照らしている。


『ありがとうございました。』

『じゃ、また明日。起きたら連絡して。荷物少しづつ運び入れたいと思って。』

『はい。了解です!』


 聞き覚えのある透き通った声が聞こえる。

 男は無表情のままゆっくりとベランダに向かった。


 感度は良好。ひかりの部屋の明かりがここからよく見える。


「勇二、そろそろ窓閉めてくれない?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桜の下で君は眠る 桔梗 浬 @hareruya0126

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ