第48話 桜と咲夜胡

 来た道をたどり、離れの縁側に戻る。この短時間で少し雨が降ったのだろう。庭の 木々がキラキラしていた。


 裏庭の桜の葉も例外ではなく、キラキラ輝いている。桜の近くまで行くには裏庭に出なければならない。二人は靴がないことに気づいた。


「靴、取ってこないとだな。」


 悟はひかりに、待ってってと言い玄関まで靴を取りに戻った。


 玄関には二人の靴が置かれている。二人分の靴を持ち離れの間に戻ろうとした悟の目に何かが飛び込んできた。


 傘だ。ここへひかりと来た時にはなかった傘が玄関に置かれている。しかも傘は濡れていた。


− まさか、勇二が!?


 悟は慌てて、ひかりの待つ離れの間に戻った。


「ひかりさん!?」


 ひかりは裸足で庭に降り、大きな桜の木にそっと手を添えていた。白いワンピースが時おりふく風になびいている。


「悟…さん?」


 ひかりは悟の方に振り向いた。桜の様に儚げで美しい。

 悟がほっと息をついたその瞬間、桜の影から人影が現れた。


「ひかりさん!」


 そこにいたのは、ひかりと同じ白のワンピースを着たあかりだった。

 長い黒髪を肩の長さまで切り落とし、ひかりと同じ髪型をしている。背丈もほぼ同じ。まるで桜からもう一人のひかりが生まれ落ちた様だった。


「あかり。」

「待っていたわ。ずーっと…。」

「あかり…。よかった。戻っていたのね。いつ?美波さんと一緒に?」


 悟は二人のやりとりを見つめることしかできなかった。あまりにも二人が似ていたからか、驚きのあまり体の機能が一時停止したかのように動けなかった。


 カシャっ。

 次の瞬間、あかりはひかりの手を取り手錠かけた。冷たくて重い。その手を桜の枝に吊るす。悟の方からは何が起きたのか、死角で見えていない。金縛りにでもあったように体が動かないのだ。


「あかり!?何を?」


 あかりはワンピースの裾をあげ、そこからナイフを取り出す。

 ひかりの頬にナイフを当ててこう呟いた。


「あかり? ふっ。私は咲夜胡。あなたをずっと待っていた。」

「あかり?」


 悟がやっとのことで体をお越し庭へ降りる。


「こないで!動いたら、この顔に傷をつけることになるわ。」


 あかりは、ひかりの顔にナイフを這わしている姿を悟に見せる。


「あなたも動かない方がいい。手が滑り首の血管を傷つけてしまうかもしれないわ。」

「つっ…。」


 ひかりの頬から血が流れ落ちる。


「やめろ!あかりさん! 君たちは姉妹じゃないか。」


 悟の言葉に、冷ややかな目であかりは答える。


「あなたも見たいのでしょ?この子が切り刻まれていく様を。美しく綺麗な肌が真っ赤に染まっていく様を。」


 あかりはひかりの胸元にナイフを這わす。


「私が、お前の中にいる鬼を目覚めさせてあげる。もう知ってるでしょ?鬼と化した獣に傷つけられ、痛めつけられ…契りを交わすことで、お前の中に眠っている力が解放される。私が解放してあげる。」


「やめろ!」


 悟は力を振り絞りあかりに飛びかかった。後ろからあかりに抱きつき、ひかりから遠ざける。


 ドスン。


 悟はあかりを抱えたまま背中から倒れ込んだ。あかりの手にはまだナイフが握られている。


「悟さん!」


 すぐにでも悟の元に駆けつけたいのに、ひかりの左手は桜に繋がれたまま。金属が皮膚に当たって激痛が走る。


 あかりはゆっくりと立ち上がった。悟は背中を痛めたのか苦痛の表情でひかりのいる桜の方へ退く。あかりの目を捉えけっして目をそらさぬようゆっくりと動く。


「お前もか。お前も私よりあいつを選ぶというのか!?」


 あかりの目は怒りと悲しみで赤くなっていた。


「あかりさん、落ち着いて。」

「あかり。お願いもうやめて。」


「その名前で呼ぶな! 私は咲夜胡だ!」


 あかりは叫ぶ。そして悟に馬乗りになり、優しく悟に囁きかけた。その豹変ぶりに寒気がする。


「真悟様、私を愛すると誓ってください。あの子ではない。私が本当の咲夜胡なのだから。」

「あかり…さん。」


 あかりは悟の頬に手を添える。愛する人を求める切ない感情が、悟の心にも流れこむ。


− イカれてる…。


「私はずっと、あの子の代わりだった。あの子の代わりに未来を予知し、あの子の代わりに獣とも契りを交わした。私は存在しない。全てはあの子のために生かされていた。でも…。あなただけは、あなただけは…。譲りたくなかった。どんなことをしても。それなのに…。それなのに…。」


 大粒の涙が悟の頬に落ちる。桜が騒ついている。風もないのに木々がさざめき始めた。桜の根が這い出し、ひかりの足を掴む。桜自体が意思を持ちひかりを逃さなくするかのようだ。


「あなたはあの子を選んだ。同じ顔を持つ私に気づき…、それなのにあの子を選んだ。それは間違いだったのでしょ? 今もう一度選ばせてあげる。あの子か私か…。」


 あかりはそう言い、悟の唇を奪う。


「うっ…。」


 悟は苦しそうに顔をしかめ、あかりを突き飛ばした。


「やめろ!俺は真悟じゃない。君は咲夜胡でもない。あかりさん、しっかりするんだ。」


 悟は腕で口を拭いながら、あかりに叫んだ。


 倒れ込んだあかりはゆっくりと起き上がり、ふらふらと悟の元へ歩み寄りながら涙を流す。


「なぜ、なぜ…。なぜ…。あかりとなって生まれたこの身も受け入れてもらえない?なぜ、ひかりだけ守られる?なぜ…。」


「あかりさん、しっかりするんだ。あなたは受け入れられていないわけじゃない。あなたを必要としている人がたくさんいる。思い出すんだ。」


 あかりは悟の言葉を聞き、再び悟の元に歩み寄る。


「私の力を必要としている人なんて、いらない。あなたが欲しい。あなたの愛が欲しい。どうすればいい?」


 あかりは懇願する。そっと悟の太ももに手を這わす。


「やめろ。」


 悟は後ろに飛び退き、あかりから距離をおく。ひかりと同じ顔、同じ髪型、同じ服を着たあかりに恐怖すら感じている。

 ひかりの顔で、艶かしい言葉が自分にかけられていることに動揺すら覚えていた。もしこれがひかりだったら、誘惑に耐えられただろうか。


「なぜ?そんなに私が嫌か? ならば、ひかりだと思えばいい。昔もそうしたように。それでも私は構わぬ。」

「あかり、やめて!お願いっ。」

「お前は黙っていろ!選ばれるのは私だ。今度こそ私だ。」

「あかり…。こんなことをして得られる愛は、本物じゃない。あなたもわかってるでしょ?」

「その名前で呼ぶな!今すぐ母の元へ送りつけてあげてもいいのだぞ。」


 あかりは真っ赤な顔でひかりを睨みつけた。


「俺が、お前を受け入れさえすれば…、ひかりさんを解放してくれるのか?」


− 考えろ。考えろ。あかりを思いっきりなぎ倒せば、ひかりさんを助ける時間が稼げる。手錠は外せるのか?考えろ。鍵はどこにある?


 あかりの注意を自分に向けるように悟はあかりに話しかける。

 あかりは悟の方を振り向き首を傾げる。悟の言葉の真意を確かめるように。少し考えたあかりは、震える手で悟の頬に手をかざした。


「真悟様。これからは二人で暮らしましょう。ここで二人だけで。この時をどれほど待っていたことか。真悟様。いつまでも二人で…。」


 あかりは悟にひざまづき体を預ける。


 悟はあかりを抱きしめることも、つけ離すこともできずにいた。あかりの頬を濡らす涙を胸で感じ、あかりが抱えてきた寂しさを感じてしまった。咲夜胡と自分を重ね、双子の姉に対する妬みを抱え過ごしてきた半生。


「あかり…。やめて…。」


 ひかりの声が聞こえる。ひかりもまた、あかりに対して哀れみの心を抱えている。


 悟はあかりをそっと抱き起こし、優しく髪を撫でる。そして今までひかりと過ごしてきた数日間について思い出していた。母の苦しみ、妹の苦しみを知り自分を責め続け涙した日。勇二に痛めつけられてボロボロになったあの日…。失いたくないと本気で思った。全てがひかりとの思い出。短い時間だったけれど、初めて会ったその時から心を奪われていたんだ、と悟は思う。ひかりと同じ顔をもつあかりを前にして、ひかりのことを想っている自分に気づく。


「お前も…。口だけだ。私のことなど少しも…。」


 あかりは悟の気持ちを察した。未来を感じ取った、と言う方が正しいのかもしれない。そして悟から体を離し、ボロボロ涙した。


「私は…。私は…。」


 あかりは、ひかりを見つめる。


「お前が憎い。お前さえいなければ…。」


 ゆらゆらと、あかりが立ち上がりひかりに近づいていく。あかりの目は血走り、涙と怒りで真っ赤になっていた。


「あかり…。」

「死ね!!」


− 私、死ぬんだ。ここで。


 ひかりは固く目を閉じた。これで全てが終わる。自分が死ぬことで全てを終わらせる。そうゆう意味だったのだと悟って。


「ひかりっっ!」


 ドスっ。


 悟が叫んでいる。それと同時に鈍い音がした。懐かしい香りがして母に優しく包まれているようなそんな感覚を感じ、ひかりはそっと目を開けてみる。

そこにいたのは、母でもあかりでもなく悟だった。


「っっ…。」

「悟さん!」


 ひかりをかばう形で、悟があかりとひかりの間に飛び出していた。悟の白いパーカーがみるみる赤く染まっていく。


「悟さん!悟さん!」

「だ、大丈夫だ。脇をかすってる…。痛てぇ…。」


 ひかりは悟を支えようと、空いている手で悟の腕を掴む。しかし悟はずるずると地面に倒れ込む。血の出ている脇を押さえる手も血で染まっていく。


− 大丈夫。俺は大丈夫だ。次の一撃が出たら…俺は守れるのか? 守れるのか?じゃない。守んだ。宮下勇二がいたら完全アウトだけど、俺は…。


「あかり、お願いっ。救急車を。悟さんを助けて!」


 ひかりは懇願した。あかりに気持ちが届くかわからないが、悟だけは助けたい。悟を桜小路家の問題に悟を巻き込んでしまったことを深く後悔した。


「いつもそうだ。私は望まれない。生まれてきたこと自体が悪だった…。じゃぁ、なぜ生かしておいた?なぜ私ではダメなのだ? あの時も咲夜胡はこう言った。”私があなたの望み通り鬼と死ぬ。だから真悟様に手を出さないで。”と。 そんなことを望んでいたんじゃない! 咲夜胡も私を受け入れてはくれなかった…。なぜだ‥。」


 あかりは大声でそう叫んだ。なぜだ?なぜ、なぜ? 心の底からの悲痛な叫び。


 あかりはひかりを睨み付ける。体全体で息をしながら…。


「わかっていた…。この世でも私は受け入れられぬ。お前が生きていようが生きていまいが同じことよ。」

「あかり…。」


 あかりはナイフを自分の首に押し当て、ひかりを見つめる。


「お前も後悔するがいい。また一人お前のせいで、人が死ぬ。お前が生きている限り、お前の大切なもの全て奪ってやる。ひかり…。後悔するが良い。」

「あかり!ダメっ。待って!」


 あかりが目を閉じた瞬間、目の前に黒い塊が横切った。


 パシっ。


 その塊はあかりの手の甲に当たりナイフを弾き飛ばした。


「っ…。」


 飛んできた塊は野球のボールだった。硬式のボールが地面に転がっていく。塊の当たったあかりの手はあっと言う間に赤く腫れ上がる。しばらくは痛みで動けないだろう。


 そのタイミングだった。庭先から数名の男が現れ、あかりを抱きとめた。


「離せー。触るなっ。離せっ。」


 あかりがもがくも、男の力は強い。


「大丈夫ですか?」


 もう一人の男があかりのポケットから取り出した鍵で、ひかりの手錠を外す。その男は宮古市だった。宮古市たちが桜小路家に到着したのだった。


 ひかりは傷ついた悟に駆け寄った。


「悟さん、悟さん、しっかりして。お願い目を開けて。お願い…。」

「今救急車を呼んでる。大丈夫だ。」


 宮古市が落ち着けとひかりを諭すも、ひかりの目からは涙が溢れ止まらなかった。


「お願い。死なないで…。」

「宮古市さん…。遅い…。」

「悪かったな。これでも早く駆けつけた方だ。もうすぐ救急隊がくる。頑張れ。」


* * *


 救急隊が到着し、悟は担架で運ばれていった。

 あかりは数名の警官に連行され、残されたのは数名の警官と宮古市とひかりだけだった。


 ひかりは縁側に座り、駆けつけた美波から暖かいお茶を手渡された。お茶の暖かさが心に染みる。


 宮古市が野球のボールを拾い上げ、ひかりに確認する。


「これは?」

「それは…。隠し部屋…。おそらく幼年期の宮下勇二さんの部屋にあったものです。」

「隠し部屋?」

「あそこから…。」


 ひかりは桜の絵の描かれた扉に目を移す。


 宮古市はそっと顎で部下たちに合図を送り壁を調べさせた。


「君が持ってきたの?」

「いえ…。悟さんが部屋から…。」

「そうか、あいつがこれを投げたんだな。いい腕してる。」

「私たち、悟さんに助けてもらったんですね。」

「元気になったら、手料理でもご馳走してやってくれ。ああ見えていい奴だ。」

「そうですね。いい人です。とても。」


 宮古市は、ひかりの側に座りひかりの手錠に繋がれていた腕を見る。とても痛々しい。手錠を外そうと相当もがいていたに違いない。土だらけの素足も痛々しかった。


「うん?失礼。」


 宮古市はひかりのワンピースの裾をそっと持ち上げる。ひかりの足首に、くっきりと手で掴んだような赤い跡が残っていた。


「これは?」

「あの時‥、桜が…。」


 ひかりも初めて気づいた。確かにあの時足を誰かに捕まれた気がしていた。


「桜?」


 宮古市は桜の根本に目を向けた。そこに白い物が地面から顔を出している。


「失礼。」


 宮古市は、庭に降りたって地面を間近で調べてみた。そこには人の骨と思われる物が顔をのぞかせている。


「鑑識を呼べ。」


 宮古市の号令で、桜小路家に鑑識の集団が入る。


「ここはまた騒がしくなる。君も病院でみてもらった方がいい。」


 宮古市はひかりの頬にこびりついた傷の具合を見て、救急隊員に声をかけた。


 ひかりが立ち上がると、白い人影が視界の隅に写り込む。そちらの方に振り向くと、桜の木の側に少女が立っていた。それは、あかりが夢にみた少女だった。忙しく動いている大人たちには見えていない。


『ありがとう。見つけてくれて。』


 ひかりは、少女の声が聞こえたような気がした。嬉しそうな優しく落ち着いた声だった。







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