第43話 咲夜胡からの手紙

 ひかりと悟は洞窟の入り口にいた。洞窟の奥は暗く月明かりも届かない。


「足元に気を付けて進もう。」


 悟はひかりの手を握りしめ一歩、また一歩洞窟への奥に入っていった。


 蔵の地下道と同じ、カビ臭い湿った空気が充満している。二人の息づかいと足音だけが洞窟に反響している。


− そうだ、ここをあかりと歩いた。奥から血の匂いをまとった鬼が…。


 悟の手を握る手に力が入った。


「どうした?」

「鬼が…。」

「鬼?」


 洞窟は右に急カーブしていた。ここは少し左に窪んだ地点。ひかりは震えていた。ここから先は行ったことがない。あの日この奥から鉄の様な血の匂いと獣の匂いがしていた。子どもの頃は分からなかったが、血と汗と体液が混じったような嫌な匂い。


「寒い?震えてる…。」


 悟はひかりを抱き寄せた。震える肩を抱き前方に光を向ける。


「錆びた鉄のような匂いがする…。鼻がきついな。」


 悟に触れている右側がとても暖かい。一歩また一歩前進する。


 右のカーブを曲がると広い空間が二人の目の前に広がった。綺麗な湧水、誰かが暮らしていた様な跡がみて取れる。驚きの空間だった。


「こ、ここは…?」


 ひかりは悟から離れ空間の奥に進む。

 木製の棚、机、朽ち始めた座布団の様な布製品、これは布団だったのか…。驚いたことにベビーベッドらしきものまで置き去りになっている。

 ここに誰かが居た証拠だ。床は石の上に畳が敷かれており、畳はところどころ黒ずんでいて腐食していた。


 崩れかけた木製の棚の奥から、石ではないものが見えている。懐中電灯を当てると鉄製の扉のようだ。さらに隅々まで懐中電灯を照らしてみると、至る所に蝋燭が置いてある。


「ちょっと蝋燭に火をつけてみよう。」


 悟は懐中電灯と一緒に部屋から持ち出したガスライターを取り出す。そういえばひかりの部屋の中にもいくつかの蝋燭とガスライターが置かれていた。停電などがおおいいのかと思っていたが、宿泊者が好んで使うものなのかもしれない。


蝋燭に火が灯ると、場所全体が優しい光で照らされ全貌がわかる程度まで明るくなった。


「ここは…。」


 悟は周りを見渡し、ぶるっと震えた。


「誰かを監禁していた場所…。そしてその人には赤ちゃんがいた…。」

「足枷が残ってる…。ベビーベッドがあるということは、そんなに昔の話じゃないな。」

「ひどい…。」


 ひかりはすぐに母のことが頭に浮かんだ。でも魔裟斗は病院で生まれた。ということは、ここは勇二が生まれた場所。


 悟はベビーベッドや机の周りを調べ始めた。


「何かここにいた人物が残したものがあるかもしれない。」


 ひかりも朽ちた棚にあるものを調べ始めた。どれもカビ臭く腐食が激しい。


「悟さん、これ…。」


 ひかりが目にしたのものは小さな箱。貝殻で装飾されたその箱は腐食を免れ輝きすら感じられる物だった。


 ひかりは箱をそっと手に取り、蝋燭の灯りの下に持ち出した。


「これは…。」


 蓋を開けると中には封筒や便箋の類が入っていた。一番上には、折り畳まれた和紙。何か書かれているようだ。


「命名 勇二」


 全身に鳥肌がたった。勇二はここで生まれたのだ。ここは勇二の母親が龍三によって監禁された場所。


「あの時、血の匂いをまとって出てきた鬼は、お祖父様だった…。」

「ひかりさん…。」


 想像していたこととはいえ、眩暈を覚える。気を抜くと倒れそうだ。


「まだ他にも入ってる。なんだろう?」


 悟がひかりを促す。


 その下には見覚えのある顔の写真が。昨日話をしてくれた吉田だった。笑った時の目元など面影が残っている。その隣にはにかむような笑顔の女性。二人は恋人同士だったのかもしれない。ここにも悲しい思いをした人がいる。


 箱の中身は、勇二の母親と恋人の吉田との間の手紙だった。最初の頃は相手を労わる言葉の多かった文章が、いつしか "殺して" と懇願している内容に変わっていった。母親の名前は舞奈。手紙のやりとりは途絶え、舞奈の思いが綴られた誰にも読まれることのないメッセージが何通か残っていた。


「ひどい…。舞奈さん…。ごめんなさい。」


 ひかりが空になった箱を机に置く。


 コトン。悟はその音を聞き逃さなかった。


「中に何か入っているみたいだ。」


 悟は箱を振ってみた。コトコト。何かが入っている。蓋を開けるが中には何もない。よくある箱の二重構造。引き出しはどこにある?


「底が二重になっているみたいだ。」


 悟は箱の底が開けられないか色々試してみた。押してみる。逆さにしてみる。引っ掛けるところはないかも念入りに探してみた。


「箱の左右の模様、キラキラしてますね。」

「本当だ。押せるみたいだ。」


 悟は両方に指をかざし押してみた。


 カチャ。微かに音が。中蓋が浮き上がった。


「とれた。」


 中には、貝殻で作られた小さな指輪と、メモが入っていた。

悟は指輪とメモを取り出しひかりに渡す。


『真悟様

私は貴方に会えて本当に嬉しかった。神からの贈り物も桜小路家も全て捨てる覚悟をしていたのに、このような形で貴方を裏切ることをお許しください。

どんな言葉を紡ごうとも、貴方を傷つけてしまったことに変わりはありません。本当に申し訳ございません。

私のお腹の中には今、貴方との新しい命を授かっています。このことが知られたら、貴方の命も、この子の命も失われてしまうでしょう。

それだけは決してあってはなりません。

私の命に変えても、それだけは守り通したいと思っています。


この先、桜小路家は試練の時を迎えます。全て私が神との約束を破り、貴方に心奪われてしまったから。でも私は後悔しておりません。

どうか貴方もご自分を責めることのないよう、お体に気をつけてお過ごしください。

決して、私との関係はなかったと貫いてくださいませ。

それが私の最後の希望のぞみです。


この手紙は私の死後、何年もの時を経て桜小路家の手によってもう一度、開かれるでしょう。その者は、桜小路家の呪縛を解いてくれる者。

どうか、咲夜胡を、もう一人の私を止めてください。貴方にはできるはずです。

鬼を引き寄せる力を持つ者。もう一人の咲夜胡を救って。


最後に真悟様

新しい家庭を築いてください。時が来たら貴方に会える。そう信じています。


咲夜胡。』


 ひかりはそっと手紙を置いた。咲夜胡の想い。


「もう一人の咲夜胡…。」

「これを書いた咲夜胡は、君にもメッセージを残している。」

「ここに咲夜胡がいた。」


 ひかりは、小さな指輪を手に取り光にかざしてみる。光の加減でパールのような七色の輝きや、深海のような深みのある色合いを見せる。


「真悟さんという人から貰ったのかしら?」

「咲夜胡が、心を許せる相手がいたことは事実だな。」

「よかった…。」

「これは君が持っていた方が良さそうだ。」


 悟は光の指に指輪をはめる。昔同じように指に指輪をはめてもらったような不思議な感覚がよぎる。


 離れの縁側で、髪の長い綺麗な女性が指輪をつけた左手を空にかざしている。すごく幸せそうな穏やかな時間がそこに流れている。太陽を背にしている男性が照れ臭そうに鼻の頭を掻いているのが見える。これはきっと…。咲夜胡と真悟だ。とひかりは思った。いつまでもこの時間が続けばいいのに、と心から願った。それは咲夜胡の思いなのか、自分の思いなのかはわからず…。


「ひかりさん? ひかりさん?」


 悟の声がする。


「あ、ごめんなさい。咲夜胡にも幸せな時間が流れていたんだなーと思ったら、嬉しくなってしまって。」

「そうだな。」


 二人はこの場所で見つけた貝殻の箱を手に屋敷に戻ることにした。


「そうだ、悟さん。あそこの木製の棚の後ろ、鉄の扉がある気がするんです。あの扉じゃないかしら?」

「見てみよう。」


 木造の棚は意外と脆く、悟が引っ張ろうと手をかけると、中央から上の棚が崩れてしまった。その後ろから現れたのは鉄製の扉。こちらにもドアノブなどのとっては見当たらない。


 天井部分には、何かの木の枝の模様が掘られていた。木の枝だけなので何かはわからない。


「これって、桜でしょうか?」


 ひかりが指をさす。


「そうだとすると、やっぱりあの蔵の冬の桜に通じているのかもしれないな。」

「他には桜に関係しそうなものは…。ないですね。」


 ちょっと持っていて。と懐中電灯をひかりに渡し悟は扉に体当たりした。


 ギギ。


 扉が少し開いた。やはりこの扉、押せば開くタイプだったのかもしれない。長い年月使われなかったために、錆びて動きが鈍い。


 悟は力一杯扉を押す。


 ギギギギー。開いた。人が一人通れるくらいの隙間ができた。向こう側を懐中電灯で照らしてみると、先ほど通った道のように見える。


「行ってみよう。」


 二人は頷き、一歩暗闇の中に足を運んだ。


 思った通りの出口だった。蔵に到着したのだ。外は少し明るくなり始めている。二人の顔や服も泥がついていた。


「大冒険だったな。」

「鍵、開けておいてよかった。閉じ込められるところでしたね。」


 ひかりはほっと息を吐く。


「閉じ込められなくてよかったよ。この時間だと美波さんを起こすのも申し訳ないしな。それに、収穫はあった。」

「はい。あの洞窟には勇二さんのお母さん、舞奈さんが監禁されていた。そして彼はあそこで生まれた。咲夜胡は実在していた。そして私に託されたものは、桜小路家の呪縛を解くこと。それが何かは全くわからないけど。」


 悟は蔵の扉を開ける。


「気持ちのいい空気だ。」

「秋子なら、どうするでしょう?」

「そうだな〜。あいつなら…。」


 悟の顔に朝焼けの優しい光が差し込む。


「まずは部屋に戻ってシャワーを浴びよう。っていうんじゃないか?」


 悟の優しい笑顔が、さっき見た咲夜胡の映像に重なる。


「真悟…さん?」

「うん? まだ何か調べる?」


 だったら付き合うぜ。と鼻の頭を掻く。


 現実と幻の境目が分からなくなりそうで、ひかりは首を振り幻を追い払う。


「戻りましょう。」

「了解。」


 ブブーブブー。悟の携帯にメッセージが入った。昨夜のメッセージが今電波が通じたことで届いたようだ。


『気をつけてくれ。宮下 勇二が病院から姿を消した。 宮古市』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る