第37話 母からの手紙
病院は迷路だ。
宮古市から聞いた病室に行くために、ひかりのいる棟から一旦一階まで降りなければならなかった。
ひかりは器用に松葉杖を操る。
「車イスを借りてくればよかったのに。」
「早く慣れないと‥社会復帰も遅くなりそうで。これもリハビリです。」
どう見ても痛々しい。
少し座る?という悟の提案も断り、C棟のエレベーターに向かう。
C棟は、ひかりのいるA棟と違って、新しい建物にもかかわらず、空気が重い。重症患者や抗がん剤が必要な患者が多くいるからかもしれない。
フロアーの中央にナースセンターがあり、みな忙しそうにしている。
目当ての部屋は廊下の奥にある二人部屋の病室だった。扉が開いている。カーテンで仕切られており、手前のベッドは空いていた。
「失礼します。」
悟は扉をノックしながら部屋に入っていった。部屋の入り口にあるプレートに"藤崎"と書かれていた。
- 藤崎さん‥。
ひかりも悟の後に続く。
「どちらさまかな?薬は飲みましたよ。」
奥からしわがれた声が聞こえてきた。窓側のベッドのカーテンが開いている。
声の主はベッドを少し起こし、老眼鏡を鼻に掻け本を読んでいた。年齢的には60代後半といったところか。
日焼けした顔や腕が、老いた老人というよりは、職人の親方の様な雰囲気をかもし出している。
「お休みのところ、申し訳ございません。藤崎宗次郎さんでしょうか?」
- 宗次郎?
「いかにも。君は?」
「失礼しました。私は雛型 悟と申します。」
「ほぉ、雛型さん」
「そしてこちらが…。」
ひかりも悟に続いて病室に入って顔を覗かせた。カーテンに松葉杖がケンカを売っているように意外と自由がきかない。
「上条 ひかりと申します。」
ひかりの顔を見て、宗次郎の手から読みかけの本が落ちる音が聞こえた。
「ひかりお嬢様…。」
宗次郎は体をさらに起こし、ひかりに側に座るよう促した。
「ご無事でしたか。よかった…。本当によかった…。」
老人から大粒の涙が流れ落ちた。
「あ、あの…。」
「お会いできてよかった…。もう思い残すこともありません。」
「宗次郎…?」
宗次郎と手が触れ合った時、子どもの頃の記憶が波のように溢れ出てくるのを、ひかりは感じていた。
優しいお庭のおじさん、宗次郎。庭にいる動物のことや、池の鯉のことなどいろいろ教えてくれた。そしていつも、あかりとひかりを気にかけてくれた大人。大好きな大人。
そして、あの惨劇の日…。ひかりを抱きかかえ、逃げる手助けをしてくれた人。
「宗次郎、あの宗次郎さん?」
うんうん。と宗次郎は頷く。
「ご苦労されたことと…。思います。痛々しぃ。派手に転ばれましたな。」
「そ、そうなの。だいぶ派手にやらかしちゃったわ。」
ひかりは宗次郎の話に合わせる。宗次郎は、勇二の一件を知らないかもしれない。
宗次郎は優しくポンとひかりの手に自分の手を乗せ、嬉しそうに目を細める。皺が増えたとは言え、あの頃の面影がしっかりと残っている。
「宗次郎、あの日のことを覚えている?」
「あの日…?」
「お母様や、魔裟斗、あかりに何が起きたのか。」
「それを聞いてどうなさる?」
宗次郎はスッとひかりから手を離し姿勢を正す。
「俺たちは、真実を探してるんです。」
今度は悟が口を開く番だった。
「彼女のこの傷、階段から落ちた傷でもなんでもありません。宮下勇二によってつけられた傷。彼女も命を落とすところだったんです。」
「悟さん…。言い過ぎです。」
ひかりが悟の言葉を遮る。
宗次郎は驚きのあまり言葉を失っていた。呼吸も止まっているのではないかと心配になるくらいに。
「あぁ…。とうとう勇二くんにも鬼が。」
布団の端を握り締めながら、宗次郎は項垂れ苦しそうにしている。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫です。とうとうその時が来たのかと…。」
宗次郎は部屋の窓に目を向け、目を細めた。窓からは青い空が切り抜かれ、雲一つない。
宗次郎をゆっくりとベッドに横たわらせ、ひかり達は宗次郎の次の言葉を待った。
「ひかりお嬢様も覚えていらっしゃるようですね。あの日のことを。あの惨劇を。」
「えぇ。だから、もう何も怖いものはないわ。宗次郎、あなたが私を助けてくれた。」
項垂れるように宗次郎は大きく頷いた。
「そうです。あの日、柚莉愛様にお願いをされていたのです。自分の戻りが遅かった場合は、離れに来てほしいと。そして ひかりお嬢様だけでも連れ出して助けて欲しいと。」
宗次郎はテレビ台に附属されている棚を震えながら指差し、箱の中から封筒を取り出して欲しいと悟にお願いをした。
棚の扉を開けると、葛折りの使い古されていい色合いになった箱が出てきた。
「これですか?」
「そうです。そこに色々大切なもん入れてるんです。開けてください。」
箱の蓋を開けると、宗次郎が大切にしているという子どもが書いた似顔絵の画用紙や、書類、手帳などが入っていた。
「悟さんでしたかな?箱の底の方に、柚莉愛様から受け取った封筒があるかと思います。とってくれますかな?」
少し黄ばんだ白い封筒があった。宗次郎は満足気にそれを開けてほしいと悟に告げた。
「本当は墓まで持っていかねばならないと思っておりました。が…。ひかりお嬢様がこうしてここに現れたということは、お伝えせねばならないのかもしれませんな。」
封を開けると、何枚かの便箋が折り畳まれて入っていた。悟は宗次郎に確認をとり、ひかりに渡した。
『宗次郎様
このようなお願いをするのは、とても心苦しいのですが
鬼はすぐそこまでやってきているのです。
どうかひかりを守ってください。
あの子はまだ鬼に見つかっていません。ひかりだけは、この桜小路家の呪縛から逃れなくてはなりません。そのためには、宗次郎あなたの力が必要なのです。
ご存じの通り、私たちには未来を見ることができます。
それは時として、残酷で不平等なものです。
舞奈さんも、私も、魔裟斗も、もうすぐこの世を去ります。
とても残酷で残忍な方法で。
私はあかりを守ってあげれなかった。あの子の中にある鬼を沈めることができなかった。
だから、せめてひかりだけでも。真っ直ぐに自分の信じた道を歩んで欲しい。
これから起きる惨劇をあなたも見ることになるでしょう。
でも悲しまないでください。それが私たちの運命なのですから。
その時が来たら、ひかりを助けてください。
そして、上条夫妻にひかりを預けてください。すでに夫妻には話をさせていただいております。ひかりが成人するまで。
どうかお願いです。ひかりを。助けてあげてください。
いつも私たちのためにありがとう。
残されるあかりと勇二くんを、よろしくお願いいたします。
お体に気をつけて。
柚莉愛』
「お母様…。」
「柚莉愛様には見えていらっしゃったんです。私たちは龍三様の性格を知っていた。なのに、誰一人立ち向かえる勇気のあるものはいなかったのです。この私も。誰も止められなかった。惨劇が起こることもわかっていたのに。」
「宗次郎…。でも母にはわかっていたのですね。あなたが私を助けてくれることを。危険を冒してでても、助け出してくれることを。」
宗次郎は目を閉じた。その当時のことを思い出しているのかもしれない。目から一粒の涙が流れるのをひかりは見逃さなかった。
「あかり様はご無事なのでしょうか?」
ひかりは何と答えて良いのか迷ってしまった。あの状態を無事とは言えない。
「今この病院で治療を受けてる。」
悟の声が頭上から聞こえてくる。それだけで宗次郎は何が起こったのか想像ができた。
「そうでしたか。」
「私は宗次郎のおかげで、これまで平和に不自由なく暮らしてこれました。本当にありがとう。どんなに感謝しても足りないくらい。 だから今度は、私があかりを桜小路家の呪縛から解き放ってあげたいの。宗次郎、何か知ってる?知っていること、何でもいいので教えて。お願い。」
宗次郎はそっと目を開け天井を見つめる。まるでそこに解答があるかのように。
「私も…。どうしてあげるのが良いのやら、検討がつきません。ただ、桜小路家と鬼との関係は、咲夜胡様が起因だと言い伝えられていると聞いたことがあります。」
「咲夜胡…?」
「悟さんはご存じないかもしれないですね。私たち子どもの頃に、曽祖母から聞かされていた伝説のようなお話の登場人物なの。確か…。素敵な人と結ばれる。そんなお話だったと思うんだけれど…。」
ひかりは、昔紅夜から聞かされた御伽噺のようなストーリーを思い出してみる。鬼との関係があった記憶は少しもない。
「紅夜様からお聞きになられてましたか。でもそのお話には続きがあるのです。私も詳しくはないのですが、その時から桜小路家は神と鬼に愛される様になったとか。」
「何があったのかしら。」
「現実離れした話だな。」
悟からすると、言い伝えや予言ということ自体も受け入れ難いのかもしれない。
「私の曽祖母も、母も未来が見える力を持っていたのは本当の様です。それは神から与えられし力、宝だと聞いていました。」
「そうなのか?」
「残念ながら、私には未来は見えないですけどね。」
ひかりは過去が見えるかもしれないことについては、悟に伝えるのはやめた。きっと理解してもらえないだろう。今は…。
「ひかりお嬢様。お体がもう少し回復されたら、一度桜小路家の屋敷に行かれてはいかがですかな?」
私も退院できるなら、一緒にご案内もいたします。と宗次郎は付け加えた。
「もう一度、行ってみたいと思ってました。」
「そうでしたか。そうしましたら、私の孫の美波が、桜小路家におりますので、尋ねてみると良いでしょう。小夜様の秘書をしております。過去の文献やらありかを知っていると思いますので。」
「ありがとう。」
「美波さんは、龍三のことや勇二のこと鬼のことも知っている?」
悟が心配になって宗次郎との会話に入ってきた。
「はい。存じ上げています。鉄のような心根を持った子なので、多少手強いかと思いますが、武をわきまえておりますゆえ、何なりと申し付けください。」
「宗次郎…ありがとう。美波さんに連絡してみますね。お婆さまはご健在なの?」
「お身体の具合が悪いと寝込んでいらっしゃいますが、桜小路家にいらっしゃいます。ひかり様にお会いできれば、お元気になられるかもしれませんね。私も元気をいただきました。本当に嬉しゅうございます。」
「私もです。また来ますね。」
宗次郎はゆっくりと目を閉じた。少し疲れました。と言いながら。
悟は宗次郎の大切なものが入っている箱の中から、1枚の写真を見つけた。
そこには、幼い少女と美しい女性が映っている。おそらく柚莉愛とあかり、ひかりだろう。宗次郎もまた、柚莉愛に心奪われた一人なのかもしれない。
そっと扉にしまい、悟はひかりの後を追った。
「柚莉愛様…。これでよかったのですよね?」
秋の訪れを告げる虫の声が聞こえる。
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