第36話 空と雲
- いい天気‥。
清みきった青い空が広がっている。もう秋の空、うろこ雲が遠くに見える。どこまで行っても空は青い。
子どもの頃、『雲がない日、空は寂しい。空がない日、雲は悲しい。』というような詩を聞いたことがある。空と雲のような人間関係を作りなさい。という教えだったかと思う。
- 今日は寂しくないわね。空と雲はいつも一緒。
ひかりは空を眺め、そんなことを考えていた。
ここは病院の屋上。寝間着姿の患者が何人か、読書をしたり歓談したり、自由に時間を潰している。意外と病院生活は暇なのだ。
昨日、悟から龍三の話を聞いた。助からなかったと‥。
当たり前なのかもしれないが、全く寂しいとも悲しいとも感情を動かされることはなかった。
あかりはまだ、集中治療室にいて予断を許さないらしい。会いに行きたい気持ちと、会うのが怖い気持ちが同居している。
それ以上悟もあかりの話はしない。ひかりもあかりについて病院スタッフにも悟にも聞くこともないので、不自然な時間だけが過ぎている。
「よっ。相変わらずぼーっとしてるな。」
ひかりの目の前にほうじ茶のペットボトルが、差し出された。ひかりの大好きなメーカーのものだった。
「悟さん。いつもありがとうございます。嬉しいんですけど、お仕事は?大丈夫ですか?」
「まぁ〜大丈夫でしょ。まだ片付いてないこともあるしね。俺は~フリーだから、時間はたっぷりあるのよ。」
ひかりの横に腰を下ろしながら、買ってきたドリンクを飲む。
いくらフリーでも‥心配にならない方がどうかしている。
ひかりも一口ほうじ茶を飲む。口を大きく開けられないのが辛い。目の回りのアザや口元のアザも、黒っぽくまだ残っていて痛々しい。
ひかりは夢の中で出会った少女のことが気になっていた。スッキリしない‥何かやり残したことがあるような、そんなモヤモヤをここ何日もずーっと抱えていた。
「悟さん‥。」
「うん?」
「落ち着いたら、もう一度鬼追村に行ってみようと思うんです。あかりの容態次第ですが‥。」
「何か気になることでも?」
悟の眠そうな顔がひかりを覗き込む。
「信じてもらえないかも知れないんですが‥。まだやり残していることが‥あそこにある気がして‥。」
夢の内容について悟には話していない。ひかり自身も確信があるわけではないのだ。
悟は寝癖のついた頭をポリポリと掻く。何か考えているときの仕草だ。
「そうか‥。俺も‥一緒に行ってもいいかな?」
真っ直ぐな目がひかりをとらえる。変わらず、優しくて力強い眼差し。
「もちろんです!むしろお願いしようと思ってました。」
本当に?と言いながら、悟は鞄からスマホを取り出し、ひかりに渡した。
「スマホ?」
見覚えのあるキーホルダーもついている。
「宮古市さんが、気を利かせてくれてね。あたらしいものを用意してくれたんだ。SIMは破壊されてなかったみたいだから、よかったよ。」
退院しても何かあったら、必ず連絡しろよ。と念を押された。
「ありがとうございます。」
スマホ。勇二にめちゃくちゃに踏みつけられ、あの時死を覚悟した。誰も助けてくれない。勇二の顔は鬼と化し、ひかりに絶望感を与えるのに十分だった。ひかりはあの時の恐怖が思い出され、指先が急に冷たくなるのを感じる。
悟に感づかれないよう、スマホを両手で握りしめた。
- 大丈夫。あいつはいない。大丈夫。私は大丈夫。
そんなひかりの変化に気づいたのか、悟はそっとひかりの肩に上着を掻け、優しく包み込むようにひかりを抱き締めた。
「悟さん‥。」
「…。」
悟は何も言わない。でもその優しさが、ひかりには痛いほど伝わってくる。
不思議と恐怖が消えていくのがわかった。
「あ、ごめん。」
ばつが悪そうにひかりから離れると、悟は照れたようにひかりに背を向けて座り直す。鼻の頭を掻きながら。
- 謝らなくていいのに‥。
ゴーっと頭上で大きな音が聞こえる。飛行機雲を作りながら飛行機が、二人の頭上をゆっくりと通りすぎていく。
悟はペットボトルのラベルをいじりながら呟くように言う。
「秋子の死については、殺人と言うことで再捜査が始まった。いずれ真実が明らかになると信じてる。君が聞いたことが、真実なんだって。だから、当初の目的は、果たせたんだ。」
「でも‥、私のせいで‥秋子は‥。」
あの勇二が、秋子を殺したのだ。衝撃的な告白。忘れたくても忘れられない。
足の傷が疼く。
「君の責任じゃないよ。だから自分を攻めないで欲しいんだ。ただ、君に話しておきたいことがあるんだ。秋子が調べ始めていた、桜小路家のこと。橋本家との関係、血縁っていうこと以上の関係、そして過去の事件の真相。これを調べてみようと思ってる。」
今度はひかりが、驚く番だった。自分のやり残していたことはまさにそれではないか。
そして悟はきっと‥真実を記事にするだろう。桜小路家の負の連鎖。色々な人が隠してきた事を。
「そう言えば、宮古市さん情報なんだけど、この病院に桜小路家の関係者が入院しているらしいんだ。後で会いに行ってみようと思うんだけど。君も来るかい?」
「もちろんです!ぜひ。」
「君ならそう言うと思ってたよ。」
偽りのない笑顔がひかりを勇気づける。
「さぁ、行こう。」
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