第35話 真実の1頁

「上条さん。起きてください。わかりますか?」

「私…。」

「手術は終わりましたよ。」


 ひかりは手術室の入り口でベッドに横たわっていた。どのくらい時間が立ったのだろうか…。見慣れない顔がひかりを覗きん混んでいる。


− 誰…?


 首も足も固定されていて動かせない。意識はあるようで朦朧としている。目を閉じればすぐに眠れそうだ。


「あかり…。」

「眩しいですかね? 上条さんは、この後病室に行きますよ。目を閉じていただいて大丈夫ですからね。」

 そう言うと、麻酔師と名乗った女性スタッフは視界から消えた。


− 長い夢を見ていた気がする。


 桜小路家の惨劇を目の当たりにし、神経はピリピリしていたはずなのに、今はとても眠い。背中からベッドに吸い込まれるような感覚がして不思議な感じが続いている。


 ベッドの周りに集まった何人かの病院スタッフの手で、ひかりは移動しているんだと実感した。でも非常に眠い。


− 天井が…、動いてる。悟さん? …眠い…。


 ひかりはまた眠りの中へ落ちていった。


* * *


『ひかり、起きて!目を覚まして』


 女性の声がして、ひかりは目を覚ました。首も足も固定されている。自由になる足は血液を循環させるための圧迫を繰り返すマッサージ器のようなものが接続されていて動かせない。

 どこかで聞いたような シューっ シューっ。という医療機器の機械音が定期的に聞こえてきた。


「う…。」


 誰かが手を握っていてくれている。暖かい感覚が伝わってくる。首を動かせないひかりには、誰がそばにいるかわからなかった。


「ひかりさん?」

 悟の声が聞こえた。そして視界に悟の安心しきった顔が飛び込んできた。


「悟…さん。」


 ひかりの声は麻酔で枯れていた。一生懸命ありがとうと伝えたい。あの時、あそこに飛び込んできてくれたのが悟だと確信したひかりは、精一杯声を絞って悟に気持ちを伝えたかった。


 悟が無事でいてくれた。そう思うと急に涙が溢れてきた。


「ゲホっ。あじが…と…ゲホっ。」

「大丈夫。無理しないで。もう大丈夫だよ。」


 悟はそっと頬を伝う涙を拭った。


「安心していいんだ。あいつも捕まった。明日ゆっくり話そう。今日はもう寝るといい。」

「あが…り?」

「彼女も別の部屋にいるよ。お屋敷の人がついていてくれるから安心して。今は自分のことだけ考えよう。いいね。」


 ひかりは悟の言葉で安心したかのように、また眠ってしまった。


− あの爺さんのことも、預言者あかりのことも、今は…。忘れていいんだ。


* * *


 コンコン。


 扉を叩く音が聞こえ、廊下から宮古市が顔をのぞかせた。


「よっ。彼女さん、意識が戻ったんだって?」

「お見舞いですか?ありがとうございます。」

「ま〜、そんなところかな。ちょっと時間あるかい?」


 悟は宮古市と一緒に病室を出て、談話室の方へ向かった。

 病院内は夕食の準備で忙しそうだ。歩ける患者は寝巻き姿で点滴スタンドを上手に引きながら病室へと戻っていく。

 部屋の入り口で止まっている配膳車からいい匂いがしていて、家族と笑談している患者も多かった。


「何か、わかったのですか?」

「宮下勇二はぼちぼち話し始めてるよ。胸糞悪くなる話ばかりだよ。まぁ、これからが本番だな。」

 宮古市は、たった半日程度ではあるが急に老け込んだように見えた。


「そうですが…。なんだか宮古市さん、疲れてますね。」

「君も。」


 そうだった…。悟は、この3日間風呂に入っていない。


「すみません。臭いっすかね?」

「ははは。お互い様だよ。」


 宮古市が缶コーヒーをおごりだと言いながら、悟に渡した。


「彼女さん、よかったな。」

「ありがとうございます。彼女ではないですけどね。」

「大切にしろよ。」

「わかってます。」


 ゴクリと美味しそうに宮古市がコーヒーを一口すする。悟も缶コーヒーの蓋を開けた。


「上条ひかりには、もう話したのか?」

「何をです?」

「爺さんが死んだこと。桜小路あかりのこと。」

「いえ、まだ何も。あの男、宮下勇二って言うんですね。そいつが捕まったことは伝えました。届いているかわからないけど…。」

「そうか。」


 しばらく二人は無言でコーヒーをすすった。

 談話室は食事時ということもあって誰もいない。時折廊下をスタッフが急足で行き来するくらいで、誰も悟たちを気にかける者はいない。


「君には話しておこうと思ってね。」


 宮古市は、悟の隣に腰をかけた。コーヒーの匂いが鼻をくすぐる。


「どこまで知っているかはわからないが…。桜小路家は代々未来を予言する能力を持っている者が生まれていたらしい。」

「予知能力って、警察がそんなことを信じているんですか?」

「まぁ、最後まで話を聞いてくれ。」


 宮古市はまた一口コーヒーを飲む。


「橋本太郎、橋本代議士だな。その父親が橋本龍一。お前も見たあの爺さんの実の兄だ。その爺さん、橋本龍三が桜小路家に婿入りして生まれたのが、桜小路 柚莉愛だ。彼女が、上条ひかりと、桜小路あかりの母親だな。」

「なるほど、それで橋本家は色々なことをもみ消してきたってことなんですね。」

「まぁ、そうなるわな。」

「宮古市さん、歯切れが悪いですね。今回もまた何かあったんですか?」


 宮古市は、手に持っていたコーヒーを飲み干した。まるで話す言葉を選んでいるようだ。


「ひかりとあかりは双子の姉妹だ。そして二人には弟がいる。いたと言ったほうが正解かもしれないな。母親の柚莉愛と共に行方不明になっていた。」

「行方不明…。」

「宮下勇二の言葉を信じるとすると、柚莉愛は龍三が、弟の魔裟斗はあかりが殺したというんだ。」

「えっ?」

「やつも子どもだったはずだから、記憶が正しいかはわからんがな。鑑識が何かを掴むだろう。」

「だといいですね。掴んでも、なかったことにならないことを期待してますよ。」

「相変わらず、辛口だね。」

「期待が大きければ、失望も大きいですからね。」


 宮古市は悟の肩をポンポンと叩く。


「我々も、真実を見極めたいと思ってるよ。」

「わかってます…。」


 今度は悟がコーヒーを飲み干した。


「宮下勇二って、何者だったんですか?」

「桜小路龍三と宮下舞奈という女性との間に産まれた子どもだ。戸籍上は父親の欄が空欄だったがな。」

「桜小路家の者だったんですね。」

「ひかり、あかりとは叔父と姪の関係だな。」

「複雑ですね…。」

「あいつの話を聞いていると、何が正しくて何が悪いのかわからなくなるよ。」

「随分弱気ですね。」

「そうゆう気持ちにもなるさ。」


 宮古市は大きく息を吸い込む。ここからが本題なのだろう。


「雛形秋子さん、君の妹さんを殺害したのが宮下勇二だった。」

「やっぱり…。そうでしたか。」

「驚かないんだな。」

「驚くも何も…。あいつを殴った時、あいつは喜んでた。気持ち悪い笑顔で。ニヤニヤしていやがった。俺が秋子の兄であることも知ってたんだと思います。」

「そうだな。大丈夫か?」


 悟が握りしめている缶コーヒーがプルプルと震えている。


「あいつ、裁けそうですか?」

「証拠を集めてるよ。」

「まさか!?」


 ガタンっ。

 悟が宮古市に詰め寄った。急に席をたったため、椅子が大きな音を立てて倒れる。


 音に気づいた病院のスタッフが慌てて部屋に入ってきた。


「大丈夫ですか?」


 大丈夫です。と言って宮古市が椅子を片付け、悟を椅子に座らせた。


「すみません。」

「君の妹について真実の扉が開いたんだ。あとは任せてくれ。それを伝えにきたんだ。」

「…。」


 宮古市は悟の肩に手を乗せてそう伝えた。宮古市の手も温かい。宮古市の立場も悟は十分に理解していた。宮古市が悪いわけではない。


「あいつに会えますか?」

「宮下か? 今は無理だな。」

「いつか会えますか?」

「そうだな。最善を尽くそう。」


 また政治家みたいな言い方を…。悟は苦笑いをするしかなかった。


「今は、上条ひかりに寄り添ってあげてくれ。」

「わかってますよ。」


 宮古市は空のコーヒーを、最後の一滴を飲み干すように口にする。


「また来る。」

「忙しいんだから、いいですよ。何かわかったら連絡します。」


 缶をゴミ箱に入れ、宮古市は去っていった。


 宮古市は悟の行動力を評価している。だからこそ心配をしていた。隠蔽なんてことは心底許さないだろう。政治的な取引なども一切悟には伝わらない。もしそのような動きが起きたら、自分は悟を守ことができるのか、自信がなかった。


 宮下勇二の精神状態を疑う者も出てきている。


 宮古市ですら、勇二の狂気に取り憑かれた目を見て寒気を覚えている。


− あいつは人間じゃない。

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