第32話 「龍三」

 体が動かない。


 あの日、あかりと勇二が珍しく酒の席に同席していた。いつもは逃げるように自分達の部屋に戻っていくが…。

 屋敷の者も早く下がらせて、あかりに寝室に来るように伝えたところまで、記憶がある。


 その後目覚めてから、ずっと体が動かない。

 意識ははっきりしている。言葉を発したいのに、声が出ない。


− 誰か!誰かおらんのか?


 しばらく経って、通いの主治医が何人ものスタッフを連れてやってきた。


「ベッドに移動するよ。せ〜の。」

 6人がかりで、龍三を布団の上から介護ベッドへ移動させる。

「老人なのに重たいっすね。」

 まだ学生なのだろうか、龍三を老人扱いするとはいい度胸だ。


 手際よく、点滴や管が身体中にセッティングされていく。


− やめろ! 勇二!やめさせろ。


 勇二の姿も、あかりの姿も見えない。

 全てのセッティングが完了して、医師たちは帰っていった。


− 病気なのか?こんなに意識ははっきりしているというのに…。


 龍三は初めて自分の置かれた立場を認識した。体も動かない。声も出ない。意識はしっかりと存在している。

 誰も自分のことを気にかけない。離れにベッドが運ばれ、この部屋で一人なのだと。


 医療機器の定期的な音だけが、耳障りな音をたてている。


 シューっ シューっ。


 天井や微かに見える壁には、かつて自分が犯した惨劇の後がくっきりと残っていた。

 今や龍三の楽しみは、その時の高揚感を思い出すことのみ。


 目を閉じれば、あの時のことが今のことのように思い出される。


 柚莉愛が魔裟斗を連れて桜小路家に戻って来てから間も無くして、龍三は舞奈とその息子の勇二を、洞窟からこの離れに住まわせることにした。


 離れは限られた者しか立ち入れない様にしたのも龍三である。

 魔裟斗と勇二は、兄弟の様に過ごすことが多かった。魔裟斗はとてもおとなしく優しい子で、どちらかというと勇二の方が龍三の血を濃く受け継いでおり、いつも一歩下がったところで妾の子という立場を理解しつつも、凶暴な一面を時折見せる傾向にあった。


− あれは大人になった時が楽しみだ。私の代わりに桜小路家を支配する時がくるかもしれんな。


 儀式と偽り、離れに連れてくるあかりに対して時折見せる冷酷な行動を、龍三は眺めて楽しんでいた。


 この離れで、自由を得た舞奈は女から母親になり、龍三に対しての態度にも変化が見られるようになっていた。以前は使用人としての引け目や謙虚さがあり、いつも怯えた目をしていた。罪悪感と快楽が同居したような目。そんな舞奈を龍三は気に入っていた。だが最近は柚莉愛に対しても、傲慢な態度がみて取れる。この離れに暮らしていることが特別だと言わんばかり。


 そんな舞奈に龍三は怒りを覚えることもしばしばだった。

 もちろん、龍三に献身的な態度を見せる舞奈だったが、エスカレートする龍三の行為を彼女自身が楽しみ始めている様な気さえして、吐き気がする思いを龍三は感じていた。


− つまらん。


 爪を噛み、部屋の中をうろうろしてみるが、一向に気分は晴れない。


− そうだ、勇二にこの快楽を教えてやろう。息子の豹変ぶりをみた時の舞奈の顔。どんな顔をするだろうか。


 そんな龍三の思いつきが、あの惨劇を産んだのだ。


− あかりにもそろそろ、教えなければならない。ここまで待ったんだ。期待通りに育ってもらわなければ困る。


 龍三は自分の考えに酔いしれた。笑いが止まらない。


* * *


 龍三は橋本家の三男として生まれる。すでに政治一家として頭角を表していた橋本家で、何不自由なく暮らしていた。長男の龍一は父を超えるほどの才覚を持っており、将来は総理大臣のポストも期待されていた。次男もまた裁判官という立場で法曹界を担う存在。そんなエリートの一家に産まれたのが龍三だった。


 龍三はというと、親のコネでなんとか入学できた大学にも馴染めず、期待はずれ、橋本家の厄介者として肩身の狭い思いをして暮らしていた。だから自分の置かれた立場を理解し常に周りの目を気にしながらの生活を強いられていた反面、キレると何をするかわからない性格で、周りの者も腫れ物に触るように龍三を扱っていた。


 そんなある日、桜小路家との縁談が持ち上がった。橋本家にとっては絶大な支援の柱として、桜小路家にとっては政治家との太いパイプを狙ったいわゆる政略結婚で、両家にとって願ってもない良縁のはずだった。


 当初は次男の龍二が、小夜の相手として桜小路家へ婿に入る予定だった。


 が…。結納直前で不慮の事故で他界。代わりに龍三が桜小路家に婿入りを果たしたのだった。事故の原因は未だ謎に包まれている。


 龍三にとって桜小路家での暮らしは願ってもないものであった。たった1つを除いて…。


 桜小路家では代々女性が家の全てのことを取り仕切っていた。龍三はよそ者であり、ただ子孫を残すための種馬にすぎず、小夜に至っては柚莉愛が生まれるとすぐに龍三と床を分け暮らすようになった。使用人ですら、そんな龍三を心から歓迎するものは誰一人いなかったのだ。


− ここでも私は厄介者か。


 そんなある日、新しく屋敷に使用人として現れたのが舞奈だった。

 若くして家庭の事情で住み込みで働くことになった舞奈。色が白く肌も艶やかで弾力があり男が虜になるホルムをしていた。潤んだ瞳、艶やかな唇、豊満な胸元、何より龍三に対して使用人である立場を崩すことなく控え目に接する勇逸の存在だった。


 お茶がぬるいと言って叱った時の舞奈の怯えた目、土下座をして詫びた時に見えた胸の谷間。その瞬間、龍三は舞奈に心を奪われた。

 そして今までの鬱憤を晴らすかのように、舞奈への想いはエスカレートし龍三は舞奈の苦痛に歪んだ顔を見ることへの快楽を味わう鬼へと変わっていた。


* * *


 あの日、柚莉愛が泊まりがけで外出をすると言っていた。この機会を逃す手はない。

 龍三は出来損ないの息子純一郎を離れに呼んだ。自信のない口調、ねちっこい言葉遣い。どれをとっても息子と認めたくないほどの出来損ないぶりだった。


− このまま生きていたって、私の力にはならん。


 龍三はなんの躊躇いもなく、睡眠導入剤入りの酒を飲ませた後、離れの柱に括りつけ口にはタオルを押し込んでおいた。


− せめて私を存分に楽しませてくれよ。息子よ。


 その後、あかりを離れに呼び寄せた。誤算があったとすれば、あかりが魔裟斗を連れてきたことだった。魔裟斗には儀式を見せたこともない。柚莉愛に話でもされたら大変なことになるのがわかっていたから。


 だがこの時の龍三には、そんな余裕はなかった。これから起こることに舞奈がどんな表情を見せるのか、それを考えただけで身体中の血が勢いよく流れ、嬉しさのあまり叫びたい気持ちを抑えるのに必死だったのだ。


 儀式として龍三は裸になりふんどし姿となった。あかりと勇二も下着だけになることを指示し、準備は整った。

 木でできた盆に和紙を敷き、その上に鋭利なナイフと斧、大きなペンチ、縄などを並べておいた。どれを使うかは本人たちに任せるつもりで。


 あの時のあかりは、鬼に支配されていた。躊躇なく容赦無く舞奈を、魔裟斗を切り刻んだのだ。顔色一つ変えず。


 首筋から流れ落ちる返り血が、あかりの小さな胸元に垂れ、下着はくっきりと体の線をあらわにしていた。まさに芸術だ。


* * *


 縛り付けられたベッドの上で龍三は思う。


− 十分楽しめた。これからは勇二が桜小路家の者に苦痛を与えていけばいい。

 あかりの本質を勇二も知っている。あれは面白い。


− 心残りがあるとすれば、橋本家が没落していく様を見ることができなかったこと。兄たちはいつも正しく、自分は橋本家の出涸らし。母上すらそう言っていたではないか。だが、皆が心の底で思っていること、必死で抑えていることを具現化できたのは自分だけ。なんて素晴らしいことなんだ!


 龍三が目を開けるとそこには、龍三のベッドを囲うように、龍三の手で苦しめられ亡くなっていった者たちが立っている。血だらけの青白い顔をして…。


 飛び立つヘリコプターの中、龍三には機械音すらもう聞こえなくなっていた。


− 舞奈。もうすぐわしもそこに行く。


 舞奈はうっすら笑みをこぼしたように見えた。


 ピーピーピーピー。


 ヘリコプターの中は、医療器具のアラート音が響き渡る。

 奇しくも、勇二の行動を止めた悟に見守られ、龍三は深い眠りに落ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る