第31話 生きる

 どのくらい時間が経ったのだろう。龍三の医療機器が定期的な音をたてている。


− あかり、あかりは!? 勇二は!?


 カランっ と音を立ててナイフが床に落ちた。あかりの手から落ちたナイフだ。

 続いて、バシっ、ドスン。と言う音が聞こえた。


「あかり!」


 倒れたのはあかりの方だった。勇二に平手打ちをされ、お腹を蹴り倒され、お腹を抱えて痛みに悶えている。


「っっ…。」

「あかり!」


 勇二は容赦無くあかりの胸ぐらをつかみ、ビンタを連発した。あかりの口の中が切れたのか、口元から血が流れている。


「やめて! もうやめて!」

 ひかりはめいいっぱい叫んだ。


 勇二はぐったりしたあかりを抱きしめ、頬を髪を撫でる。


「ごめんな。あかり。お前が言うことを聞かないから、こうなるんだ。こんなことをさせるのはいつもお前のせいなんだよ。お前の中にいる鬼を沈めないとな。」

 優しい大人が子どもをあやす様に。勇二はあかりを抱き締める。

 あかりには抵抗する気力は残っていない。


− 勇二があかりを支配している…。 今は勇二が龍三、お祖父様の代わりなんだ。


「僕は決めたよ。あかりと僕の2人の世界を作ることにする。この桜小路家の呪縛から逃れられないなら、ひかり、君がいなかった頃に戻ればいい。簡単なことだよ。」


 勇二はナイフを拾い上げ、ひかりのそばでひざまずく。


「本当に残念だ。君も母親の柚莉愛やあの女の様に、命乞いをしてみたらどうだ? 僕の気が変わるかもしれないよ。どうせこの足の傷じゃ遠くに逃げることもできないだろうけど。」


 グググっと、ひかりの傷に指を押し付け抑え込む。

痛みが一気に倍増した。

「いっっっ。」


 ひかりは、何もできなかった自分が悔しくて悔しくて、涙が溢れ出るのを感じていた。強烈な痛みと勇二の圧倒的な圧力に、負けない、諦めない。と言い聞かせてきた心が折れそうになる。


「いい顔だ。」


 ガッ。


 火花が散ったような痛みが頬に走る。口の中には鉄の味が広がっている。今の一撃で口の中が切れたようだ。


「っ…。」


 勇二は容赦なく二度三度とひかりを殴る。

 その度に、もう楽にして欲しいと願っている自分に気づく。


「ほら、許して欲しいんだろ?そういえばいい。僕たちはこうして、あのジジィに殴られ、辱められてきたんだ。今度は、僕が君の中から忌々しい鬼を取り除いてあげるよ。」


− そうか、あかりのあの傷には、新しいものがあった。お祖父様からだけではなく、この男にも暴力を…。


− もうだめだ。痛みも感じない。力も出ない…。


 諦めかけたその時、離れの扉がガラッと勢いよく開いた。誰かが入ってきたのだ。


「やめろ!」

 侵入者は、そういうと勢いよく勇二に飛びかかった。


− 悟さん…?


大きな背中が勇二を二度三度殴りつけている。


− 悟さん…?


 目の前が暗くなる。安心と、諦めと両方の気持ちがひかりの心を支配する。

 ドクンドクンと血が流れるのと同じスピードで痛みが押し寄せ、痛みに飲み込まれていく。


− あかり…。


 ひかりの意識はそこで消えた。

 暖かい手がひかりを包み込んでいる安心感を感じながら。



 ひかりの意識がなくなった後、たくさんの人が部屋に押し入ってきた。

 何人もの人が、勇二を取り押さえる


「やめろーーーーーー。僕にさわるなーっ」


 勇二の声が、桜小路家の屋敷中に響き渡った。


* * *


 桜小路 龍三、あかり、ひかり は 警察の手によって保護された。

 宮下勇二 は 殺人未遂の現行犯で逮捕される。


「僕は何もしてない、何も知らない!」


 と叫び続けて…。勇二は先発隊のヘリコプターで連行されて行った。


 桜小路家の離れには、これから鑑識の面々が多数押し寄せてくるだろう。

 悟は、勇二に切り付けられた傷の手当てを受けながら、人の出入りを眺めていた。


 これからきっと真実が明らかになる。橋本代議士との関係も見えてくるだろう。本当は悟本人の手で真相を突きつけたかった。証拠を集めて全てを明らかにする。そうしたいと思っていた。だが悠長にしてはいられなかったのだ。

 警察も、この現状を目の当たりにして、事件をもみ消すこともないだろう。そう信じたい。


 ここは救急車が入れる道はなく、医療用ヘリコプターが庭に到着する予定だ。無線で何やら話をしているのも見られる。


 ひかりの足の傷はかなり深く、後遺症が残るかもしれない。と救急隊員が言っていた。


「念の為、ここを出たら先生に見てもらってください。」

「あ、はい。」

 悟の応急処置を済ませた救急隊員は、別のところに行ってしまった。


「よくここがわかりましたね。」

 メガネの刑事が話しかけてきた。名前は確か…宮古市みやこいちなんとか…。と名刺をもらった気がする。秋子の死について疑問を持ってくれた勇逸の刑事だった。


「俺の話を信じてくれて、ありがとうございます。実は、彼女に持たせていたGPSキーホルダーが、危険を教えてくれたんです。」

 悟は、スマホを刑事に見せた。スマホの画面には、GPS機能でこの場所が地図の上で赤く点滅している。


「あの時は、君が何を言っているのか理解するのに苦労したよ。」

  宮古市はポケットに手を突っ込み、安堵の笑みを見せた。


「すみません。ここ鬼追村のことを調べていくうちに、奇妙なことが起きているのを見つけたんです。屋敷に勤めてる人が複数街に出て来ていて、今日は全員が屋敷に立ち入ることを禁じられている。っていうんで…。」


 宮古市は黙って悟の話を聞いている。


「でも、俺の言葉に耳を傾けてくれていなかったら、俺も一人前の行方不明者になってましたよ。」

「何でだろうな。でもよかったよ。こんだけ人を動かしておいて何もなかったです。じゃ〜かっこつかなかったしな。」


 悟からも笑みが溢れた。


「よかった。初めて見たよ君のそんな顔。知らせてくれてありがとな。ここは決して触れられない領域だったから。長い間ずーっと。グレイゾーンってやつだな。」

 ぽんぽんと悟の肩を叩く。


「これで、君の妹さんのこともはっきりするだろう。」

「そうであって欲しいですね。」

「だが、無茶をしたね〜君も。落ち着いたら署まで来てもらうことになると思う。詳しいことは後ほど。」


 宮古市は悟にスマホを返し、そろそろ行くわ。と言って立ち上がる。

「彼女、大切にしろよ。命懸けで守ったんだからな。」


「宮古市さん。本当にありがとうございます。」

 悟は深々とお辞儀をした。

 宮古市は、何も言わず手を振りながら仲間の元へ戻っていった。


− カッコつけやがって。


 桜小路家に勤めている面々も夕刻になり何人かは戻って来ていた。住み込みで働いている人間が多いいのだろう。

 警察がライトを設置し、鑑識も多くやってきて、屋敷は賑やかだ。多くの使用人への聞き込みが開始される。これで、桜小路家のこと、龍三のこと、過去に起きた事件についても語られるだろう。


 悟は龍三を運ぶ医療ヘリコプターと共にヘリに乗り込んだ。

 ヘリが飛び立つと、どっと疲労感に襲われる。背もたれに体が飲み込まれていくような感覚。


 もうすぐ、ひかりが待つ病院に到着する。

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