第28話 鬼畜

 ドスン。


 何かが倒れる音がして、目の前に広がっていた映像が消えた。


 ひかりは慌てて音のした方へ目線を送る。


 そこには、苦痛に歪んだもう一人の自分、あかりが倒れていた。


「あかり!」


 咄嗟にあかりのそばに駆け寄り、抱き起こす。


「双子って面白いな。」


 先ほどまで黙って成り行きを見守っていた勇二が微笑んでいる。


「勇二…?」


 いきなりの豹変ぶりに、ひかりよりもあかりは戸惑いを隠せない様子だった。どうやらいきなり横腹を蹴られ、その勢いで床に倒れ込んだらしい。


 勇二から目をそらさず、ひかりはあかりを抱き起こし、壁の方へ移動する。背後から襲われることがないように。ゆっくりと後退りをする。


 背中が壁にぶつかった衝撃で、ポケットに入れていた携帯が床に落ちた。

 ひかりの携帯だった。ストラップには、悟からもらった秋子のキーホルダーがついている。


− 悟さん。


 キーホルダーのボタンを押せたら、私の居場所が分かるはず。


「"お使い人" あかり様。僕はね、この時をずーっと待ってたんだ。子どもの頃からずーっとね。」


 勇二はしゃがみ込み、あかりの顔を無理やり自分に向けさせる。

 あかりは目を見開き、一言も話さない。


 この隙に、携帯を…。


 勇二はひかりの行動を見逃さなかった。


 ひかりの目の前で、携帯を踏みつけた。ガッガッガッ。何度も何度も。携帯が粉々になり形が変形するまで踏みつけた。


「外部に連絡なって取れるわけないじゃん。馬鹿なのか?」


 これで希望は立たれた…。誰にも、ここに来ることは伝えてない。誰も知らない。


「あかり様には、見えてるんだと思ってたよ。僕がこうして今日、全てを終わらせようとしているってことがね。」


 勇二の手にはナイフが握られている。


 あかりがゆっくりと立ちあがろうとする。ひかりはそれを支えるように立ち上がる。それでも勇二の方が背が高く、押し倒されたら抵抗はできないかもしれない。


「私もあなたと同じ。全てを終わらせたいと思ってる。だからあなたに、ひかりを探して欲しいとお願いをしたのよ。」


 あかりは腰の骨が折れているのかもしれない。自力で立っていることが難しい。痛みで顔を歪めながら、言葉を絞り出す。


「このジジイが死んだら遺産を独り占めしようとしてたんだろ? 僕には、汚いこと全て押し付けて…。さっき、そう言ったよな?」


 勇二の目は、怒りに支配されている。


「あの女だって、殺さずに済んだんだ。何も気づいてなんていなかったんだから。」


− あの女?


「あの女って、誰?」

「お前の親友って言ってたやつだ。雛形 秋子。あいつも可愛そうに。この桜小路家のことに興味なんて持たなければ、殺されずに済んだのにな。」


− 何?何を言ってるの?


「まだ分からないのか? あいつを殺せと言ったのは、”お使い人”なんだよ。こいつは知ってたんだ。僕がこのジジイの息子だって。だから、だから…。人を殺めることに抵抗なんてないって、思ったんだろ? だから俺にあいつを殺させた。」


「あの女も、お前に会わなければ、お前の過去に同情なんてしなければ、死なずに済んだのにな。」

「秋子に何をしたの!?」

 

 ひかりは叫ぶ。お祖父様の息子って何!?


「説明してあげましょうか。ひかり様。あの女は、桜小路家の過去の事件や、橋本代議士との裏の関係に気づいたと思われたんだよ。"お使い人様"にね。 本当は、な〜んにも気づいてなんかいなかった。怪しいってことは思ったかもしれないけどな。 かわいそうに。殺す必要なんてなかったんだ。」

「あかり!どうゆうこと? ねぇ、教えて。」


 あかりは黙って勇二を睨みつけている。ひかりにはあかりが今何を考えているのか、想像がつかなかった。意識を集中できれば、当時のあかりが見えるかもしてない。でも意識を集中している間に、勇二が暴走するかもしれない。


「あの女。泣いてたなー。殺さないで〜とか言って。もうちょっと遊んでやってもよかったかもな。"お使い人様"のご希望にそってね。」


「"お使い人様"さ〜。僕は君に感謝をしないといけないのかもしれないね。この鬼畜極まりないジジィの血を引く僕に、最高のおもちゃを与えてくれたんだから。」


 あかりの顔にナイフを押し当てながら、勇二は感動に震えている。正気じゃない。


「秋子を殺したっていうの?」

「そうだよ。桜小路家を守ための必要悪さ。」

「そ、そんな。」


− 秋子…。私が両親の話をしなかったら、ただただ、他人のそら似だね。って笑い合えていたら、あなたは死なずに済んだっていうこと?


 ひかりの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。それでも勇二の話は終わらない。


「何より許せないのはさ〜、上条ひかり。いや 桜小路ひかり。お前だよ。」


「僕や、あかりの苦痛も知らず、今までのほほ〜んと暮らして来たんだろ? 僕たちがこのジジィに与えられたことを1つも知らず、どんだけ、僕たちが苦しんだのか、想像もつかないだろ?」

「やめて」


 か細い小さな声がすぐそばから聞こえる。


「見せてやれよ。あかり。お前が受けてきた仕打ちを。神からの贈り物を受け取る代償として差し出したもの全部をさー!」


 勇二はあかりの腕を掴み、ワンピースを力一杯引きづり降ろした。ビリビリという大きな音を立てて、あかりの上半身がむき出しになる。


 ひかりは目を疑った。


 無数の切り傷、黒く残ったアザ。左の乳房は手術をしたかのように変形している。あかりが痛みと恥ずかしさでひかりに背を向けると、そこにはもっとひどい傷の跡、火傷の跡が、素人のひかりにも分かるほど鮮明に残っていた。


「ひ、ひどい…」


 だから、この暑さの中でも長袖を着ていなければならなかった。そういうことだったのか。


 崩れ落ちるあかりを支え、ひかりは泣いた。細い体を抱きしめ服を着せ、ボロボロ泣いた。


「ごめんなさい。私何も知らなかった。あかりがどんどん偉くなって、離れていくとばかり思って…。」


 子どものひかりには、気づく術はなかった。


「知らないってことは、ある意味すげー罪だよな。実の妹にこんな苦痛を押し付け、親友や育ての親までを死に追いやった。」


− 両親も、殺された!? この男に?


 声も出せないほど、ひかりの涙は止まらない。鼻は詰まり口で息をするのがやっとだった。


「あかり…。ごめん。ごめんね。」


− 秋子…。ごめんなさい。


 あかりを抱きしめ、ひかりは小刻みに揺れ始める。パニックに陥る前の行動だ。今正気を失ったら終わりだ。あかりだけでも助けなくちゃ。ひかりは自分に言い聞かせる。


「あの時、母はまだ生きていた。あの場所に父の姿はなかった。あれは…。」


 体を揺らしながら、ブツブツと話し始める。


「あれは…。」


 あかりがひかりの疑問に応えようとしている。


「お祖父様に言われて、最後の儀式だって言われて…。」


 今度はあかりが自分の体を抱きしめながらボロボロと涙を流す番だった。


 ひかりは、あかりの肩を掴み意識をひかりに向けさせる。このままだとあかりが壊れてしまいそうで、不安が一気に膨れ上がる。


「私は、弟や母たちを無惨に殺したのは、父だと聞かされていたわ。だからそんな事件があったのか、図書館や仕事場で、過去の記事も探してみた。でもそんな事件は1つも見当たらなかったの。そんな事件はなかったはずよ。」


 ひかりは力強く叫んだ。


「ここへ来ても何も感じない?おめでたい奴だな君は。君は調べたんだろ?橋本代議士のこと。そこで何も見つけられなかったっていうのかい? 大馬鹿者だな。ジャーナリストの卵が聞いて呆れる。」


 勇二は、龍三の枕にナイフを怒りに任せて突き刺す。龍三はピクリとも動かない。


「橋本代議士の父親のことも調べたんだろ?なら、分かるはずだ。」


 うっすらと橋本龍一の写真を思い出す。大きな体、厳しそうな眼差し。でもどこにでもいる親父。という感じだった。


「まだわからないのか。こいつと橋本龍一は兄弟。こいつは桜小路家に婿に入ったんだ。だから、こんな大きなことを起こしても、龍一が守った。何もなかったことにしたんだ。その代わりに、”お使い人”の能力を最大限利用することを条件にな。」


 ヒューヒューと医療器具の定期的な音が響く。


「僕とあかりは、こいつの駒として生きるしか選択肢はなかったんだ。」


「ひかり、お前が羨ましいよ。お前だけは、この忌まわしい桜小路家のことも、何もかも忘れて暮らして来たんだから。 そんなお前が、家族も、あの女も殺したんだ。こうなったのも全てお前のせいだ!僕らがこうなたのも、お前が逃げたせい…だ…。」


 ひかりは何も言い返せなかった。


『あなただけは、生き延びて』 


 母の声が聞こえる。

 あかりと二人で隠れていた押し入れが開かれた時、鬼が追いかけてきたと思った。でも違った。あれは、宗次郎だった。


 あの時、扉の近くに座っていたのが、あかりだったら…。自分とあかりの立場は変わっていたのだろうか。


「お前が、このジジィを殺すんだよ。 簡単なことさ。このスイッチを切るか、呼吸器の管をそのナイフでぶった斬ればいい。それでおしまい。 僕たち3人は、この鬼畜の血を受け継ぎ、桜小路家の呪いに縛られて生きて来たけど、これで解放される。 終わりにしよう。 さぁ。」


 勇二はひかりの腕を掴み、再び龍三のベッドまで引きづり起こす。ものすごい力だ。腕が痛い。

 あかりは、項垂れていて動く気配がない。腰の痛みに耐えているのかもしれない。


「あかりは、人の未来を見て、運命を曲げた。中には犯罪者になるものや、死を選んだものだっている。 そして僕は、人を傷つけ何人もの人生を終わらせてきた。 お前は何を差し出す?」


 目の前にいる老人は、記憶にある祖父とはまるで印象が違っていた。固くつぶられた目から涙がこぼれるのを、ひかりは見逃さなかった。


− お祖父様。


 大きな体の龍三は、幼い二人を片手に抱き上げ、桜の枝を間近で見せてくれた。大きな暖かい手が、私たちを包んでくれていた。そんな龍三が、人を傷つけ、殺し、ここにいる二人の人生も捻じ曲げたというのだろうか。


「やるんだ!」


 ひかりはナイフに手を伸ばす。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る