第27話 終わりの始まり

 離れの入り口で、勇二が待っていた。白いシャツに白いズボン、白い靴という格好で…。着替えてきたらしい。


「あかり様、お待ちしておりました。」


 深々と挨拶をする。


 何が起きようとしているのか、ひかりは不安を抱き始めていた。ここまで誰一人として家の人に出会っていない。こんなに広い屋敷だから、一日会えない人がいても不思議ではないのかもしれないが、それにしても変だ。


「お家の方たちは、今日はどうしているの?お母様やお父様にも会いたいし。」


 ひかりは、離れにあがりながら尋ねてみた。


「何も覚えてないのね。」


 冷たい声が返ってきた。勇二は何も言わず後からついてくる。


 心臓がドキドキ音を立て始めた。何かが変だ。このままここにいては駄目。帰るの。入り口へ走って行きなさい。そして、逃げるの。


 そんな言葉が、さっきから頭をぐるぐるぐるぐる回っている。


 でも…。引き返すわけにはいかない。


「今ここには、私たちのお祖父様が住んでいるわ。挨拶なら彼にするといいわ。」


 吐き捨てるような、冷たい声。


 長い廊下を歩いていくと、廊下の奥、角の部屋から、鉄のような血の匂いを強く感じるようになった。それが流れ出てきて、あかり と ひかりの足元をくねくねと取り巻き始める。


− 鬼!?


 ひかりは恐怖のあまり足が止まってしまった。後ろからついてくる勇二にぶつかる。


「どうしました?」


 勇二の顔には笑顔が張り付いている。目は笑っていない。


「あかり…、そこに…何があるの?」

「この部屋は、お祖父様がいらっしゃるの。この部屋からの桜の景色は見事よ。私たち、よくここで紅夜様からお話を聞いていたじゃない?」


− 何も感じないの?


「さぁ、中へ。」


 あかりは障子をスッと開いた。それと同時に、血生臭い空気がひかりの鼻の奥へ広がり、むせ返りそうになる。


「お祖父様。ひかりが帰ってきてくれました。お会いになって。」


 思い切ってひかりも部屋の中へ入ってみる。部屋の中央には、大きなベッドと数多くの医療器具が…。ベッドの中には、老人が横たわっている。

 喉から空気を送り込む管がついており、定期的にヒューヒューと音を立てている。


 点滴の管は、乾涸びた腕に伸びている。起き上がり排泄すらできない状態なのだろうか。ベッドには尿を保存するビニール袋があり、布団の中から出る管に繋がれている。


- これが…。お祖父様?


 骨と皮しかないのではないか?と思えるほど痩せ細った腕。落ち窪んだ目元や頬は、乾燥しきり、ガビガビしている。かなり大きな人だったのだろう。骨格が大きく、とても力強かったに違いない。


「もっと側に来て、顔を見せてあげて。」


 あかりはひかりを導く。


 恐る恐る近づくと、龍三の目がギロッとひかりに向けられた。


− 生きてる。


 こんな状態になってまで、生にしがみつくかのような鋭い眼光。ひかりはまた身動きが取れない。ベッドの手すりに捕まって立っているのがやっとだった。


 近くに来てわかったことがある。龍三は鎖に繋がれていた。手首も足首も。ところどころ血の塊が見受けられるのは、もがいた時に鎖と擦れたからだろう。


「これは…。」


 思わず声が出てしまった。


「あ、これね。徘徊されるとみんなが困るの。だから仕方なく。」


 感情もなく当たり前のようにあかりは吐き捨てた。


「お祖父様が亡くなったら、私たち二人が桜小路家の遺産を手にするの。お金も自由に使えるわ。亡くなる前にあなたに会えてよかった。探すのは大変だもの。」


「遺産?」

「そう、相当な額が残されるはずよ。お祖父様は相当溜め込まれていらっしゃるから。私たちの神からの贈り物を、お金に変えていたようなもの…。かなり非道なこともやってきたしね…。」


 ひかりには、あかりの話す棘のある言葉の意味が理解できない。自分と同じ顔を持つもう一人の自分が、異世界のモノであるかのように見える。


「お祖父様。もう大丈夫ですよ。楽にして差し上げます。今日、ひかりがこうしてここに来たと言うことは、全てが終わると言うことです。咲夜胡様から始まった、忌まわしい呪いを、今私たちで終わりにするのです。」

 あかりは、龍三の耳元で呪文を唱えるようにそう告げた。


 血の匂いが濃くなったような気がする。


「な、何をするつもりなの?あかり」


 ひかりは気づいた。この部屋の違和感。血の匂い。部屋の壁や天井に点々と黒いモノがついているのは、汚れや模様なんかじゃない。これは…。血の後。


「やっと気づいた?ひかり。 そうここは、私たちがあの惨劇を見た場所。この男が招いた儀式の場所よ。 この男の最後にふさわしい場所。うってつけの場所でしょ?」


 にこやかに、あかりはひかりに微笑む。


「光と闇が交わる時、光は闇に飲み込まれる。 紅夜様の予言。あなたも覚えているわよね? 私たちが再び出会う時、全てが終わる。それが私たちの未来。」


 目の前に閃光が走る。そうだ。思い出した。


 過去の出来事が映像化され展開される。見たくない。思い出したくない。その感情と裏腹に、一度スイッチが入ってしまったら、もう止められない。


− あの日、あかりの戻りが遅いので、入ってきてはならない。と言われていたこの部屋に、あかりを迎えに行ったんだった。


* * *


『あかり〜。終わった〜?』


 小さいひかりが障子を開ける。

 

 そこには母の柚莉愛とあかりがいた。二人とも血だらけで…。血の匂いが部屋中に充満していた。


 足元には、小さな男の子がぐったりと横たわっている。お腹の辺りから、血を流してうつ伏せに。小さいな血の海にダイブするような格好で横たわっている。


 弟の魔裟斗だ。


 もう一人、大人も倒れている。

 首から、肩から、色々なところが切り刻まれていて、あたりは飛び散った血で赤く染まっていた。


 これは…。叔父様。母柚莉愛の実の兄。ひかりが大っ嫌いだった大人。


 白目を剥き、口から気持ち悪い舌が飛び出ている。


『ひかり!』


 母の声がする。

 小さいひかりは、何もできずただ、立っていることがやっとだった。声を上げることも、泣くこともできずに。


『あかりを連れて、奥の部屋へ。とにかく隠れて!見つかってはだめ。いいわね。』


 母の手も血で染まっていた。ひかりの肩に母の手形がついてしまった。お気に入りの服が汚れた。


 ボーゼンとしているあかりの手をとり、ひかりは言われたまま走り出した。奥の部屋に向かって。

 あかりの足の裏についた血が、足跡をつけている。これじゃすぐに見つかってしまう。


 あかりはいつも鈍臭い。


 言われた通り押し入れを開け、あかりを奥へ押し込む。

 その隣に潜り込み、少しだけ、外の状況が見えるように襖を開けておいた。


 血の匂いが狭い押し入れに染み込んでくる。

 ひかりはあかりの手を握った。ヌルっとしている。

 血?


− 鬼が来る。


 あの時、微かに見えた大きな物体。

 全身真っ赤な血に包まれ、右手に斧のような物を持っていた。その先には、人間の足が見える。誰かが倒れている。赤い血の中で綺麗な白い肌の足がチラッと見えた気がする。


『ぐぉぉぉぉぉー』


 怒りなのか歓喜なのか分からない雄叫びを聞いた。まさに鬼だ。


 あれは、お祖父様。間違いない。母は?母は大丈夫だったのだろうか?


 小さなひかりは、母の言いつけに従って、逃げることしかできなかった。


− 神様‥お願い‥いい子にするから‥。


どうか鬼に見つかりませんように‥。お願い‥。お願いっ。。


* * *


 今なら分かる。あれは龍三。

 裸になり身体中返り血を浴び、嬉しさのあまり雄叫びをあげている。

 デブっとしたお腹、手に持った斧にも血がべったりとついて、床に滴り落ちている。


 血の匂いが濃い。それだけじゃない。もはやあいつは人間じゃない。


 吐き気がする。

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