第26話 鬼追村
ひかりは、レンタカーで西に向かった。どのくらいの滞在期間になるかわからなかったので、とりあえず2週間レンタルすることにした。ちょっとした出費だ。
大体の場所は、勇二が教えてくれたのでそれだけを頼りにハンドルを握る。
会社には、しばらくお休みを申請してきた。上長は秋子のことも知っており、ひかりの心中を察してくれていた。だからしばらくゆっくりすることに同意してくれたのだ。時間が解決してくれることもある。
部屋もしっかりと片付けてきた。もし、自分の身に何かあった時のために…。
どのくらい走っただろう。車から見える景色は縦長のものから、横長に変わっていった。緑が綺麗で、すれ違う車も少なくない。
カーナビは、この先行き止まりとして道は存在しないことになっていた。
前方に、寂れた建物が見えた。崩れかかった看板にかろうじて”商店”という文字が見える。何か、飲み物など売っているといいんだが…。
− ここで聞いてみるかな。このあたりの人なら、何か知っているかもしれない。
ひかりは店の前で車を停める。すると、中から見覚えのある人物がペットボトルを2つ抱えて店先から出てきた。
「来てくれましたね。上条さん。」
屈託のない笑顔でひかりを出迎える人物。
「ど、どうしてここに?」
「”お使い人”より、今日、この時間にあなたが到着することを聞いていたからですよ。道に迷っているはずだから、お出迎えをしておくように。ってね。」
「あ、歩いでここまで?」
車から降り、ひかりは勇二に尋ねた。
預言者が本物であれば、今日ひかりが到着することもお見通しだろう。だからそう驚くことでもなかった。
「まさか〜。ここまで車で送ってもらったんですよ。帰りは上条さんの車で一緒に戻れると思って。」
はいこれどうぞ。と手に持っていたお茶のペットボトルを渡す。
「ほうじ茶、お好きですよね。」
こんなことまで分かるのか。ひかりは驚きを隠せなかった。
「えぇ、大好きです。」
しかも、ひかりが好んで購入するメーカーのものだった。喉越しと、香ばしさが特に気に入っている。
勇二は、許可も取らず助手席に座り、シートベルトの準備をし始めていた。
「行きましょう。」
勇二の屈託のない笑顔に癒される。
二人は、”お使い人”のいる屋敷に向かう。助手席に座っている勇二は、とても楽しそうだ。初めて会った時とだいぶ印象が違う。
30分ほど山道を車で登っていくと、侵入禁止の看板と、重々しい鎖で繋がれた扉が目の前に現れた。
「ここから先は、徒歩になります。山道になるんで、靴大丈夫ですかね?」
勇二はひかりの足元を見ながら、そう聞いてきた。
「大丈夫です。一応、登山靴も持ってきているので。」
車を止め、後ろの席から靴を取り出す。
「そうでしたか、じゃ行きましょうか。暗くなる前に屋敷に着きたいですね。」
バタンと助手席のドアを閉め、着替えなどの荷物はいらないです。と言う。
「貴重品くらいでいいんじゃないですかね?屋敷に上条さんのものはすでに用意されているはずです。身軽な状態で山を登った方がいいですよ。何か重いものがあるなら、僕持ちます。」
「大丈夫です。」
靴を履き替え、少し大きめのリュックを背負う。
「ここから、どのくらい歩くんですか?」
「そうですねー、僕の足で1時間ちょっとでしょうかね。ま〜、お年寄りの方も、買い出しにここまでは歩いて出てこなくちゃいけないんで、そこまで厳しい道のりじゃないですよ。」
「そうですよね…。」
若干不安になりながらも、門の近くまで歩み寄る。立ち入り禁止の看板には、”私有地につき” と言う文字も書かれていた。
勇二は持っていた鍵で鎖を解き、扉を開けてひかりを中に促す。ひかりは、恐る恐る門をくぐって敷地内に入っていった。
一歩その場所に足を踏み入れた瞬間、ひかりは何か不思議な感覚に包まれた気分になった。下っ腹から上にゾワソワとした何か。そして冷たい空気がひかりの体を一周するように吹き抜けていく、そんな感覚。
「どうしました?」
「あ…いえ…。」
ひかりは、無言で勇二の後をついていく。足元は砂利のようなゴツゴツとした石が敷き詰められている。周りは木が茂っていて、昼過ぎだというのに暗くてひんやりしていた。
意識を集中していると、どこから子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてきた。
二人の女の子が追いかけっこをしているのか、ひかりの横を、走り去っていく。
前方に小さなお地蔵様の祠が、壊れかけた状態で残っていた。そこで二人の少女がお地蔵様を挟んで、一人の少女がもう一人を捕まえようとし戯れあっている。
『ひーちゃん、ずるいぃ〜 お地蔵様より先に行くと怒られるよー』
『だから〜戻ってきたのよ。私を捕まえてみて〜』
キャッキャ キャッキャ言いながら、とても楽しそうだ。
「どうしました?上条さん?」
勇二の声で、我に返った。見渡してみるが、二人の少女は消えていた。
懐かしい。ひーちゃんと呼ばれていた少女は自分だ。
「いえ、行きましょう。」
不安は確信へ繋がった。ここで生まれ、ここで育ち、今の日常とは違う毎日を過ごしていた。母たちは元気でいるのだろうか?
その後も無言で歩き続けた。勇二は時々鼻歌を歌いながら、機嫌が良さそうに歩いている。
「着きましたよ。」
葉っぱのトンネルを抜けると、開けた場所が現れた。日本庭園のような整えられた空間。大きな池には、太鼓橋のような小さな橋がかかっている。
見覚えがある。鯉に餌をあげたこと。確か…、奥には大きな桜があったはず。
ひかりの脳裏に、今まで忘れていた景色が、目の前の光景と重なりあう。
「玄関はあちらです。行きましょう。」
「あ、はい。」
目をつぶれば、色々なことを思い出しそうな気がする。白くて重たい霧の中を歩いているような、近づけばはっきり見える、そんな記憶の中を、ひかりは漂っている。
ひかりは大広間に通された。勇二の姿はどこにもない。
20畳近くあるだろうか。
畳のいい香りがする。左手側は庭に面していて、日当たりも良く、心地よい風が吹き抜けている。部屋の障子は開かれており、美しい彫りが施された欄間が昔ながらの日本家屋の趣を、今に伝えているかのようだ。
それとは逆に、足元にはペルシャ絨毯のようなものが敷かれ、そこにいくつもの椅子が配置されていた。講演か何かを聞くために設置された会場のようで、この屋敷には不釣り合いな印象を抱かせる。
ひかりが庭を眺めていると、背後から、透き通った落ち着きのある声が聞こえた。
「お帰りなさい。」
急に声をかけられびっくりして振り向くと、少し距離を取った形で、一人の女性が立っていた。
まだまだ暑い時期だというのに長袖の白いワンピースと、黒くて長い髪。足元は素足といういでだち。前髪は短く、赤い唇が印象的だった。
そして何より、ひかり自身もびっくりするくらい、そこにいるのはもう一人の自分だった。
「待ってましたよ。あなたが帰ってくることを。」
その女性はそう言いながら、ひかりの横に立つ。
背丈も同じくらい。風に吹かれて、懐かしいいい香りがひかりを優しく包み込む。
そうだ、子どもの頃大好きな母親に抱きしめられた時、同じ香りがしていた。すごく優しくて暖かい温もり。
「あなたは…?」
「そうね、何も覚えていないのですよね。わかっています。でもきっとすぐに、全てを思い出すと思いますよ。」
そう言い女性は、ひかりの手をとり庭の方へ。裸足であることも全然気にしていないようだ。
「庭へ行きましょう。」
手を繋いで、半ば引っ張られるような距離感で、ひかりは女性の後をついていくほかなかった。
ただ、手の温もりを感じた時、以前にも同じように手を繋いでこの庭で遊んでいたような感覚を感じ始めていた。
池のところまで来た時、女性は足をとめ、ひかりの方を振り向いた。
「ここで、幼い私たちはよく遊んだものです。一度池の中に二人で落ちてしまって、お母様にとても怒られたりしたのを思い出します。」
クスッと女性は笑った。
「本当に、何も思い出せませんか? あなたは、桜小路 ひかり。私の双子の姉。そして私は、桜小路 あかり。」
「あかり…。 あーちゃん。」
「そう、子どもの頃はあーちゃんと呼ばれていましたわ。」
あかりの話し方が、所々時代錯誤しているかのようで、ひかりはとても違和感を感じる。
− この子…
そんなひかりの思いを察したのか、あかりが子どもっぽい笑顔でこういった。
「大丈夫よ。ひーちゃん。私はまともよ。」
心の中を見透かされたようで、ひかりは恥ずかしくなった。まとも と まともじゃない の線引きは、誰かが決めるものではないのに…。
「桜小路家は、代々未来が見える力を持ったものが跡を継ぐしきたりなの。私には未来が、あなたには過去が見えていたんじゃないかしら?」
「過去?」
「思い当たることはない?みたこともないものが見えたり、聞こえたり。」
急にそんなことを言われても…。でも確かに記憶力は人より良い方だという自覚はあった。
「もう少し、屋敷の中を歩いてみたら、何か思い出すこともあるかもしれないわね。」
あかりは、そう言いながら、ひかりの手をとりぐいぐいと歩いていく。所々立ち止まっては、思い出話を交えながら。
「ねぇ、あかりさん。」
「あかりでいいわ。私も、ひーちゃんだと少し恥ずかしいから、ひかりって呼ばせてもらうわね。」
お互い少し照れながら、まずは呼び方を改めてみた。
「じゃー…。あかり。あなたはずーっとここで "お使い人" をしているの?一人で?」
「うーん。そうね。あの事件の後、気づいたら、 "お使い人" として周りの大人たちが全てを整えてくれたわ。私はそれに乗っかっただけ。」
「事件…?」
あかりは、とても不思議なものを見るような目でひかりを見つめる。
「覚えてないのね。何も。」
すごく寂しげにそう呟いた。
「ごめん…。」
「ううん。大丈夫。」
そう言い、あかりは優しくひかりを包み込む。
フワッと良い香りに包まれる。とても心地よい時間が流れる。
「もうすぐ、すべて思い出すわ。だから焦らなくて大丈夫。」
あかりはひかりから体を離し、こう続けた。
「忘れてしまっていた方が幸せなこともある。でも私たちは…。」
そう言って、また軽やかな足取りで歩き始めた。途中、誰の姿も見かけない。秋子の写真では取り巻きと呼ばれる人物がたくさん写っていた。
- 静か。怖いくらい‥。
「あそこが離れ。大きな桜の木が今もこの桜小路家をお守りしてくれているわ。行きましょう。」
離れと言えども、大きな一軒家以上の大きさがあると思われる別邸に、二人は向かっていく。
前を歩く、あかりの黒い髪が風になびいている。同じ顔を持つもう一人の自分。違う人生を歩み、今こうして人生が交差しようとしている。
「お帰りなさい。ひかり。ようこそ鬼追村へ。」
ひかりの頭の中に、不気味な声が響き渡る。
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