第25話 「あかり」

「ひかりお嬢様、今日はお一人ですか?」


 庭の池で自由に泳いでいる鯉を眺めていた少女に、一人の人物が声をかける。

白髪頭の日焼けした初老の人物。庭師の宗次郎だった。


 いつも幼い少女たちに、鯉の餌やりや、庭に遊びにくるリスや珍しい鳥たちの扱いを教えてくれる、少女たちのお気に入りの大人の一人。


「あ、宗次郎。」


 少女の顔がパッと明るくなった。


「そうなの、今日はあーちゃんが、お爺様と修行に行ってしまって…。あたしお留守番なの。」


 拗ねたように呟く。やっぱりあーちゃんがいないとつまらない。


「そうでしたか…。それは寂しいですね。」

「ええ。でも大丈夫。あーちゃんには才能があるんですって。お爺様がおっしゃってたわ。神様からの贈り物があーちゃんには届いているんですって〜。誇らしいことななの。だから寂しくないわ。」


 気丈に振る舞う少女の頭を、大きな手が包み込む。


「早く戻ってきますよ。そして、ひかりお嬢様にも、神様からの贈り物がちゃんと届いています。だって、お二人は姉妹なんですから。」


 そう、二人の少女は双子。同じ時に生を受け、数秒、ひかりの方が早く地上に誕生した一卵性双生児なのだ。見た目もそっくりで、使用人で二人をちゃんと見分けられるのは、この宗次郎だけだった。


「お母様は、来週にはお戻りですよね? お嬢様たちの弟さんもご一緒に。」

「そうなの。待ち遠しいわ。ちっちゃくて、お猿さんみたい。今日は、叔父様が病院にお見舞いに行ってくるって。 お母様にご用事があるんですって。」


 少女は少し不安げに宗次郎に顔を向ける。


「叔父様…。なんだか怖いの。あたし…。叔父様のことが嫌い。」


 消え入りそうな声。宗次郎はいたたまれない気持ちになった。


「実は、私もですよ。」


 宗次郎は、少女と目線を合わせ、これは内緒です。と笑いかけた。少しでも少女の気持ちを軽くしてあげたくて。


 一瞬にして不安が消える。そんな魔法のような宗次郎の言葉だった。


「お部屋に戻りましょう。菊乃がお菓子を焼いてましたよ。」

「食べていいの〜?」


 少女の顔にやっと笑顔が戻ってきた。


 今まさに、もう一人の少女の身に何が起きているかも知らずに…。


* * *


 この時間が嫌いだ。

 あかりはジッと堪える。


 ある日夜中に起こされ、自分だけが連れ出された。お前は特別だ。神から愛されし存在なのだ。と聞かされた。


 その時は、少し嬉しかった。だって、ひかりより自分が特別な存在だと認められた気がしたから。


 暗くて、狭い部屋。寝ぼけていたので、屋敷のどこの部屋に連れて行かれたかも理解ができなかった。


 部屋のところどころに蝋燭が置かれていて、少女の祖父である龍三が蝋燭に火を灯していた。その間、少女は、素足で寝巻き姿のまま…。そこに立っていることを求められた。どんなことがおきても、ただひたすら立っていなさい。と言われたから。


 そんなことが何回が続いた。


 今日は、特別な日だと言われ、真っ白なフリルのついたワンピースを着せられ、母の柚莉愛ゆりあも使っているのを見たことのない、赤い口紅をつけさせられた。


 嫌だ。と抵抗すれば、殴られる。


 だから、あかりはジッとしていた。この時間が早くすぎることを願って。


「お爺様。お願い…。やめて」


 赤い艶やかな唇であかりは懇願する。まだ幼い少女が、自分の身に起きることを理解できる訳が無い。


「いい子だ。お前は桜小路家の宝だ。体を綺麗に清めてやろう。」


 ワンピースの上から冷たい水がかけられる。頭からも。


 あかりは、声を押し殺して泣く。我慢しても我慢しても涙がこぼれるのだ。


「どうした?お前の中にいる鬼を退治しないと。本当の神の声は聞こえないぞ。」


 龍三はあかりの涙をべろっと舐める。ザラザラした舌の感触に鳥肌がたつ。気持ち悪い…。


「怖いのか?こんなに震えて…。お前は本当に可愛いのー。桜小路家の宝だ。」


 何度も何度も、冷たい水をかけられる。お清めじゃと言われながら何度も。


 そして髪を乾かされ、整え、新しいワンピースに着替えさせられる。まるで着せ替え人形のように。


 修行と言う名の行為は、どんどんエスカレートしていく。薄々龍三の行為に気づいている者もいるにもかかわらず、誰も止めることはできなかった。

 龍三の逆鱗に触れたら、職を失うだけでなく、あかりに対しての行為もエスカレートする事を知っていたから。誰もが口を閉ざすしか選択肢はなかったのだ。


 修行は、決まって柚莉愛ゆりあが外出している時に実行される。


 そしてあかりの笑顔は消えていった。


* * *


 龍三は、物足りなさを感じていた。あかりは、幼すぎる。


 殴ったり傷をつけたり、泣き叫ぶ顔を見るのも全てが幼すぎる。なめらかな肌触りは気にっているが、それ以上の行為までには、及ばない。

 もう少し大人になってから、じっくり楽しむとしよう。それまでの間、可愛い人形のように、自分の言うことに従順な人形として、大切に大切に愛しめばいい。


 洞窟の中を歩きながら、龍三はそんなことを考えていた。


 柚莉愛ゆりあにも子どもが生まれ、奇しくももう1つのおもちゃとして大事にしていた一番のお気に入り、舞奈も子どもができた。両方とも自分の子どもだ。


 幼い子どもには、母親が必要だ。それを龍三は理解している。


 だからこそ、二人に手を出すことを控えているのだ。だが、我慢も限界を迎えつつある。


「舞奈を離れに住まわせてやるか。」


 そばに置いて、あかりが大きくなるまで、舞奈を可愛がればいい。子どもが乳離れするまでの辛抱だ。


 そんなことを考えながら洞窟の奥、牢屋のような空間に龍三は足を運んだ。


 ちょうどその頃、舞奈は龍三との間の子どもを腕に抱え乳を与えていた。穏やかな時間。龍三が居ない時間がこの上なく幸せに感じる。


 子どもにはなんの罪もない。小さな手も足も、くりくりの目も可愛くて仕方がない。柚莉愛ゆりあも出産したと聞いた。柚莉愛ゆりあの代わりに世話をしてくれる庭師の宗次郎がそう言っていた。柚莉愛ゆりあの子もまた男の子だという。


「舞奈。来てやったぞ。」


 太く低い声が洞窟に響き渡る。


 一瞬にして舞奈の体が緊張で固まる。その母親の心の変化を感じ取り、子どもはギャンギャン泣き叫び始めた。


「あー、うるさい。うるさい。」


 そう言いながら、龍三が牢屋の入り口から舞奈たちがいる場所に入ってきた。


「すこーしいい環境になってきたんだな。寂しかったか?」


 龍三は舞奈の頭を、髪を撫でながら周りを見渡し、必要最低限の子育てができるミルクやオムツの山を見つめ、続いて舞奈の全身を舐めるように目線を這わせた。


「俺の子か。いいぞ。」


 舞奈は恐怖のあまり、話すことも動くことも、ましてや赤子をあやすこともできずにいた。


 舞奈の色白の肌、乳を与えるために張っている大きなあらわになった胸を見た瞬間、龍三の血が体全体に逆流し燃えたぎる感覚が襲ってきた。


 今すぐ、舞奈を赤子から引き離し、切り刻み、痛みで歪む顔を見てみたい衝動に駆られる。泣き叫び、許しをこう姿。あんなにも素晴らしい光景を、見たことがなかった。舞奈は最高のおもちゃだった。


 柚莉愛ゆりあは、やはり桜小路家の者として表に立つことも多いい。そこまであからさまに痛めつけるわけにもいかない。ただ、きつく目を閉じ、痛みに堪えるあの顔は悪くない。


 あかりは、どんな顔を見せるだろうか。


「決めたぞ。舞奈。お前は明日から離れで暮らせ。ここは子どもにはよくない環境だろう」


 龍三の言葉に耳を疑った。


 子どものことを大切に思っての言葉に聞こえ、舞奈は目を丸くして龍三を見つめた。


「お前には、俺の子をきちんと育ててもらわねばならん。」


 舞奈の子の方が、数日早く生まれている。舞奈の心に、跡取りは自分の子?という一瞬の希望が芽生えてしまった。


魔裟斗まさとももう時期、柚莉愛ゆりあと共にこの屋敷に戻ってくる。お前たちを歓迎しよう。」

 龍三は、そう言うと踵を返し、洞窟を後にした。


 洞窟の入り口付近まで、赤子の泣き叫ぶ声が響いていた。


− さて…。どう調理していくか。楽しみだ。


 喜びを押し殺している鬼のごとく歪んだ龍三の顔が、月明かりに浮かぶ。


− あかり。まずはお前からだ。

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