第23話 記憶

『その人、信用できる人なんでしょうか?』


 勇二の言葉が棘のように心に刺さっている。悟に聞きたいことがいっぱいある。でも、迷っている自分もいる。


 もし、悟が全てを隠蔽するために、今まさに行動をしているのだとしたら‥。でも彼に何のメリットが?


- わからない‥。


 ひかりは迷いながらも、一人で橋本代議士を訪れることにした。悟にも連絡せず、まずは自分の目で確かめたい。そう思ったから。


 しかし‥、代議士のインタビューは、収穫ゼロだった。

 橋本氏に会うことはできたものの、橋本代議士は、ひかりの顔を見ても動揺することなく、顔色ひとつ変えず、淡々とインタビューに答えた。


「聞きたいことは、それだけかな? これからの日本は、人生100年の時代。だからこそこの事業は必要とされていると、私は思うんだ。」


 ソファーに寄りかかり足を組み換える橋本代議士。


− 堂々としていて、嫌味なくらい落ち着いている…。


「ありがとうございました。もうひとつ‥。」


 ひかりは、代議士の顔を正面から見据える。


- 私の顔を見ても何の反応もなし‥。


「なんだい?」


「うちの社から、雛型 秋子という記者が訪ねさせていただいたかと思うのですが‥?」


 代議士の顔に変化はない。


「君の社とのインタビューは君が始めてだよ。他に質問は?」


 完敗‥。


「お帰りのようだ。私も忙しいのでね。良い記事を期待しているよ。」




 半ば追い出されるように、ひかりは帰路についた。


- 私の顔を見ても何の反応もなかった‥。秋子の名前にも‥。

- 思い出して!何か違和感はなかったか‥。


 ひとつだけ気になることがあった。冒頭、父親の事を聞いたとき、少し眉間にシワがよった気がする‥。聞かれて欲しくなかった?

 ただ、関係のないことを聞くな?ということ?


 結局自分だけでは、何も情報を組み立てられない‥。自己嫌悪。


 ひかりはベッドに横になり、天井を見つめる。まるでそこに回答があるかのように、一点をじっと。


 そうすると、頭の中の情報が整理される気がするのだ。その数ある情報の引き出しから必要なものを取り出したり、整頓したりする。


 ひかりは目を閉じ、意識を集中する。


 すると‥、忘れたいあの日の光景が。うっかり扉を開けてしまい収拾がつかない時のように情報があふれでる。

 仕方がない…ひかりはそのイメージに身を委ねる。


※ ※ ※


 ひかりは、扉を開ける。鍵が開いていたのだ。


- ここは‥実家だ。


 静かすぎる。

 ふわっと鉄のような鈍い匂いが。蛇のように部屋の奥からひかりの身体にまとわりつく。


- お母さん?


- そう、あの時感じたんだった。『鬼だ』ここに鬼が来たんだって。


- 開けちゃ駄目だ。忘れたい。見たくないっ。


 そんなひかりの想いとは裏腹に、映像の中のひかりは扉を開く。


『お母さん‥。』


 ソファーに父と母が、並んで座っている。

 二人とも見たこともない上下白い服を着ている。その白い服が、首元から流れ出た二人の血で赤黒く染まって‥。


 天井、壁にも血が飛び散っている。飛び散った血は重力にしたがって床に滴り落ちる。


- もうそれ以上近寄っては駄目!


 目を背けたくなる無惨な光景が、広がっている。

 ひかりはそれでも近寄る。二人を助けられるんじゃないかと思って‥。無駄なのに‥。


 足の裏に、ぬるっとした粘りけのある感触に驚く。冷たい。床に滴り落ちた血の海に、足がとられたのだ。白い靴下が、みるみる赤く染まっていく。


- どうして‥。


 血の匂いで目の前がくらくらする。吐きそうだ。


- この感覚‥前にもあった。


 二人は完全にこと切れていた。

 母の目は白目を向いて天井を見上げている。父は‥


 その時、母の首が変な角度で傾いた。


『お前なんて、預からなければよかった…。痛い。痛いの。ひかり…。助け…て…』


 意識が遠くなる感覚。ここでひかりは気を失ったのだった。血の海に尻餅を着いて‥


 そして血だらけで発見される。



 このままじゃだめだ。少し時間を巻き戻して見よう。


 坂道を上がるひかり。すれ違う一台の黒い車。

 全く気にかけてなかったけど、車の窓ガラスがゆっくり上がっていく中、そこに一人の男が‥。

 知っている顔だ。でも誰だかわからない。


− 悟さ…ん? うそ…


 一瞬目の前が白く光り、続いて暗くて狭い場所に移動する。


 今ひかりは、暗くて狭い空間に膝を抱えて座っている。

 隣には、小さな女の子が震えながらひかりと同じ姿勢で縮こまっている。


 ひかりは、その少女の手をしっかりと握る。


「大丈夫。大丈夫だから…。」


 気休めにしかならない言葉をかけてみる。少女の手は、汗でべっとりとしていた。血の匂いが濃くなる。


 ゆらゆらと隙間から見える光が動く。


− 鬼だ。お願いっ。殺さないでっ。


* * *


 ひかりは、自分のベッドの上に横たわっていた。

 呼吸は荒く、汗もぐっしょりかいている。


 はぁ…はぁ…。


− あれは…、あれは何?


 両親の遺体を発見した時に感じた、血の匂いを思い出し、身震いをする。ずーっと忘れたい記憶として閉じ込めていたものが、鮮明に映像化されたようだった。


 それだけじゃない。

 思い出した。


 鮮明じゃないけど、あの日、誰かが家に訪ねてきていた。

 一人じゃない。複数の人。


− 悟さんが、両親を殺した??


 違う、違う、違うっ…。


 ひかりはベッドの上で膝を抱え、前後に揺れ出す。子どもの頃から、パニックになるとこうして、体を揺さぶる。そして母がいつも抱きしめてくれた。暖かくて、安心する手。母のシャンプーのいい香りに包まれると、安心できた。


 そして、最後に見た映像がリプレイされる。


 小さな女の子。血の匂いの中で、吐きそうになりながら、その子と隠れていた。あれは…。


− あーちゃん。。


 ひかりの体がぴたりと止まった。


− ずーっと…大事なことを忘れていたんだ。私だけ何も知らず20年近くも、のほほんと暮らしてきた。だから…。


『ひかり、あなたは逃げるの。生きて。生きるの。』


 力強い声が聞こえる。あれは、母の声?

 

 そして小さいひかりは、誰かに抱えられて、光の中へ移動する。



− 行かなくちゃ。あーちゃんが待ってる。

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