第22話 「咲夜胡・続」

 咲夜胡さくやこの物語には続きがあった。


 二人の少女には語られなかった続きが…。


 神からの贈り物、人の未来が見える力を持った少女、咲夜胡さくやこ

 透き通った肌、長く美しい黒髪。彼女を神の使いと崇め、”神の子”として神がこの世に遣わせた存在であると、村人たちが守りし存在。咲夜胡さくやこもまた、自分のおかれている立場を理解していた。


 でも…、一人の青年との出会いが、咲夜胡さくやこの人生を大きく変えた。


 咲夜胡さくやこは恋をし、神の子として守ってきたものも、家のことも、村人のことも、どうでも良くなるくらい、真悟を慕うようになっていった。いっそこの屋敷を出ていけたら…。自分を縛るもの全てを捨てて。


 しかし、神からの贈り物を持つ咲夜胡さくやこにとって、それは叶わぬことだった。


 咲夜胡さくやこはもうすぐ、会ったこともない男と結婚することになっている。父親ほど年の離れた男と。咲夜胡さくやこの能力のおかげで財を成した桜小路家ではあったが、財界・権力、まだ手に入れられないものがたくさんある。だから、桜小路家もまた、そのつながりを求め、咲夜胡さくやこに婿を取らせる計画を立てていたのだ。よくある話である。


 家のためにと、もう一人の咲夜胡さくやこから聞かされていた‥。自分さえ我慢すれば、桜小路家の未来が約束されるなら、それも仕方のないことだと‥。

 でも、今はその決意も揺らいでいる。


 不思議なことに、真悟といるときは、もう一人の咲夜胡さくやこは現れることはなかった。薄暗い奥の場所で、じっと二人を見つめている。なにも言わず、その目が氷のように冷たいことを咲夜胡さくやこは、知らない。


「真悟様、お願いがございます。」


 縁側に座り、真悟が仕事をする姿を見つめながら、咲夜胡さくやこは思いきって声をかけた。


 二人はただ、同じ時間を同じ空間ですごせるだけで幸せだった。なので咲夜胡さくやこから突然声をかけられ、真悟は戸惑いを隠せなかった。


咲夜胡さくやこ様、なんでしょう?」


 ゆっくりと咲夜胡さくやこに近づく。手を伸ばせば届きそうな距離。


 咲夜胡さくやこは、そっと真悟の腕をつかむ。


「はしたない。とお思いだと思います。でも、お願いです。」

 咲夜胡さくやこの赤い唇が微かに震えている。


 今にも消えてしまいそうな咲夜胡さくやこを、真悟は抱き締めたい衝動にかられる。そんなことは、決して許されることではない。


 神の子として生きてきた咲夜胡さくやこ。はかなくて、神々しくて、今にも壊れて消えてしまうのではないかと、いつも真悟を不安にさせる。


「お願いです。」


 咲夜胡さくやこと真悟の目が合う。うるんだ瞳。艶やかな唇。咲夜胡さくやこが自分に何を求めているのかは、何も言われなくとも分かっていた。


 決して望んでは行けないこと。


 でも‥。


 二人を止められるものは何もなかった。神ですら。


 庭の桜と、動物たちだけが知っている秘密。

 このまま、二人どこかに消えてしまえたらどんなに幸せだろうか。


 初めての痛みも、真悟の暖かさで咲夜胡さくやこは、夢の中にいることができた。まるで雲の上に二人きりでいるような、力強い真悟の身体が咲夜胡さくやこを導く。


 別れの時が二人に、永遠に来ないように祈りながら‥。


 しかし、時は残酷に過ぎて行く。


 もうじき、会ったこともない男の妻となる。

 男の噂は村中に届き、嫌でも咲夜胡さくやこの耳にも入る。


咲夜胡さくやこ様、おかわいそうになー。」

「見た目じゃねーべ、男は。」

「いや~、見た目もあれだけども~、どうしようもなく女ぐせの悪ぅ~い男らしいぞ。先妻さんが何人もおるらしくての~。飽きるとす~ぐ離縁するんだと。」

「おいくつくらいなかたなん?」

「いや~聞いたとこによると、咲夜胡さくやこ様の父上くらいのお年だとか。」

「本なら跡継ぎはどうするんや。」

「知らんて。でも~おんな好きの方ならな~」


 噂は尾ひれがついて、飛び交う。


 結納の日が近づくにつれ、咲夜胡さくやこは真悟への想いで溢れていった。


 そんな咲夜胡さくやこに異変が起きた。真悟との一夜をすごした後から、もう一人の咲夜胡さくやこは何も語らなくなったのだ。だから、相談に来た村人の未来を見ることはできない。


 婿として桜小路家にやって来た権次郎ごんじろうは、一目で咲夜胡さくやこを気に入った。そして異常なまでに咲夜胡さくやこに執着した。

 そのうえ嫉妬深く、咲夜胡さくやこの癒しのひとつである、庭に現れる動物も無惨に殺傷した。咲夜胡さくやこが自分には見せぬ笑顔をその動物たちに見せたから。そんな理由で‥。


 咲夜胡さくやこにとって地獄のような日々が過ぎていった。


 そして‥


 最悪な事態が起きる。


 咲夜胡さくやこのお腹が目立ち始めたのだ。権次郎ごんじろうの子ではない。慌てた叔母、雅夜は、咲夜胡さくやこを洞窟の牢屋に閉じ込めた。修行と偽り、権次郎ごんじろうの目から隠すためだ。


 だがこの事態は権次郎ごんじろうの耳に入ってしまう。


 怒り狂った権次郎ごんじろうは、鬼と化した。

 居間に飾っておいた日本刀を抜き取り、暴れだしたのだ。


咲夜胡さくやこぉ~~~っ」


 それは地を這うような轟音のように屋敷に響き渡った。


権次郎ごんじろう様!何事です!?咲夜胡さくやこ様は修行中‥」

 家の者が慌てて、権次郎ごんじろうをなだめようとするも、時すでに遅く、振り向いた権次郎ごんじろうの目は、鋭く怪しいひかりをはなって、回りの者を威圧する。


「お前か~?」


「な、何の‥。」


 その言葉を聞くや否や、権次郎ごんじろうは刀を振り下ろした。


「ご、ごんじ‥」


 シューシューと激しく血が飛び散る。一瞬にして権次郎ごんじろうの着物も顔も血で染まる。


 権次郎ごんじろうは不気味に、ペロリと顔にかかった血をなめる。


 ごぼごぼ。目の前に倒れた男の方から変なおとが聞こえる。何かを訴えかけているかのようだ。


咲夜胡さくやこ、どこだぁ~!!」


 何事かと駆けつけた者を、男女問わず斬り倒していく。その度に権次郎ごんじろうは血に染まり、屋敷中が誰の者かもわからない血で壁も天井も血飛沫で埋め尽くされた。


 辺りは血の匂いで充満している。


咲夜胡さくやこぉ~!!!」


 切れ味の悪くなった刀を右手に持ち、左手に切り落とした使用人の首をつかみ、権次郎ごんじろうは館を出、ふらふらと山の方へと歩いていく。


咲夜胡さくやこぉ~!!! 出てこぉ~い!」

 ぽたぽたと、血が滴る。


「ゆるせぇん! 俺様をこけにしやがって~!咲夜胡さくやこぉ~!」


 権次郎ごんじろうは、どんどん山奥へ。咲夜胡さくやこのいる洞窟の方へ向かう。ふらふらとと、ゆらゆらと血の匂いをまといながら‥。


「ぐぉぉぉ~~っ」


 この世のもと思えない地響きが山の方から村へ響き渡った。


 夜が来る。


 村人たちは恐怖の中、松明と武器を持ち権次郎ごんじろうを追う。


 権次郎ごんじろうが持っていった首も、権次郎ごんじろう自身も、見つけることはできなかった。


 夜明け近く、村人の恐怖も疲労も最高点まで到達した頃、桜小路家の母屋‥、咲夜胡さくやこの住んでいる屋敷から火の手が上がった。朝焼けかと思ってしまうほどのオレンジ色の光。


「な、なんだ?」

「火事?」

「桜小路家の方角じゃねーべか?」


 村人たちは騒然としている。誰かが叫んだ!


「あいつ、戻ってきたんじゃないかー?」

「おかんが、村にいるでーーー。戻らんと!」


 村についた時、時すでに遅く桜小路家の母屋は、火に包まれ、手の施しようがなかった。


「中に、息子がおるかもしれん。助けてくれっーー」


 皆、なにもできず呆然と見守るしかなかった。地面にへたりこむ者、泣き叫ぶ者、慰め会い抱き抱える者、様々に‥。


 ザクッ、ザクッ


 桜小路家の火の海から何かがこちらに向かって来る。


 ザクッ、ザクッ。


 刀を杖代わりにし、火を浴びて顔の肉、肩の肉が溶け落ちた男が‥。


 服は焦げ落ち、煤だらけの身体。

 肉の焦げた異様な匂いと血の匂いをまといながら、死の縁から這い出たような出で立ちで、燃え盛る桜小路の家から出てきたのだ。


 恐怖のあまり誰一人動くことができない。


「ぐぉぉぉ。」


 鬼だ。誰もがそう思った。


 勇敢な村人が、斧を振り上げたその瞬間奇跡が起きた。


 火の中から、女性が現れた。不思議なことに無傷で。彼女の回りは光に包まれ、火が弾き返されているように見えた。


「さ、咲夜胡さくやこ様‥?」


 その声に反応したように、化け物と化した権次郎ごんじろうがゆっくりと振り向く。

 ギシギシギシギシ。相当な痛みを伴っているはずだ。


「これ以上、誰も傷つけることは許しません。」


 咲夜胡さくやこはゆっくりと権次郎ごんじろうに歩み寄る。


「駄目だ!咲夜胡さくやこ!」


 真悟の声が聞こえた気がした。真悟の顔を見たい。無事をこの手で祝いたい。でも、鬼と化した権次郎ごんじろうと共に地獄へ旅立つ決意をした咲夜胡さくやこにとって、それは叶わぬ思いだった。


- 生きていてくれた。ありがとう。本当に‥ありがとう。


 真悟への感謝の言葉を胸に、咲夜胡さくやこ権次郎ごんじろうを支えるように、権次郎ごんじろう抱かれるように彼の胸元に身体を埋める。


 と、同時に鈍いおとが聞こえた。


 誰もが息を飲んだ。


「ぐぉぉぉーーーーーーー」


 二人は炎に包まれた。火はますます大きくなり、やがて大きな火だるまになる。


「ぎゃーーーーーーーーーーーーー」


※ ※ ※


 全てが終わった。

 焼け焦げた屋敷から、8体の遺体が見つかった。身元はわからない。当時桜小路家にいた使用人だろう。


 不思議なことに、咲夜胡さくやこが愛した桜は火事の影響を免れていた。


 後日咲夜胡さくやこがいた洞窟から遺書とも受け取れる書が見つかる。


『この後、この村に大きな災いが起こり、多くの人が酷い死を向かえます。

これは全て私が招いたこと。あの人を鬼に変えるのは私。

ごめんなさい。

とめさん、良吉さん、雅夜おば様、そして真悟様。この子をよろしくお願いいたします。


とめさん、今年の冬は身体に気をつけて。』


※ ※ ※


 咲夜胡さくやこが、洞窟を抜けて屋敷に戻った経緯は、誰もわからない。しかし‥、咲夜胡さくやこが村を救ったことは事実である。


 そして咲夜胡さくやこの書に書かれていた名前の人物たちは、この後、生きて桜小路家を守って行くことになる。


 権次郎ごんじろうの家の者はこの一件を家の恥とし、世の中に公開しないように手を打った。なのでニュースにも、噂にもならない。完全に闇に葬り去られたのだ。


 そして‥、いつしかこの村は"鬼追村きおいむら"と呼ばれるようになった。


 時が経ち‥ここにまた、神と鬼に愛された人物が誕生する。

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