第14話「咲夜胡」

 昔々のこと。

 まだこの村が神々をお守りし、神守村かみもりむらと呼ばれていた頃の遠い昔の話し。


 月に一度だけ会うことが許されている曽祖母そうそぼ紅夜べによ。身体の具合が悪いのだろうか‥。ほとんど誰とも会わず、桜の見えるこの離れで一人、暮らしている。

 紅夜べによの世話は、屋敷の使用人に任せっきり。


 その紅夜べによのしわしわの大きな手が二人の少女の肩を抱き寄せ、しわくちゃの顔を、さらにしわくちゃにしながら微笑みかける。


 紅夜べによの笑顔は不思議なことに、人を穏やかな気持ちにさせる。穏やかな声が安心感を与えるのだろう。


紅夜べによ様!今日もお話を聞かせて。」

「聞かせてー。」


 二人の少女にねだられて、うんうん。と老婆はうなずいた。


「そうだなー、お前たちもそろそろ知ってもいい頃合いじゃろう‥。

今日は特別にこの話をしようかの‥。」


 老婆は丸まった背を少しただして話始めた。


「まだこの村が神々をお守りし、|神守村≪かみもりむら≫と呼ばれていた頃、ここ桜小路家は村を代表して代々神様をお守りしてきたんじゃ。これはもう知っているね。 中には、神に愛され神の声を聞く子どもが、桜小路家には誕生することがあったんじゃよ。」


 紅夜べによはとても大事なことを打ち明けるように、声を少し落とし‥続けた。


咲夜胡さくやこ様も、そのひとり。」


「サクヤコさま?」


 二人の少女にとって初めて聞く名前だった。

 紅夜べによは優しく微笑んだ。


「そう、咲夜胡さくやこ様は誰よりも神に愛された方。ほら、あそこに大きくて立派な桜が見えるじゃろ? あの桜が見えるこの場所で暮らしておられたんだそうだ。」


 ふっと優しい風が部屋の中に流れ、桜の花びらが一枚‥紅夜べによの膝に舞い降りた。

まるで桜も、紅夜べによの話を聞きに来たようだ。


 紅夜べによは続ける。


***


 咲夜胡さくやこはとても美しく、透き通った肌と長い黒髪、赤い唇が印象に残る少女だった。


 全ての人から神の申し子として崇められ、人との関わりもごく一部の者とのみ、限られた空間で神と会話することだけを期待された少女だった。


 それでも少女は幸せだった。


 庭に現れる鳥や動物たちが遊び相手であり、唯一心から安心して語り合える友だった。


 少女には不思議な力が宿っていた。周りの大人たちの未来が見えた。見えたというよりもう一人の自分が現れ、今目の前にいる人物について語り始める。悲しいことも、嬉しいことも淡々と語り始めるのだった。


 いつ頃か、少女はこの不思議な現象は自分だけに起こっていることを知り、周りの大人たちは、少女のことを”神から愛された宝”だと言うようになった。


 最初は大人たちが驚き、喜ぶ顔を見るのが嬉しかった。でも‥ある日を境に、少女は見たこと全てを語ることをやめた。


 それは‥何がきっかけだったのかはわからない。


 最愛の母の死が関係しているのかもしれない‥。それ以来少女は独り桜の見えるこの場所で、ひっそりと過ごすことを選んだ。


 ますます咲夜胡さくやこは、神秘的な存在となり、未来を知りたいと言う大人たちが、村に押しかけ、家はどんどん立派になっていった。それにあわせて、身の回りの世話を行う使用人の数も増えていった。


 桜が満開の頃、咲夜胡さくやこの前にひとりの青年が現れた。

 桜の花びらがフワッと舞ったかと思ったその時、その青年は現れたのだ。


「君は‥誰?」


 咲夜胡さくやこのことを知らない人物がこの屋敷にいるはずはない。新しい使用人なのだろうか。


「あなたこそ‥どなたです?」


 白いシャツに黒いズボン。手には箒を持っている。

 新しい庭師なのだろう‥。咲夜胡さくやこは、そう理解した。


「あ‥。」


 青年は主人の言いつけを思い出した。離れには近づかないこと。掃除は表のみ、決して立ち入ることなかれ。


「申し訳ございません。あまりにも立派な桜だったので‥。」


 青年は罰の悪そうに深々と帽子をかぶり、失礼します。と軽く会釈をし、その場を立ち去ろうとした。


「待ってください。桜も喜んでいます。是非ゆっくりと見てあげてくださいませ。」


 白い着物を来た咲夜胡さくやこは、ゆっくりと庭に降り立ち、青年のそばまで歩み寄る。


 その一つ一つの所作が、高貴な印象を、神に愛されし者を象徴するように神々しい。


 艶やかな赤い唇で、咲夜胡さくやこは微笑みかける。


「質問にお答えしていませんでしたね。私‥咲夜胡さくやこともうします。」

「あ、‥。小生は‥、ひ、ひ、雛型 真悟ひながた しんごと申します。知らなかったこととは言え‥失礼いたしました‥。」


 青年の顔は真っ赤だ。すぐにでも立ち去りたい気持ちと、もう少し一緒にいられたら‥という気持ちが入り混ざる。


 くすっ。


 咲夜胡さくやこの微笑みとともに、桜の花びらが舞い上がった。それと同時に、薄いピンクの羽を持った2羽の鳥が真悟の腕に降り立った。とても軽い足取りで、真悟の腕から肩へ、1羽の鳥がぴょんと頭の上に飛び乗り居心地が良さそうに毛繕いをはじめた。


「この子たちも、真悟様が気に入ったと申してますわ。」


***


 トントン。


「失礼します。」


 障子がスーッと開く音が聞こえた。


「あ、お母様!」


 少女たちの顔がパッと明るくなった。


「そろそろお時間ですよ。|紅夜≪べによ≫様もお疲れでしょうから、お部屋に戻りましょうね。」


「えー。まだお話の途中なのよー。」


 少女たちは駄々をこねる。


「|紅夜≪べによ≫様、申し訳ございません。お疲れでしょう。そろそろ失礼いたしますね。」


 柚莉愛ゆりあは|紅夜≪べによ≫から離れない子どもたちの側で、申し訳なさそうにそう言った。


「いいて、いいて…。たまに会えるのも嬉しいものじゃよ。柚莉愛ゆりあも元気そうで何よりじゃ。」


 |紅夜≪べによ≫が優しく柚莉愛ゆりあの手を包み込む。


「お久しぶりです。|紅夜≪べによ≫様。お変わりありませんか?子どもたちがご迷惑おかけしてなければいいのですが…。」


「構わんよ。今日は咲夜胡さくやこ様のお話をしていたんじゃよ。お前にも話したことがあったじゃろ?」


 ぽんぽんっと、|紅夜≪べによ≫が柚莉愛ゆりあの手を叩く。その手の温もりが暖かく、涙が出そうだ。


「サクヤコ様のお話を聞いていたのー。とても素敵なお話〜。あの桜の下で王子様に会ったのよー。」


 少女たちは興奮気味に柚莉愛ゆりあに話しかける。


「そう、よかったわねー。」 


 咲夜胡さくやこの名前を聞いて、柚莉愛ゆりあは戸惑う。この桜小路家にまつわる鬼伝説の始まりの人物でもある咲夜胡さくやこ。まだ子どもたちには理解できないことが沢山あるのだ。


 柚莉愛ゆりあの心の変化を感じ取った|紅夜≪べによ≫は、こう答えた。


咲夜胡さくやこ様は、神に愛されしお方じゃ。その人の血を受け継いでいるお前たちは、また神に愛されし存在。神からの贈り物を大切に生きるんじゃよ。この続きままた今度聞かせてあげよう。」


 二人の少女は素直に頷いた。


「|紅夜≪べによ≫様…。」


 柚莉愛ゆりあは不安げな眼差しを|紅夜≪べによ≫に向けた。


「わかっておる、わかっておる。心配せんでも、未来はきっと変えられる。あの子たちが光じゃ。」


 柚莉愛ゆりあは涙を堪え、そっと|紅夜≪べによ≫の手から離れた。今にも崩れそうな心を必死に隠して。二人の少女と共に部屋を後にするのだった。


 |紅夜≪べによ≫は静かに目を閉じる。祈りを捧げるように。


 咲夜胡さくやこの話には、続きがある。

 この村が ”鬼追村きおいむら” と呼ばれるきっかけもまた、咲夜胡さくやこなのだから。


咲夜胡さくやこの生まれ変わり…。そして鬼が…来る。」


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