第13話 闇の中へ
この時を待っていた。
ひかりが眠りに落ちるこの瞬間を。
男は、すぐには行動せずしばらく様子を見る。浅い眠りで気づかれてはもともこもない。
最近のマンションの防犯はしっかりしている。階段にも各階に防犯カメラがついている。このマンションも例外ではない。
長時間ここにいるのは危険だ。今は階の中央にいる。カメラには座っている足元だけ見えているはずだ。長時間居座り続けるのも得策ではない。
− さて‥。
男はゆっくりと立ち上がる。これからが本番だ。再びひかりの部屋を目指す。
10時少し前。住人の出入りはない。階段の防犯カメラよりエレベーター内の防犯が優れていることを知っている。何かが起きた時、入り口・エレベーターの防犯カメラを重点的に調べるはずだ。
男は軽快な足取りで階段を下りた。今の彼を見ても誰も疑うものはいないだろう。一昔前のホタル族、いや今はちょっとスマホでゲームも、長時間部屋でやり続けるのは、同居人の目が怖い時代だったりする。そして…マンションの隣に誰が住んでいるのかなど気にする人はほとんどいない。
男はひかりの部屋のドアの取っ手に手をかけてみる。思った通り、鍵は掛かっていない。
- 意外とちょろかったな。
男の口許が緩む。
部屋の中から聞き覚えのある女性の声がする。テレビのアナウンサーだろうか。
目の前には、机に寄りかかるひかりの姿があった。濡れた髪、白いTシャツはサイズオーバーなのだろう、左肩があらわになっていた。
- さっさと始めるか。
男はテーブルの上に広げられた資料に注目する。
- まずはこっちか。
ソファーの上に無造作に置かれたカバンの中から秋子の資料を抜き取り、パラパラとめくってみる。特に気になる箇所はない。
「ちっ、なんなんだこれ。」
男はもとの場所に資料を戻す。
- こっちか。
ひかりの下敷きになっている資料をそっと引きずり出す。スクラップブックだ。
開きっぱなしの箇所の記事を読む。
- 代議士の事件か‥。俺たちを結びつける記事なんてないじゃないか。
収穫ゼロ。
- あの女‥殺す必要なんてなかったのかもしれないな。
「うーん‥」
その時ひかりが声をあげた。
はっと息をのみ、男はひかりに目を向ける。その瞬間、全身の血が再び逆流する感覚に襲われた。
むき出しの首筋。あの特あの女はなんと言ってた?
はっきりと思い出せない。が‥、はじめて人の肉に傷をつける感覚を思い出して興奮する。
逃げられないように、鋭利な枝を突き刺してやった。その時あの女はなんと言っていただろう? 助けて?だったかな〜。
逃げられないことをさとって、命乞いをした?肝心なところが霧が掛かって思い出せない。
涙で濡れた頬をナイフで傷つけ、拳で殴り付けた。何度も何度も何度も。
血が飛び散り、血の匂いが体を包んだ。そして素晴らしく清々しい気分になったことは、鮮明に覚えている。
男はひかりに目を戻す。
白い肌に傷をつけたい。驚く顔を見てみたい。
カメラ内蔵のあのペンで、突き刺すのも悪くない。ナイフよりもコツがいる。
想像するだけで心が踊る。
ブーっブー。 ひかりのスマホが点滅した。
「‥。ちっ。」
− まだだ。この女が犯したあの忌々しい罪のために、親友が死ななければならなかったことを知るがいい。それからだ。それからじゃないと意味がない。苦しみ、嘆き、もがいた姿を見るまでは…。
− やっと見つけたんだ。これからだ。
男は自分に言い聞かせるように呟き、部屋を後にすることにした。
カメラを回収するのを忘れることなく、入ってきた時と同じように、そっと部屋の外に出た。
生暖かい風が男の頬を撫でていく。
− 俺は泣いているのか…?
男はブルッと体を震わせ、闇の中に消えていった。
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