第12話 高揚

 今日の出来事を頭の中で整理をしながら、ひかりは家路についた。途中何度か携帯を確認してみたが、悟へのメッセージは既読にならなかった。


-忙しいのかな‥。


 部屋に入り明かりをつける。いつもと変わない風景。

 ソファーの上にカバンを無造作に置き、まずは冷たい麦茶をコップ一杯飲む。


 時刻は8時になろうとしていた。

 テレビをつけ、携帯を見る。既読にならず。

 テレビでは、台風接近のニュースが流れている。過去にない大型台風で、避難が必要と呼び掛けている。


-今日は無理そうかな‥。


 秋子と最後に話したのも大荒れの天気の時だった。


 秋子と一緒にこの部屋で、飲んだあの日の光景がよみがえる。


-秋子‥。


 目頭が熱くなり、ひかりは自分に言い聞かせるように立ち上がった。


「今は悲しんでる場合じゃない!前へ進むの!」


 パシッと両手で自分の頬を叩いて気合いを入れる。次へ進むのだ。ひかりは洗濯の山からバスタオルと着替えをつかみ、バスルームへと向かった。


 時刻は8時すぎ。


 熱目のシャワーを浴びる。疲れた心に暖かい何かが流れ込んでくるようなそんな気がした。

 外でかすかに物音が聞こえたが‥ひかりは気づかない。全てを忘れさせてくれるシャワーの温かさと、水の流れ出る音に身を任せて‥。細かいことは気にならなくなっていた。


 誰かがそっとひかりの部屋に忍び込んでいる。音を最小限にするべくゆっくりとした動きで。

 男にとって、鍵を開けるのは容易なことだった。子どもの頃から鍵に異常なまでの興味を持っていたから。いろいろな鍵の形状、解除の方法を覚えられた。だから、今回もとても簡単な行為だった。


 玄関を入り靴を脱ぐ。それを持ってゆっくりと部屋の中へ進む。

 対面式のキッチン。先ほどひかりが飲んだ麦茶が、コップに少し残っているのを見つけた。


 今にも彼女が出てくるかもしれない。濡れた髪と火照った体で。

 想像するだけで、全身の血がすごいスピードで巡り、頭に集中してのぼって来るのを感じる。


 久しぶりの高揚。たまらない。


 慌てずに男はポケットから持ち込んだ睡眠導入剤をコップに入れた。お風呂上がりに、継ぎ足しで麦茶を飲むことを期待して。


 ひかりと鉢合わせることは本位ではない。気づかれず事を進めることが必要だ。

 彼女の動向がわかるように、小さなカメラをキッチンにある、調味料の影にセッティングした。


 一見普通のペンが置かれているような、もともとそこにあったかのように馴染んでいる。

 男は角度をソファーの方に向けた。これでいい。

 スマホで映像を確認する。こちらもしっかりと映像を確認することができた。満足げに男の口許が歪む。


 用事がすんだその時、シャワーの音が止んだ。彼女が出てくるかもしれない。


 男は一旦部屋を出ることに決めた。びっくりする彼女の顔もみてみたい衝動にかられるが、ここは慎重に事を進める必要がある。


 自分に言い聞かせるように、そっと玄関に向かい無駄な音を立てないように扉をゆっくりと開ける。彼女はまだ出てこない。


 扉の外には幸運なことに誰もいない。


 鍵はそのままにして、扉を閉めた。無駄な施錠の音を響かせたくなかったから。同居人が出てきたという感じに、堂々と男は部屋から離れていった。最近の防犯カメラは素晴らしいことを知っている。だからあえて不振な行動を起こさないことが得策だ。

 帽子を深く被り、暗闇に移動をする。一旦外に出たいが、オートロックのため次にマンショ自体に入れるかは運次第だ。


 階段に腰を掛け、時が来るのを待つことにした。


 もし彼女が麦茶を飲まなかったら、もしコップを洗われてしまったら、また別の方法を考えるまでだ。


 その時は比較的早く訪れた。Tシャツに短パンの姿でひかりがカットインしてきたのだ。


 男はごくっと息を飲む。スマホを持つ手に力が入る。


 ひかりは気づかない。

 タオルを首から下げて濡れた髪をふく。


* * *


 お酒を飲むか迷うところだ。いつもなら冷蔵庫からビールを出して、ぐいっといくところではあるが、今夜は悟からの連絡があるかもしれないし、秋子の資料にも目を通したい。


- ここは‥我慢しておこう。


 ひかりはさっき使ったコップを手に取り、氷を入れた。そして、冷蔵庫から麦茶のポットを取り出しソファーへと向かった。


 携帯を確認する。悟のメッセージは既読にならず‥。


「今夜は無理ね。」


 思わず声に出して呟いてしまった。誰もいない部屋での独り言は、よくあることだ。


 カバンから、秋子の資料を取り出し、机に広げる。ソファーを背もたれにしてクッションに座り、資料を眺めてみた。


「何かヒントがあればいいんだけど‥」


 政治家の暗殺未遂事件の記事を確認してみる。この事を未遂で終わらせることができたひとつに、予言者の存在があると言われている。それを示唆する記事はないだろうか。

 一度か二度、メディアで預言者のことが取り出されていたが、ピタリと報道されなくなった。何かあるのだろうか…。


 麦茶を飲みながら、読み返してみる。


「3月13日 山梨県の公民館で地元の支持者と共に会合に出席。演説中に中山智也(26)が、橋本 龍一代議士に刃物で切りかかるも、周りの警備員に取り押さえらる。同刻、殺人未遂の容疑で緊急逮捕。」


- 山梨‥。 中山智也はなぜ会場に入れたのかしら? 関係者? 予言などなくても警備がしっかりしていたら普通に取り押さえられるレベルなんじゃ? それに、この代議士の地元は…確か福島なはず…。


 突っ込みどころは山のように出てくるが、記事としては気になることは、何も見当たらない。


 近くに置いておいたノートを引き寄せる。


 また一口ごくっと麦茶を飲む。飲んでも飲んでも喉の乾きが潤わない。また一口。


 ノートに疑問を書き留めて置くことにした。悟と話すときに整理をしておきたかったから。


- 中山智也とは? 

- 橋本氏との関係は?

- 予言者の存在はどこから?

- 中山智也は、会場になぜ入れたのか?

- 情報はどこから得たのか?


 くるくると、ペンを回しながら考えてみる。


- 代議士の行動なんてサイトで確認できるか‥。


 そんなことを考えていたら、ひかりは急に眠気に襲われた。回していたペンがポロリと机の上に転がる。


- 眠い‥。


 思考が完全に止まってしまったようだ。


- あー、サラダ買ってきたのに食べてないな~。冷蔵庫にしまったかな~‥。


『ひかりはさー、いつもそうなんだよねー。しまうものはちゃんとしまわないと。腐ったら食べられなくなるんだよ。』


- また…、秋子に怒られるな‥。


 目の前がだんだん暗くなる。瞼が閉じる。

 ベットに移動する気力もわかず、ひかりは机に寄りかかり、完全に目を閉じた。


 男の入れた睡眠導入剤によって‥。深い眠りに。


-眠い‥ つかれてるのかな‥。

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