第6話 溢れる想い

「お帰りなさい。」


 車を降りると初老の女性が、悟たちを出迎えてくれた。優しそうな女性だ。

 秋子の実家は海沿いに面した一軒家。青空に白い壁が映える湘南の家のイメージにぴったりの建物だった。


「ただいま。節子さん。留守をお願いしちゃってごめん。後は俺が。」


 初老の女性は、節子というらしい。悟とのやりとりからすると、母親ではないのかもしれない。

 ひかりも慌てて挨拶をし、悟の後を追う。


 海からの風が心地よい。潮の香りが届く穏やかなこの場所で幼い頃の秋子は育ったのだ。車が2台置けるスペース、秋子と悟はここで一緒に遊んでいたのだろう。


「ひかりさん、どうぞ。」


 悟が玄関のドアを支えて待っていてくれた。

 節子は、遠いところまで暑かったでしょう。お茶でも入れますから、と言いながら奥の部屋の方へ去っていった。


 玄関を上がって左手の方に大きな部屋があり、まずはそこへ案内された。斜め奥の仕切りの先に、布団が敷いてあるのが見える。部屋も冷房がきいていてひんやりとしている。


− 秋子…。


 胸が苦しくなってきた。


「秋子に会ってやってください。」


 悟が仕切りの方へひかりを誘導する。


 お線香の香りがする。節子が悟の不在の間もお線香をたやさずにいてくれたのだろう。ひかりは昔から、人が亡くなる数日前に、お線香の香りを感じることがあった。その人物が亡くなるのではなく、その人物の周りで、お線香の香りを感じ取るのだ。その香りが強ければ強いほど、その人物に近しい親族が亡くなる。


 秋子の顔には白い布が被せられていた。新たなお線香を供え、布をそっと外した。


「秋子…。」


 眠っているような穏やかな表情の下に、化粧でも隠しきれない傷がいくつも見てとれた。痛かっただろうに…。

 ひかりは、そっと手を合わせた。涙が止まらない。


 初めて秋子と会った時のこと、一緒にお酒を飲みながらお互いの才能を褒めあったこと。上司の愚痴をしこたま吐き出したこと。一緒に温泉に行ったこと。思い出は数えきれない。


− 何があったの?秋子…。


 お線香の香りがひかりの体を優しく包んだ。まるでハグをされたような、暖かく悲しい何か。


 ひかりはそっと目を開けて部屋の隅に目を向けた。


「さ、悟さん。あれは…?」


 そこには、黒のレインブーツと大きなリュック、そして赤い傘が置かれていた。

どこかで見た。そうだ、あれは…。秋子と電話をしていた時に頭に浮かんだ景色。


 一瞬ひかりは息を呑んだ。


− ねぇ、キオイ村って知ってる?


 耳元で秋子の声が聞こえた。


 ひかりは咄嗟に振り向いた。誰がいるわけではなく、自分の荷物が置かれている入り口があるだけだ。


「どうしました?」


 悟が心配そうに声をかける。


「いえ、あの…。あの傘と靴は?」

「あー、あれは、秋子が最後に身につけていた靴と、持っていた傘なんです。秋子と一緒に警察から…。」


 悟は立ち上がり、そばにおいてあったリュックとパソコンを持ってきた。


「ひかりさんに見てもらいたいものがあるんです。あちらで…。節子さんがお茶を用意してくれたみたいですし、通夜の準備まで時間もないので…。」


 涙を拭き、ひかりも悟の後について、リビングへと向かった。


 節子は、冷たいお茶を用意してくれていた。おにぎりとサンドウィッチまで。冷たい飲み物はありがたかったが、二人とも食事をする気分ではなかった。

 二人とも、何か口に入れないと体が持ちませんよ。といい、節子はエプロンを畳む。


「悟さん、それではまた夕方来ますから。」

「あぁ、節子さんありがとう。また後でよろしくお願いします。」


 悟は、そう言いながら、節子が帰るのを玄関まで見送った。

 節子も何か悟に話をしている。内容まではわからないけど…。


− そういえば、ご両親は?


 戻ってきた悟の目には、涙が浮かんでいるように見えた。


「悟さん、大丈夫ですか。。?」

「あ、ごめん。大丈夫です。何が大丈夫かわからないけど。」


苦笑い。


「母を早く亡くして、父も昨年病気で他界してから、この家をどうするか秋子とも話していたんです。俺は早くに家を出ていたので、基本秋子がこの家を守っていたことになるんですけど、節子さんが定期的に空気の入れ替えや、親父たちの仏壇の手入れもしてくれていて、ほんと、節子さんは俺たちの家族同然の人なんですよ。」


 リュックの中から何かを探しながら悟は姿勢を正した。


 これから本題に入るのだろう。


「ひかりさんに見てもらいたいもの、そして秋子がひかりさんに渡したかったと思うものがこちらです。」


 悟は見覚えのある秋子の手帳から、何枚かの写真をひかりに手渡した。


「パソコンやカメラの画像には残っていなかったので、秋子が意図的に現像してデータを削除したのか、誰かがデータを削除したのか…。」


 悟の声が曇る。


「悟さんは、秋子の死をただの事故ではないと思っているんですね?」


 私もそう思います。という言葉は伝えずにひかりは聞いてみた。


 しばらくの沈黙。そして悟はしっかりとひかりに向き合い、頷いた。


「はい。この写真が何かヒントになっている気がして仕方がないんです。」


 写真を指さす。


 写真はどれもピンが合っていない。林の中っぽい写真、昔ながらの家屋が写っているもの、何か白い服を着た人たち。どれも具体的に何が写っているかわからないものばかり。数枚の写真をめくっていると、1枚だけ気になる写真が。


「これ…。」


 ひかりは、顔をあげ悟を見つめた。


「そう、それ。」


 悟も応えた。


 そこに写っているのは、一人の女性。


 小さい写真を拡大したのか、こちらもはっきりとせずぼやけている。何かの儀式でも行うの?というような出立ち。周りには白い服をきた人物。その人物達は後ろ姿で、女性の方を見ている。


−ひかりって、今東京だよね?


 秋子からの電話を思い出した。確かにこれは…。


「君に似てると思わない?」


 ひかりは何も答えられず、ただじっと写真を見つめていた。

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