8
どれくらい、深い眠りに落ちていただろうか。
健吾が目覚めると、カーテンの隙間から差し込む光は、ほのかに室内を照らしており。しかしそれが、一晩中眠り続けた後の朝日なのか、それとも更に昼過ぎまで寝入ってしまったための夕日なのか、すぐにはわからなかった。
とにかく、目覚めてすぐに自分が「部屋のベッドの上にいる」ことを認識し、ここに帰って来れたことが夢ではなかったとわかって、健吾はまた泣きそうになってしまった。そして、意識がはっきりしてくるのと同時に、口の中がズキズキと痛みだし。健吾は再び、痛み止めの錠剤をバリバリと貪った。
口の中の痛みが「最も切ない」ので、つい気を配るのを忘れてしまいがちだったが、アイスピックとドライバーで貫かれた両手、二度も犯された肛門、左右両方とも焼かれた足の裏。そして、少なからず尿意を覚えていたものの、小便をすることが怖くてたまらない、尿道の傷。恐らく、「真っ赤な血の小便」が噴き出すのではないかと、怖くてしかたなかった。それは、大便についても同じことが言えたのだが。
三ツ谷からもらった大き目の袋の中には、痛み止めと一緒に、替えのガーゼなども一応は入っていた。「この家で起きたことを、金輪際誰にも喋らない」と誓った以上、病院に行くことも出来ない。後は、「自分で治す」しかないのだ。当分は、誰にも会わず、家の中でひっそりと、傷が癒えるのを待つしかない。ある程度痛みが治まったら、薬局などで鎮痛剤やガーゼなどを買い込み、またしばらくは引きこもりを決め込む。
もしかしたら、一朗の知り合いや家族から連絡があるかもしれないが、全てスルーすることに決めていた。「喋れない」以上、何も言うことは出来ない。いちいち嘘を付くくらいなら、いっそ「誰とも喋らない」方がよっぽどマシだ……。真一は、「傷が癒えたら、何かしらの行動に出るかも」と言っていたが。今の健吾には、例え傷が全快して体力が戻ったとしても、そんな行動に出る気力が湧いて来るとはとても思えなかった。それだけ、健吾の心と体に植え付けられた傷跡は、拭い去ることの出来ないトラウマとなって、深いダメージを残していた。
とにかく、覚悟を決めて一度、トイレに行くか。便器が真っ赤になるかもしれないが、仕方ない。あと、どうしようもなく喉が渇いた。ビールとかアルコールでなくていい。「冷たい水」を思う存分飲みたい……。冷えた水など飲んだら、舌の傷にさぞ沁みるだろうと思えたが、喉を潤したいという気持ちは抑えられなかった。
酷い火傷を負った上に、家に戻るまでの過程で皮がずる剥けたような状態になってる足の裏に、気を遣いながら。健吾はゆっくりと、ベッドから起き上がった。すると、傷ついた箇所だけでなく、身体のあちらこちらが、一斉に悲鳴を上げた。まるで体全体が、「まだ動くな。ベッドに寝て、大人しくしていろ」と健吾に命じているようだった。
実際その通り、これから立ち上がって、一階へ降り。トイレに行って、それから水を飲むという「通常ならなんでもない行動」が、今の健吾には、とてつもない重労働に思えた。仕方ない、トイレは諦めて、冷蔵庫にペットボトルの水があるかどうかだけ確認しよう。今の状態で、重いものを2階まで運べるとは思えないから、小さめのボトルがあるといいな。あと、もし空いたボトルがあったら幾つか持って上がって、それで「用を足す」ことにしよう……。
健吾は、一階に降りてからの「いま出来そうな、最低限の行動」を頭に描いて、足を引きずりながら、部屋のドアに近づいた。すると、ドア越しに下の階から、動物の鳴くような声が聞えて来た。
うーー、うーーー……。
その声は高めのトーンで、繰り返し何かを呼ぶように鳴いている。……いや、違う。あれは、動物の声ではない。あれは……「口を塞がれて呻く、人の声」だ……。
そう思ったとたん、健吾の全身に、冷や汗が「どっ」と流れ出た。心臓の鼓動が見る間に速くなり、頭の芯がズキズキと疼き出した。下で、いったい「何が起きているのか」。健吾はしばらく、ドアの前で固まったように動けなかった。だが、やがて静かに、部屋のドアを「ぎい……」と開いた。「行ってはいけない」という思いと同時に、「自分は、そこに行かなくてはならない。起きていることを、確かめなくてはならない」という、強烈な強迫観念に囚われていた。健吾は部屋を出て、一歩一歩ゆっくりと、階段を降り始めた。
一階に近づくに連れ、聞こえる声は大きくなり。そしてその声の「主」が誰なのか、健吾には見当がつき始めていた。だが、それを認めたくなかった。それでも健吾は、何かに取り憑かれたかのように、階段を降りると、すぐ脇にあるリビングに足を踏み入れた。
リビングのソファーに、仰向けに体を押しつけられ、「口を塞がれて、呻いている」のは、健吾の妹だった。妹は口にさつぐつわを嵌められ、両手を縛られ。そして両足は、足の間に体を入れ、腰を前後に激しく動かしている、あのガタイのいい「運転手」に、しっかりと抱え込まれていた。
真面目な妹はそれが「初めて」だったのか、運転手が腰をぶつけている股間と、股間の下のソファーの部分が、真っ赤に染まっていた。それから運転手は、自分の性器を妹から「ずるっ」と引く抜くと。今度は妹の体を強引にうつ伏せにして、改めてソファーに押しつけた。そして、健吾を犯した時のように、妹の腰を両手でガッチリと押さえ。再び、腰を激しく動かし始めた。
「うううううううう!!!!」
妹の呻く声が、先ほどよりも更に悲痛な響きに満ちていたことから、運転手は性器を子宮ではなく、肛門に挿入したものと思われた。運転手の動きは激しさを増し、「はっ、はっ、はっ……!」と断続的に荒い息を吐いていた。その様子は、快楽を得ようとしていた健吾の時とは違い、「相手を痛めつけることを、目的としている」ように見えた。
やがて、運転手の体が「がくがくっ」と痙攣したように震え。そこで運転手はようやく腰を動かすのをやめ、妹から少し離れると、ズボンをはき直した。妹は、運転手と三ツ谷に犯された後の健吾がそうだったように、抵抗する気力も失せてしまったのか、ソファーにぐったりと横たわっていた。
運転手は、ぐったりとした妹の小柄な体を、「ひょい」と肩の上に担ぎあげると。そのまま何事もなかったかのように、リビングの入口に立ち尽くす健吾の前を通り過ぎて、玄関へと向かった。運転手が健吾の前を通り過ぎるその刹那、抱えられた妹が何かを訴えるかのように、健吾に向かって小さく手を伸ばしたが。健吾はやはり、今いるところから動くことが出来なかった。
運転手が玄関の扉を「がらっ」と開けると、すぐ前に大型のバンが停車していた。運転手は、バンの後部のドアを開き、座席の後ろの荷物置き場に、妹を押しこむと。ドアを閉め、回れ右をして、再び玄関の中に入って来た。
健吾はその間も、ただ黙って運転手の行動を見ているだけだった。運転手もまた、そこに健吾がいることをまるで気にしてないかの如く、再び健吾をスルーして、階段の奥にある部屋へと歩いて行った。階段の奥には、「両親の部屋」がある。健吾は「ゆらり」と体を動かし、リビングからとぼとぼと、両親の部屋の前に向かった。
部屋の中では、両親が2人とも手足を縛られ、床の上に無造作に転がされていた。父親は、両手首を縛った紐と、両足首を縛った紐を、別の短い紐で繋ぎ止められ。体をダンゴムシのように丸めて、横たわっていた。母親は逆に、後ろ手に両手首を縛られ、その状態で足首を縛った紐と繋ぎ止められ、海老反るような体勢で、苦しそうに唸っていた。
そして父親も母親も、運転手に容赦なく殴られたのだろうか、顔に痛々しいアザがあり。頬骨や口の周囲などが腫れあがって、ほとんど片目が塞がっていたり、口が満足に開けない状態だった。運転手はまず父親を、次に母親を、先ほどの妹のように、1人ずつ抱きかかえ。淡々と、玄関前のバンに運び込んだ。最後に、母親を運び終わった時。玄関口に、「ニヤリ」と笑いながら健吾をじっと見つめる、星野真一の姿があった。
「やあ……健吾、くん。間宮健吾くん、だね? こうして君の名前を呼ぶことが出来て、嬉しいよ」
両親の部屋の前で、何も言えず茫然と立ち尽くしている健吾に、真一は可笑しそうに言葉を続けた。
「拘束を解いた時にはもう、かなり意識が朦朧としていたから、君は覚えていないだろうね。このまま外に出ても、路上で倒れてしまうだろうと思い、君を車に乗せて、この家の近所まで運んだんだ。目がうつろな君に住所を聞いたら、呪文のようにここの番地を、繰り返し呟いていたよ。ほぼ無意識で呟いていたんだと思うが、家に帰りたいという思いがよほど強かったんだろうねえ」
そこで健吾の視線が、家族が運び込まれたバンの方に、集中しているのに気付き。真一も「チラリ」と、そちらに視線を送った。
「彼ら……君の家族はね。私たちの新しい『対象物』として、我が家に連れて帰る。君にも何度か説明したように、対象となる者を補充することは、私たちにとって必須なんだ。
だから、君をこの家の近くで降ろした後、私は車の中でそのまま待機し。頃合いを見計らって、三ツ谷さんの運転手と一緒に上がらせてもらったというわけさ。家に入った君は、麻酔と痛み止めの効果で、すぐに眠りに落ちるだろうと思ったからね。君が我が家に置いていったバッグなんかを見せたら、疑うことなく玄関の中に入れてくれたよ。優しいご両親だねえ。
今は、君が家に入ってから一晩が経過し、夜明けを過ぎた時間帯だ。出勤や通学で道が混み始める前に、『彼ら』を速やかに連れ帰りたかったからね。その間、君の家でご家族を相手に、『軽く楽しませてもらった』。本格的な楽しみを始めるのは、連れ帰ってからになるけどね。そういうわけで、私と運転手は、こうして君の家の玄関口にいるというわけだ。そして……」
真一は改めて健吾の目を、正面からじっと見据えた。
「約束した通り、私たちはもう、君には手を出さない。君をここに残したまま、私はこの家を去る。その後は、今度こそ本当に君は、完全に自由だ。それから、どうするかは。君が、好きに決めればいい」
真一はそう言い残し、健吾にくるりと背を向けて、玄関先のバンに乗り込んだ。家の中で、1人立ち尽くしたままの、健吾の頭の中では。真一の先ほどの言葉が、ぐるぐると渦を巻くように、繰り返し繰り返し、反芻されていた。
……どうするかは、俺が決めればいい。俺が、決めれば。
俺は……俺は……?
一朗を「あの家」に置き去りにして、家族もみな連れ去られ。俺だけが、この家に残った。俺、1人だけで。そのことを、死ぬまで誰にも話さないと誓って。
俺はこれから、どうするべきなのか。俺の居場所、俺が本当に「いるべき場所」は、どこなんだ……?
そこで健吾が、ふと顔を上げると。玄関の扉は開いたままで、そのすぐ先には、大型のバンがまだ停車していた。そのバンの、助手席側の扉もまた、開けたままになっており。運転手が座っている、その隣の助手席が、ぽっかりと空いていた。
その「空いたままになっている助手席」は、明らかに、「誰かを待っている」ように見えた。これから、その席に座るべき誰かを。
それが、わかった時。健吾の足は、自然と動き出していた。
健吾の進む先には、開け放たれたバンのドアがあった。そして、自分のために用意された、「空席」が。
その時の健吾には、悲壮な決意や覚悟、あるいは苦しみや悲しみなど、そういったあらゆる感情が、ほんの少しも浮かんでこなかった。ただ、自分は「そうすべきだ」という思いだけが、健吾を支配していた。いや、正確に言えば。あるひとつの「新しい感情」が、健吾の中に芽生えつつあった。
……俺は、「ここ」にいるのではなく。「あそこ」に行くべきなんだ。あの空席こそが、俺のために用意された、俺にとっての「約束の場所」なんだ……。
健吾はその思いに従い、表情を変えることなく玄関を出て、それが当たり前かのように、バンの助手席に座った。それを確認し、運転手は助手席側のドアを、バタンと閉め。そして、後部座席に座っている、真一の合図と共に。健吾たちを乗せた車は、まだ人影のまばらな住宅街の道を、静かに走り出した。
遊びの時間 さら・むいみ @ga-ttsun
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます