健吾は、やにわに目の前のハサミを、「がしっ」と右手で掴むと。体をねじるようにして、その右手を体の左後方へと回した。そして、身体を固定している背中に回されたロープに、ハサミの刃をガッチリと食い込ませた。


「えっ」

「ああっ?!」


 真一や三ツ谷たちが、驚きの声を上げている。しかし健吾はそれにかまわず、ハサミの刃をガシガシとロープにこすり付けるようにして、切断を試みた。


「おい……!!」


 ロープを切っている箇所の一番近くにいる、健吾の左後方にいた運転手が、すかさず健吾の手を制しようとした。だがそれは健吾の想定内であり、健吾の「狙い」でもあった。


 運転手が手を伸ばして来たところで、健吾は右手を引いた。当然運転手もその手を捕まえようと、更に身を乗り出してくる。そこで健吾は、引いたと見せかけた右手を、思い切り突き出した。



 ぶしゅう……!!


 健吾の手の動きがカウンター気味に、運転手の顔面を襲った。そしてこの時健吾は、持っていたハサミの刃を、手の先で少し広げた状態にしていた。ハサミの刃は、身を乗り出して来た運転手の両目に、見事に突き刺さっていた。



「うぎゃああああああ!!」


 血が滴る顔面を両手で押さえ、さっきまで健吾が叫んでいていたような悲鳴をあげ、運転手は後方へのけぞった。運転手がのけぞる前に、健吾は素早くハサミを引き抜いていた。今の自分の武器は、このハサミだけなのだ。失うわけにはいかない。


 健吾は即座に、運転手の目から引き抜いたハサミで、ロープのさっき切断しようとしていた箇所を再び挟んだ。


「おい! 大丈夫か?!」

 三ツ谷が思わず、運転手に駆け寄る。

「きさま、やりやがったな?!」

 目の前にいた真一が、ソファー越しに健吾がロープを切ろうという動きを止めようとする。だが、健吾が一心にハサミを動かし続けた結果、すでにロープに歯が深く食い込んでおり、簡単には引き抜けない。


「くそお、やめろ!!」

 真一は、健吾の右手から引き抜いたアイスピックで、健吾の右腕を刺した。

「何するの、やめなさい?!」

 信子は健吾の右腕をしっかりと握り、ロープから引き離そうとする。だが健吾にとって、このロープが逆の意味で「命綱」だった。俺が、ここから脱出できるかどうかは。このロープを切断できるかどうかにかかっている……!


 それゆえに、ピックで刺された二の腕の痛みも、ぐいぐいと肘から下を引っ張る信子の力にも、健吾は必死に耐えた。あと、少し。あともう少し……!



 そして、遂に。

 太いロープが、健吾がハサミを入れた箇所から、するする……と解け。やがて、健吾をずっと押さえつけていた圧力から解放されるかのように、「ぶつん」と切れた。


 ロープが切断された瞬間、ある程度動きが自由になった健吾は、未だテーブルに固定されている左手を軸にし、体ごと回転させるようにして、テーブルの上に飛び乗った。健吾を止めようと前のめりになっていた真一の顔が、目の前にあった。



 ずしゃああああああ……!!


 健吾は、広げたハサミの刃の片方を、真一の喉元に「スパッ!」と振りぬいた。喉元には、赤い横一線のラインが引かれ。すぐにそれはパックリと上下に別れ、その裂け目から真っ赤な血潮が噴き出された。


「ほ、星野さん!!」


 リュックの中からガーゼや止血剤を大量に取り出し、運転手の応急処置をしようとしていた三ツ谷が叫んだ。健吾は真一の喉をかき切った勢いのまま、再び左手を中心にテーブルの上を回り。真一に駆け寄ろうとした三ツ谷の胸元に、閉じたハサミの先を突き立てた。


 ぶしゅぅぅぅぅぅぅ……!!


 ハサミを引き抜いた傷口から、間欠泉のように血を噴出しながら、三ツ谷はうつ伏せにバッタリと倒れこんだ。健吾は、無理に回した左手の痛みに顔をしかめつつ、残る最後の1人、信子の方に向き直った。


「あ、あ、あたしは……」


 何か言い訳をしようと考えているのか、うつろな目をしてこちらを見ている信子の、その白い首筋に。健吾は横から首を貫くように、「ざしゅっ!」とハサミを突き刺した。



 信子は首筋の左側にハサミを突き刺されたまま、それを自分の手で引き抜こうと両手で持ち。フラフラとよろめくように2、3歩歩いたあと、ガックリと床に膝をつき。上半身を床に突っ伏すようにして、やがてそのまま、動かなくなった。健吾はうつ伏せに倒れた信子の背中に、そっと声をかけた。


「あんたのフェラは、最高だったよ。奥さん……」


 そして健吾はようやく、テーブルの上に「どしん」と座り込んだ。




 ……終わった……。


 ずっと夢中でやっていたので、「敵」を倒した今になって、「軸」にした左手がズキズキと痛み始めた。コテで焼かれた足の裏も、床やテーブルの上を素早く移動したため、皮が剥けて流血している。


 だが、それより何より。ほっとして安堵のため息をついたところで、全身にとてつもない疲労感が圧し掛かって来た。今の状態では、左手を貫いているドライバーを引き抜くことなど、到底出来ない。後で一朗が目を覚ましたら、手伝ってもらうか。今は、ただ……少し、休みたい。少しの間だけでいい。ほんのひと時、眠りに落ちて。この体を休めたい……。


 健吾は左手を固定されたまま、テーブルに顔を伏せ。つかの間の休息を取ることにした。もう、心配することはない。もう誰も、この眠りを邪魔しようとする者はいないのだから……。


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