3
なんだって……?!
今度こそ健吾は、自分の耳を疑った。俺が、そのハサミで、自分の舌を切る? なんでそんなことを……?!!
だが真一には、冗談を言っているつもりは全くないようだった。手にしたハサミを、もう一度テーブルに置いて、ひと言ひと言を言い聞かせるかのように、健吾に語りかけた。
「さあ……難しい判断だと思うがね。でも、私たちにとっても、君にとっても。これが最も、重要な問題だ。ゆっくり考えて、結論を出して欲しい。私の申し出を受け入れるのも、拒否するのも、君次第だ。無理強いはしない。君が自分で考えて、結論を出せばいい」
真一のその言葉と、何かわくわくするような目つきでこの状況をじっと見守っている、信子と三ツ谷の姿を見て。先ほどの「提案」は本気なのだと、健吾も思わざるを得なかった。……俺に、自分で切れっていうのか? 本当に……?
迷っている様子の健吾に、真一は「そうだ、君が結論を出しやすいようにと、三ツ谷さんに来てもらったんだよ」と、三ツ谷に向かって手をかざした。
「そこに横たわっている、君の友人。見てわかるように、三ツ谷さんがかなり痛めつけたのは明らかだが。同時に、痛めつけた後に、ちゃんと治療していることもわかると思う。耳たぶを切り取った跡が、もう血が止まっているだろう? 必要以上に出血しないよう、すぐに処置をしてあるんだ。だから、君も心配することはない。
舌を切断したら、それはもう大量に出血するだろうことは明白だ。しかし、すぐに三ツ谷さんが、適切な処置をしてくれる。ある程度の痛みは残るかもしれないが、死に至るような出血をすることはない。君は余計な心配をすることなく、舌を切ることに集中してくれればいい。そうだよね、三ツ谷さん?」
真一にそう呼びかけられ、三ツ谷は「ああ、もちろん」と胸を張った。
「リュックの中に、必要な薬品や器具などは全部入れて来たからね。もし予想外に出血して、心拍数が落ちるようなことがあっても、地下室に点滴の用意をしてある。あの運搬機で速やかに地下に降ろすから、安心してくれ」
三ツ谷の言葉を聞き、真一は満足そうに頷いた。
「そういうことだ。私たちは、万全の準備をした上で、君に決断してもらおうと考えている。わかってもらえたかな……?」
これは夢でも、タチの悪い冗談でもない。俺は、自分の舌を切るかどうかの、決断を迫られている。舌を切れば、この家から「解放」されるのだと……!!
だが、それを現実のことだと自分を納得させたところで、健吾の中に「それを実行する」という決意は、そう簡単には生まれてこなかった。アイスピックで指を刺すのとは、レベルが違う。そして、例え思い切って、それをやったとしても……。
そこまで考えて、健吾は「がばっ」と顔を上げて、真一に訴えた。
「そ、それをやれば。俺は間違いなく、解放されるんですか? 絶対にそうしてくれると、約束してくれますか……?!!」
涙目で訴える健吾を見て、真一はその質問がされるものとわかっていたかのように、「うん……うん。そうだよね」と頷いた。
「君がそう考えるのも、無理はないと思う。でもね。これも、君自身が言っていたことなんだよ? もう忘れてるかもしれないから、教えてあげよう。
『あなたの置かれた状況を鑑みるに、その可能性に賭けてみる価値はあるんじゃないかと思いますよ』。
君は、私にゲームの説明をする時に、そう言ったんだ。私も今、君の問いに対し、同じ言葉を返そう。君の置かれた状況を鑑みるに、解放されるという可能性に賭けて見る価値は、あるんじゃないか。そう思わないかね……?」
今や完全に、健吾は追い詰められていた。これ以上、何も言い返すことは出来なかった。後は……後は、本当に、自分が「決断を下す」だけなのだ。何より優先すべきなのは、自分だけでも、「ここから出ること」。それを実現させるためには、言う通りにするしかない。その可能性に、賭けてみるしかない……!
健吾は、目の前にあるハサミをじっと見つめ。震える声で、真一に「結論」を伝えた。
「わかりました……やります。自分で、切ります……!」
健吾のその「解答」を聞いて、三ツ谷と信子から、「おおお!」という感嘆の声があがった。その解答が聞ける時を、2人とも待ちわびていたのだろう。そこからは、3人が自発的に協力して、健吾が「やりやすい体勢」を整え始めた。
まずは、健吾が右手でハサミを持てるように、右手を貫いているアイスピックを抜こうとしたが。思ったよりしっかりとテーブルに突き刺さっていたのと、ピックの柄の部分が短く、2人で片手ずつしか持てないため、なかなか引き抜くことが出来なかった。そこで三ツ谷があの「体格のいい運転手」を呼び、その怪力を使って「ズコッ!」と一気に引き抜いてもらった。
抜かれた時の痛みもまた、尋常ではなかったが。ようやく「自由」を取り戻した自分の手を、健吾はしげしげと見つめていた。まだ痛みが残り、じんじんと痺れたようになっているが、手をゆっくりと開いたり閉じたりしているうちに、次第に感覚が戻って来た。これなら、「ハサミを持って、柔らかいものを切る」ことくらいは出来そうだった。
これが、未だに「指先から針が生えたようになっている」、5本の指全部の爪に針を突き刺された左手だったら、こうはいかなかったかもしれない。しかも左手はドライバーで、手の甲の骨を「砕かれて」いるのだ。そう考えると、針を刺すのを左手だけにしたのは、真一が「先のことも考えて」そうしたのではないかと、健吾には思えて来た。
健吾の右手が「動くようになった」ことを、真一たちも確認し。それぞれが固唾をのむようにして、健吾のことを見つめていた。後は、健吾が「実行する」、その決意を固めるだけだった。
「焦らなくていいよ、君のタイミングでやればいい。決心がついたら、『やります』と言って、舌を出してくれ。そしたら私が、舌の先をこれで押さえる」
そう言って真一は、この時のために用意していたのであろう、先の細くなった小型のペンチを取り出した。
「舌を出したままにしておくのは大変だろうからね、これで君の舌を、固定しておいてあげるよ。君は、ペンチで挟んだ舌の先端と、口との間の箇所を、ハサミで切るだけだ。大丈夫、動かないように固定するだけだから、そんなに強くは挟まないから。
あと、切る時は、徐々にではなく、思い切って一気にやった方がいいよ。その方が綺麗に切れるし、三ツ谷さんも処理がしやすいと思う。ためらってキザキザになったりしたら、苦痛が長引くだけだし、後の処置も面倒になるからね。まずハサミを開いて、その間に舌を挟み、あとは右手を、迷わずにぎゅっ! と強く握る。それが一番いいと思う」
懇切丁寧に「やり方」まで指示してもらい、健吾はその手順を、頭の中でイメージしてみた。……まず「やります」と言ってから、舌を出す。それをこいつが、ペンチで押さえる。そして俺は、ハサミを開いて……。
そこまで、考えてから。
健吾はふと、目の前に置かれたハサミと、そして自分の右手が「自由」になっているこの状況に、改めて気付いた。
よく切れるように手入れされたハサミと、自由に動かせるようになった右手……。
これは恐らく、最大にして、「最後のチャンス」ではないか。この状況を、打開するための。だから……絶対に、失敗してはならない。こんなチャンスは、もう2度とない。慎重に考えろ。こいつも、「俺のタイミングで」と言っていた。まだしばらくは、俺が動くのを待っているはずだ。その間に、考えろ。考えろ……!!
目の前のソファーの、右側に真一、その隣に信子。背後の右側に三ツ谷、左側に運転手。ちょうど俺を四方から囲うように、見つめている。だが、一番注意すべきなのは運転手だ。こいつに力づくで押さえられたら、そこで一巻の終わりだ。最初に狙う標的は、こいつだ……!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます