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……俺を、解放する。「自由を与える」だって……?
テーブルに突っ伏したまま、黙って真一の話を聞いていた健吾には、それが自分の聞き間違いにしか思えなかった。解放することはない、自由になることはないって言ったのを、自分の都合のいいように、聞き違えたんじゃないか……? そうも考えたのだが。真一の口からは、健吾が聞いたことを肯定する言葉しか出て来なかった。
「さっき言ったように、私たちの対象物となってから、この家を出て行った者は、1人もいない。これは本当に、異例中の異例中なんだと。それだけ君に感謝してるんだってことを、認識して欲しいんだ。わかるかな?」
健吾は、テーブルにべったりと付けたままだった顔を、真一の方へ向けた。だが、何を言えばいいかわからなかった。真一の言うことを理解は出来ていたが、まだそれが「本当のこと」、自分を騙そうと企んでいるのではないのだとは、信じられずにいた。しかしもし万が一、真一が本気でそう考えているのなら、気が変わらないようにするにはどうすればいいのかと、それだけを考えようとしていた。
健吾が、自分の言葉に反応したのを受け。真一は、「恩赦」についての詳細を語り始めた。
「とはいえ、これもさっき言ったように、いま地下室にいる『対象』たちは、もう永くは持たない。従って、ここで『新しい対象』を確保することは、私たちにとって必須事項でもある。つまり……君には『恩赦』を与えるが、もう1人の地下室にいる彼は、この家に残ってもらうことになる。まず、それが恩赦の第一条件だ。この条件を、君が受け入れてくれることを願うがね」
出られるのは、俺1人か……。
健吾は、すでに思考力を失いつつある頭の中で、「何が一番ベストなのか」を必死に考えていた。……ここで「それは出来ない」と断れば、俺も一朗もこのまま、奴らのおもちゃにされ続ける。だが、条件を飲めば。少なくとも俺は、ここを出られる。そうすれば、その後に一朗を救い出しに来ることも出来るかもしれない。そうだ、2人とも犠牲になるよりは、1人でも「脱出」することを優先すべきなんだ……!
健吾は無理にでも自分にそう言い聞かせ、一朗を置き去りにすることを正当化しようとしていた。しかし現実問題として、真一の言った条件をはねつけたら、そこで「全て終わり」なのは間違いないだろうと思われた。
「……わかりました。その条件を、飲みます……」
健吾は上半身をテーブルに突っ伏したまま、顔だけを真一に向け、力ない声でそう答えた。真一は「ニヤリ」と笑い、「良かった。君ならそう言ってくれると思っていたよ」と、健吾の返答を歓迎する態度を表明した。だが、「恩赦」のための条件は、それで終わりではなかった。
「それでは、次の条件について説明しよう。これが最も重要で、君にとっては最も判断を迷う条件かもしれないから、じっくり考えた上で結論を出して欲しい。
地下室の彼をここに残し、君だけを解放する。そこで私たちが危惧するのは、君が残された友人のために、何らかの行動を起こすのではないかということだ。それが真実かどうかは定かでないが、君が所属しているという『グループ』の元へ行き、友人を奪還するため、この家を襲撃しようと考えるかもしれない。
また、君たちもこの家に不法侵入したことは間違いないが、私たちの方が明らかに重罪を犯していると考え、警察に通報するかもしれない。君の体を見れば、君が嘘を付いているわけではないと警察も察するだろう。自分の罪も問われるが、更に悪質な犯罪人の元に友人を捕らわれたまま、放っておくわけにはいかない。そんな風に考える可能性もある。私たちにとっては、出来ればどちらも避けたい展開だ。
だから、君には。この家から解放する代わりに、この家で起きたことを誰にも話すことなく、墓場まで持っていく覚悟の極秘事項として、生涯それを守り通す。そのことを、ここで約束して欲しい。それが、2つ目の条件だ。もうすぐ三ツ谷さんも上がって来るから、私と妻と、三ツ谷さんの前で。それをはっきりと、名言して欲しい。これも君は、受け入れてくれるものと信じている」
……そう来たか……。いや、そう考えて当然だろうな……。
先ほど真一は、自分と健吾の思考が似ていると言っていた。ならば、つい先ほど健吾が、「自分だけでもここを出て、一朗を助けに来る」と考えたのと同じことを、真一も考えていて当然だろうと。
しかしここでも、健吾の考えは変わらなかった。何より、「自分だけでもここを出る」ことを、最優先すべきだ。その後どうするかは、ここを出てから考えればいい。今は、奴らの言う通りにすればいいだけのことだ。そうしなければ、全て終わってしまうんだ……!
健吾が覚悟を決め、真一にその条件を受け入れることを告げようとした、その時。地下室に通じる扉の方から、「がくん……がくん……」という機械音が響いて来た。少ししてその扉が開き、「やあ、お待たせ」と三ツ谷が顔を出した。三ツ谷は大きめのリュックを背中に背負い、階段の方を向いた両手には、重い荷物を階段で運ぶ時に使う、昇降運搬機の手すりを掴んでいた。
昇降機には、病人を運ぶストレッチャーの、マットレスの部分が乗せられており。そのストレッチャーには、数本の革製のベルトで、一朗がしっかりと拘束されていた。
昇降機を1階まであげた三ツ谷は、一朗が乗ったストレッチャーを、応接間の床、健吾が突っ伏しているテーブルのすぐ脇に横たえた。健吾は「はっ」となって、一朗の顔を見ようと首を伸ばしたが、すぐに目を逸らしてしまった。それは、とても正視できるような状態ではなかったのだ。
首から下は、シーツでくるんだ上で拘束されていたため、どうなっているかはわからなかったが。シーツから出た一朗の顔は、確かに一朗であると思われたものの、その面影は失われかけていた。地下室に監禁されていた者たちのように、右目を縫い付けられ。耳は削ぎ落され、口の周囲も真っ赤に染まっている。意識を失っているのか、麻酔で眠らされているのか、ぐったりとした一朗の顔は、生きているかどうかの判別もつかないほど、健吾が知っているものとは、変わり果てていた。
「さあ、これで『役者』は揃った。それでは、君の意見を聞こう。先ほどの条件。ここで起きたことを、生涯誰にも話さない。それを、誓えるかね?」
一朗の悲惨な姿を見た後でも、健吾の考えは変わらなかった。いや、見たからこそ、「自分だけでも、ここを出なくては」という思いは一層強くなった。
「はい……誓います。一生、誰にも喋りません……!!」
真一の指示した通り、3人の目の前で、健吾ははっきりとそう言った。だが目の前にいる真一は、まだ「終わりにする」つもりはないようだった。
「ああ、そう言ってくれると思っていたよ。しかし、ね。これは、君自身も言っていたことだが、君がその誓いを守るという保証は、どこにあるだろうね? 君は私に、『僕らを信用して下さいと、言うしかないですね』と言っていたが。残念ながら私は、そこまで君を信用しきれない。この家を出てしばらくは、大人しくしているかもしれないが。やがて傷が癒え、体力が戻ったら、何かしらの行動に出る可能性もある。まだ君は若いからね、そういう『無茶』をしでかさないとも限らない。見ず知らずのこの家に押し入ろうとしたことから考えても、その可能性がないとは言い切れないだろうね……。そこで、だ」
真一はテーブルの下から、布を裁断するような、大きなハサミを取り出し。それを健吾の目の前に、「ごとん」と置いた。
「君の、この家のことを喋らないという誓いが、本物なのかどうか。本当にそれを守ると誓えるのか、証明してもらいたいんだ。やることは、単純明快。これから先、もう誰にも喋りませんという意思を、君の行動で表してくれればいい。このハサミを使ってね」
真一は右手にハサミを持ち、一度広げてから、しゃきん! と刃を嚙み合わせた。それは健吾が持ってきたアイスピックのようによく手入れされており、キラリと光る刃の切れ味は、少々の固いものでも切り裂いてしまいそうに思えた。
「このハサミで、舌を切るんだ。何も話さないという、その証としてね。
君の舌を、君自身の手で」
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