中学で「確固たる地位」を築いた信子だったが、学生生活自体はそれまでとなんら変わることなく、淡々と、「目立たない、大人しい生徒」として過ごしていた。周囲の生徒も、出来るだけ信子に関わるのを避けるようになったため、信子が目指していた「存在感のない女子であること」が、自然と実現したことになり。信子自身も、自分の環境に満足していた。


 時折、いじめグループのメンバーだった女子が、信子のご機嫌を伺うように、「信子さん。今日、例の人気のパン、買えましたんで。良かったら」と、昼食時などに「貢ぎ物」を持ってきてくれたりした。あの日以来、同級生でありながら、メンバーだった女子たちは信子を「さん付け」で呼ぶようになっていた。


 信子もそれに対し、何か特別な感情を示すことなく、ここもまた淡々と、「そう、ありがとう」と言って、貢ぎ物を素直に受け取っていた。その淡々とした様子が、「一度火が付いたら、どうなるかわからない」という恐怖心を女子たちの間に呼び起こし、信子は残りの中学生活を、至って快適に過ごすことが出来た。



 中学を卒業した後、地元の高校に進学した信子は、高校でも変わらず、「目立たない生徒」として過ごそうと考えていたのだが。信子のウワサは、同じ高校に進学した中学の同級生たちによって、高校の中にもすぐに広まって行った。そして、ある日の放課後。信子は、高校の上級生女子から呼び出された。


「あんたウワサによると、中学の時は結構なタマだったってことじゃないか。でもそんなのは、所詮中学生レベルなんだってことを、教えてあげようと思ってね」


 それはそれは、どうもご丁寧に……と、信子は心の中で、「はあ」とため息をついていた。こういうことにならないように、目立たないように過ごそうと思ってたんだけど。やっぱり向こうの方から近づいてくるのね……。


 見かけは至って普通の女子高生な信子に比べ、いかにもヤンキーな見栄えを全面に押し出している上級生女子は、仲間の女子数名と共に、信子を取り囲んだ。

「まあ今日のところは、軽く痛い目に逢うくらいにしといてやるよ。それであんたが心を入れ替えて、あたしたちに逆らわないと誓えば、それでことは済むからさ。ひとつの儀式だと思って、諦めな」


 どうやらこのヤンキー上級生女子は、中学でウワサになった信子を配下に置くことで、自分に箔をつけるつもりでいるらしかった。ヤンキー女子の「挑戦状」に対し、信子は特に感情を昂らせることなく、淡々と答えた。



「いいわよ、あなたの好きにすれば。でもね。あたしは今日起きたことを、一生忘れないから。一生ね。どれだけ時間がかかろうとも、どんな手段を使ってでも、あなたに復讐する。あなたは今日の夜から、夜眠る時、朝目覚める時。いついかなる時も、あたしが傍にいないことを確認しないとならなくなる。


 それから、あなたの両親は健在かしら? 小さい弟や妹がいたりする? あなたがどれだけ自分を守ろうと周囲に気を配っても、あたしはあなたの家族も狙う。あたしの目的は、あなたに復讐すること、あなたを苦しめることなんだから、あなた自身を狙う必要はない。あなたは自分の家族まで、守りきれると思う? もし、そんなことが起きて欲しくないと思うのなら、あたしのことは放っておいて。あたしもこの学校で、特に何かしようとは全然思ってないから」



 ヤンキー女子の仲間の中には、「ハッタリ言いやがってこいつ」と思っていた者もいたが。目の前でその台詞を言われたヤンキー女子は、これまで感じたことのないほどの悪寒が、背中を走り抜けたのがわかった。現時点で、この高校の「最上位」に位置しているヤンキー女子は、その位置にたどり着くまでの様々な経験値から、「こいつは、マジでヤバい」と直感したのだった。



 こうしてヤンキー女子は、信子に手を出すことなく、そのまま「解放」した。自分の仲間にも、「あいつには関わるなよ」と言い聞かせて。こうして、平穏な高校生活を送れるかと思った信子だったが、ことはそう簡単には収まらなかった。今度は、最上位に位置するヤンキー女子にライバル心を燃やす「やさぐれ上級生女子」が、信子を呼び出したのである。


 強めのパーマをあてたあと、しばらく放置していたような髪型の「やさぐれ女子」にすれば、信子を言いなりに出来れば、自分がヤンキー女子より「力がある」ことを証明するチャンスだと思っていた。信子に「自分の手下になれ」と凄むやさぐれ女子に、信子はヤンキー女子に言った言葉を、そのまま繰り返した。


 だが、信子の「危険さ」をその場で察知したヤンキー女子に比べ、やさぐれ女子は、やはり「二番手以下」に甘んずるのが妥当と言える程度の、度量と経験値しか持ち合わせていなかった。


 やさぐれ女子は、言い返されたことに腹を立てたのか、「ふざけたこと言いやがって、この野郎」と、数名の仲間と共に、徹底的に信子を痛めつけた。信子はその間、特に抵抗する気配もなく。「わかったか。よく考えておけよ」と解放された後も、スカートに付いた土を手で払い、血の滲んだ口元をハンカチで押さえ、淡々とやさぐれ女子の前から去って行った。



 しかし、それから数日後。やさぐれ女子の周囲で、「異変」が起こり始めた。まず、小学校低学年の弟が、帰宅途中に歩道橋の階段から転げ落ち、足を骨折するケガを負った。その時はまだやさぐれ女子は、弟に「これから気を付けなよ」と言うに留まっていたのだが。


 続いて中学2年の妹が、何か思いつめた顔をしていると思っていたら、不登校になってしまった。どうやら学校で、酷いいじめを受けているらしい。やさぐれ女子は両親に相談したりと、妹のことを心配していたが、妹は突然、自分の部屋で自殺を図った。幸い命は助かったものの、恐らく長く入院することになるだろうという診断を受けた。


 これは、もしかして……? と、やさぐれ女子が言い知れぬ恐怖を感じ始めていた時。「真面目な会社員」だった父親が、通勤途中の電車で、痴漢をした疑いで逮捕された。「まさか、あの人が」と会社の同僚も驚いていたが、父親のパソコンからは、「痴漢もの」の動画が大量に発見された。父親は会社を辞めるハメになり、次の就職先もなかなか見つからず、日雇いのバイトを探す毎日に落ちぶれた。妹の入院費もまだまだ必要なやさぐれ女子の家庭は、高校に通うこともままならぬほどの生活苦に、一気に追い込まれた。



 ここに至って、やさぐれ女子は信子の前で土下座し、「すいませんでした!  もう、許してください! ほんとにすいませんでした!!」と、必死に許しを請うた。だが信子は、「なんのことかしら」とでも言いたげに、頭を地面にこすり付けるようにしているやさぐれ女子に、淡々と言い放った。


「あなた、あたしの言ったこと覚えてる? あの時あたしは、『一生忘れない』って言ったの。一生よ? だから、許すも許さないもないの。だって、


 やさぐれ女子はその言葉を聞き、信子の足にすがりついて、「すいません、すいません! もう、許してください……」と泣き出した。その姿を見て、信子は「はあ」とため息をつくと。すがりつくやさぐれ女子の顎に手を添え、「くいっ」と顔を持ち上げて、言い聞かせるように話し始めた。


「でも、あなたがそんなに言うなら、ここまでにしてあげてもいいわ。と言っても、一生忘れないのは、変わらないから。今は、『一時中断』するだけだから。今後、あなたの言動におかしなところを感じたら、即座に『再開』するから、よく覚えておいてね。例えそれがあたしの勘違いであっても、容赦はしない。だって、本来続けてるはずだったものを、中断してただけなんだから。だからあなたとあなたのお友達は、今後の自分たちの行動に、責任があるんだってことを自覚してね」



 やさぐれ女子は、ただもう「ありがとうございます、ありがとうございます」と、土下座したまま何度も頭を下げるしかなかった。そして、そのまま去って行こうとする信子の背中に、「あの……」と躊躇いがちに、声をかけた。


「あの……これは、私がどうこうじゃなくて、『もしも』の話なんですが。もし、自分を痛めつけた相手に、私に言ったのと同じことを言ったあと。相手に『そしたら、お前の家族に復讐し返してやる』と言われたら、どうするんですか……?」


 それは本当に、やさぐれ女子にそんなことをするつもりは1ミリもなく、ただ純粋に、好奇心として聞きたかったことだった。初めで出会った、自分の想像を遥かに上回る、「恐るべき下級生」である信子への、好奇心として。



 それを聞いて信子は「にこり」と笑い、嬉しそうに言葉を返した。

「あたしの家族に復讐し返す、ってことね。それは大歓迎だわ。どうぞやって下さいって、お返事する。あたしは、あたしの家族に思い入れなんて全然ないから。復讐してくれたら、逆にお礼を言いたいくらいね」



 そう言い残して立ち去っていく信子の背中を見ながら、やさぐれ女子は今さらながらに、「とんでもない奴に関わってしまった」という思いでいっぱいになっていた。この世には、こういう奴がほんとにいるんだ。心の底から、冷酷無比な奴が……。


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