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信子は小学校の頃から、そして中学に入ってからも、「学校でもクラスの中でも、目立たない、存在感のない女子」だった。
卒業して数年経ってから、卒業アルバムを見返して、クラスの集合写真を見ても。「あれ、こんな子いたっけな?」と、自分の記憶を手繰ってしまうような。あるいは、いたような記憶はかすかにあっても、名前と顔がすぐには一致しないような。少なくとも小学校の間は、信子は「そういう子供」だった。
それは、信子自身が「そうありたい」と願っていたからでもあった。自分には人に勝るような容姿も、頭の良さも、運動神経もない。その全てが、平均以下。そんな自分は、目立たないように、周囲から注目などされることのないように、ひっそりと生きていくのが一番いいんだ……。
信子はそう考えて、実際その通りに毎日を送っていたのだが。中学生になってからしばらくして、その思いはいっそう強くなった。同じ学年の女子グループが、同級生を相手に、酷いいじめを始めたのだ。いじめは徐々にエスカレートしていき、男子のいる前で下着を脱がされ、動画を撮られたというウワサも聞いた。その動画は学内どころか、ネット上で拡散されているらしいと。
信子はそれを聞いて、それまでよりも更に、「目立たないように」毎日を過ごそうと心がけていた。変に目立つようなことをしたら、自分がいじめの「次のターゲット」にされかねない……! そう思いながら、日々を送っていたのだが。
ある日の昼休み、学食にパンを買いに行った信子は、いつものように大人しく、売店の前に出来ている列に加わった。そして自分の番が来た時、いつもはすぐに売り切る人気のパンが、まだ残っていることに気付いた。信子は嬉しくて、それを注文した。ただ、それだけのことだった。
だが、信子が買ったパンを持って、売店から去ろうとした時。「ああ、売り切れちゃったよ! さっきまで残ってたのに~!!」という女子の声が聞えた。「マジで? 最悪~!!」そう言って顔を歪めていたのは、いじめをしている女子グループのリーダーだった。
「これはまずい」と思った信子は、これまで話したことのなかったリーダー女子に、「あの、良かったら、これ……」と、自分の買ったパンを差し出した。しかし、それが逆効果だった。リーダーは信子の差し出したパンを、「ばしっ」と手で払いのけた。
「あたしに、あんたの『お恵み』をもらえっていうの? どういうつもり?!!」
信子は、これ以上どうしようもないと思い、「ご、ごめんなさい……」と謝って、足早に売店から立ち去った。その背中をリーダーを中心にしたグループの面々が、じっと睨みつけていた。そしてその日の午後から、信子に対する壮絶ないじめが始まった。
まず、授業が終わって帰る時間になり、信子が下駄箱に行くと。信子が履いて来た靴が、びっしょりと濡れていた。信子はため息をつきながら靴を取り出そうとしたが、靴を手にしてその「臭い」に気付き、愕然とした。靴は、水で濡らされていたのではなく、小便をかけられていたのだ。
信子は目に涙を溜めながら、校庭の水道で靴を洗い、歩くたびにじゃぶじゃぶと水音を立てる靴を履いて、家に帰った。だがそれは、ほんの始まりに過ぎなかった。
次の日学校へ行くと、机の中がゴミでいっぱいになっていた。信子はなんとかそのゴミを取り出したが、ゴミの中にはネバネバとした粘着性を持つ、腐臭を帯びたものもあり、とても机の中に教科書などを仕舞える状態ではなかった。
腐ったゴミを片付けたことで、グループの面々は信子に向かって、「くせぇよ、お前!」「汚ねえな、お前がゴミかよ?!」と口々に言い始めた。それは他のクラスにもあっという間に伝わり、信子は「ゴミ子」と呼ばれるようになり。信子の周囲数メートルには、誰も近づかなくなった。誰かが間違って近づこうものなら、「ゴミ子に触った! わーー、お前もばい菌の仲間だ!」とはやし立てられるからだった。
1人きりで廊下を歩いている時には、どこかから丸めた紙やトレペをぶつけられた。体育の授業などで、2人組や3人組になる時があっても、誰も信子と一緒になろうとはしなかった。そして、さんざ罵られたあげくに放課後を迎え、信子が帰ろうとした時。校舎を出たところで、2階から「ざばああっ!」と、バケツに汲んでいた水をかけられた。「ゴミ子、これで少しは綺麗になったろ?」そう言って高笑いする声を背中で聞きながら、信子は全身ずぶ濡れのまま、とぼとぼと学校を後にした。
いじめは日を追うごとに、ますますエスカレートしていった。いじめをしている女子たちにすれば、その「理由」はどうでもよかった。ただ、いじめの対象に出来る生徒がいれば良かったのだ。だから、信子がいじめから逃れる術はなかった。何をどう謝っても、グループの面々は許す気などなかった。もともと、信子は「何も、悪いことはしていない」のだから。
そして、いじめがエスカレートし続けたのは、グループの面々が信子の「態度」に腹を立てたこともあった。何をされても、信子は怒るでもなく、泣き出すこともなく、ただ淡々としていた。一番最初に、靴に小便をかけられていた時こそ、「こんなことになるなんて……」と、涙目で帰ったのだが。次の日、ゴミの詰まった自分の机を見て、信子は「もう、何も考えまい」と心に決めた。一度いじめの対象になってしまったら、いじめを止める術など、何もない。何があっても、自分は自分のままで、やり過ごすしかないのだと。
いじめグループの面々は、なんとか信子を「泣かせてやろう」と、様々な手段に出た。信子がトイレに入ると、ホースを持った女子が数人で囲んで、周囲から水を浴びせかけた。教室に戻ると、信子のイスと机の上全面に、針を上向きにした画鋲がずらりと貼り付けられていた。体育の授業が終わった後には、制服のスカートがビリビリに引き裂かれていた。
それでも、何も言い返さずに淡々としている信子を見て、リーダーの怒りが爆発した。放課後、校舎裏に連れて来られた信子は、グループの面々に囲まれ、壁に圧しつけられ。強引に制服を脱がされ、下着だけにされたところで、リーダーが右手にカッターを持って近づいて来た。
「さあ……これから、いいものが見られるよ」
リーダーのすぐ後ろにいるメンバーたちが、手に手にスマホを持って、信子の周囲で色んな角度から、動画を録画し始めた。「まずは、おっぱーーーーい!」リーダーは嬉しそうにそう言うと、信子のブラ紐をカッターで切断し。それから、信子の首から垂れ下がった状態になったブラを、はぎ取った。
リーダーがブラをはぎ取った勢いで、信子の豊かな胸が、「ぷるん」と揺れた。信子は、見た目も頭の良さも、運動神経も「平均以下」だったが。体の発育の良さは、明らかに「平均以上」だった。
「何よゴミ子、身体はもう『大人』じゃない。見てよ、ほら! おっぱいぷるんぷるんだよ?!」
リーダーはケラケラと高笑いしながら、両手で信子の乳房を鷲掴みにし、激しく揉みしだいた。メンバーたちはスマホを信子の胸に近づけ、その様子をアップで撮影した。
信子にも、自分が同級生に比べて発育がいいという、自覚はあった。家で風呂に入った時などに、鏡で自分の裸を見ても、胸の大きさが際立っていると感じていた。そしてそれが、信子が「目立つまい」と思っていた理由のひとつでもあった。この年齢で「大人びた体」をしていることは、十分にコンプレックスに成り得るものだったのだ。
なぜ自分は、他のものが平均以下なのに、こんな体になったんだろう。なぜ体だけが、こんな「嫌らしく」なっちゃったんだろう……? 信子は、出来ればそれを、誰にも知られたくないと思っていた。小さめのブラを、豊かな膨らみを押さえつけるようにして着用し。気付かれぬまま、学生生活が過ぎていけばいいと。
「それじゃあ、『下』も当然、大人なんだろうね~~??」
リーダーは、動画を撮っているスマホに向かってそう言いながら、カッターを信子のパンツに近づけた。その時信子は、密かにずっと、考えていた。
……こいつのせいで、ずっと秘密にしていたことを、みんなに知られた。みんなに見られた。こいつのせいで……!
そして同時に信子は、パンツの横の部分を切ろうとして、信子の前にかがみこんだリーダーを、見降ろす形になり。そこで、それまで考えたこともなかった意識が、ふつふつと芽生え始めていた。
……なんだこいつ。こういうエロい動画を撮って、拡散してるんじゃなかったのか? さっきこいつ、動画撮ってるスマホに自分の顔向けて、喋ってなかったか? 拡散する動画に、自分の顔映してんのかよ。バカかよ、こいつ。こんなバカの言いなりになってるなんて、それこそバカらしい……!
その瞬間、信子の中で、リーダー女子が「取るに足らない存在」に変わった。元々信子は、この女子を恐れていたわけではなかった。ただ、目立つことなく毎日を過ごしたい。それには、こいつに見つからない方がいい。それだけのことだった。それら全てが、「過去のこと」になった今。信子には、もう恐れるものはなかった。
リーダー女子が、手に持ったカッターの先をくるくると回して、「さあ、いよいよ……」と、パンツを切ろうとしたその瞬間。信子は、カッターを持ったリーダーの手を、「ぎゅっ」と握りしめた。
「え?!」
これまで何をしても、信子が抵抗せず「淡々としていた」ので、メンバーたちもスマホの撮影に集中し、信子の手を押さえてはいなかったのだ。信子はリーダーの手ごと「ぐいっ」と動かして、何が起きたかわからないリーダーの顔に、カッターの先を「ぐさり」とめり込ませた。
「ぎゃああああああああああ!!!!」
思いもしなかった激痛が顔面を襲い、リーダーは思わずカッターを投げ捨て、両手で顔を覆い、その場に倒れこんだ。信子は地面に落ちたカッターを、ゆっくりと拾い上げ。顔を覆ったリーダーの両手に、容赦なく切りつけた。
「痛い! やめて、痛いよ!!!」
リーダーは襲い来るカッターをはねのけようと、血だらけの両手を振り回した。それでがら空きになった顔面に、信子は更にカッターを「ざくっ」と突きつけた。
「わああああああああ!!!!」
リーダーはもはや泣きじゃくり、やめて、やめて! と必死に叫ぶだけだった。その様子をじっと見つめながら、信子はカッターを持った手で、メンバーの1人を「びっ」と指さした。
「え……?」
いまやスマホの録画も忘れ、泣き叫ぶリーダーを呆気に取られながら見ていたメンバーは、自分に向かって突きつけられたカッターの先を、「きょとん」とした顔で見ていた。
「……こいつの、手を押さえろ」
カッターを持った右手をメンバーに向けながら、信子は左手でリーダーを指さした。「ええ……??」そんなこと……と言い返そうとしたメンバーに向けて、信子は右手の指で、カッターの刃先を「チキ、チキ」と伸ばした。
「は……はい! わかりました! やります!!」
メンバーは仕方なく、倒れこんでいたリーダーの腕を押さえた。
「な、なんだよ?!」
リーダーはそのメンバーに向かって叫んだが、メンバーの心境にしてみると、信子に逆らう恐怖の方が断然大きかった。信子は他のメンバーにも、同じようにリーダーの腕を押さえさせ。リーダーが身動き取れなくなったところで、リーダーの目の前にかがみこんだ。
「お前は、どうなんだ。『大人』なのかよ……?」
信子はそう言いながら、リーダーのスカートをめくり上げ。履いていたパンツを、カッターでぶちん! と断ち切った。リーダーの股間からむしり取ったパンツには、赤く染まったナプキンが付着していた。
「なんだよ、生理中かよ。きったねえな……」
そう言って信子は、リーダーの股間を、右足で「ぎゅっ」と踏みつけ。足先をぐりぐりと、押し込むように動かした。
「お前の股間には、足の裏がお似合いだよ」
信子はそう言い残すと、ようやくリーダーの股間から足を放し、股間に向けて、「ぺっ!」と唾を吐いたあと。脱がされた制服を改めて着直し、リーダーの手足を押さえていた面々が、茫然と見送る中。その場を「淡々と」、立ち去って行った。
その次の日から、リーダー女子は学校を休み始め。半月後、他の中学へ転校することになったと、担任教師がクラスメイトに告げた。そのあと、信子は小さな花が入った細い花瓶を、誰も座る者がいなくなったリーダー女子の机の上に、静かに置いた。
その花瓶が、信子が置いたものだと誰もが知っていながら、誰もそこから動かすことが出来なかった。それは、信子が学校内で「確たる地位」を築いたことの、象徴と言える瞬間だった。
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