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その「相手」は、真一と同じ高校の下級生で、周囲からは「メンヘラ女子」として、ある意味有名な女子だった。なんでも、これまでに数回自殺を試みて、そのうち何度かは本当に死の危険があったらしい。狂言ではなく、本当に死のうと思ってやったことがあるのだと、その女子と同じ中学だった女生徒が、「これはナイショの話なんだけどね」と前置きしながら、親しい友人たちにペラペラと話しまくっていた。
真一もその「ウワサ」を聞きつけ、いったいどんな女子なのかと、それとなく注目するようになっていた。スリムというよりは「痩せすぎ」にも見える細身の体型は、強風に煽られたら吹き飛んでしまうのではないかと思えるほど、儚なさと頼りなさを感じさせ。休み時間も、誰かと一緒にいることはほとんどなく、いつも1人で廊下の壁に背を持たれ、どこを見ているのかわからない視線を宙にさまよわせながら、気が付くと自分の腕や首筋を、神経質そうにカリカリと掻いている。真一は、しばらくその女子を観察してみて、「こいつは『本物』だな」と確信した。
真一は、その女子の毎日の行動パターンを追い、終業後に学校を出て1人きりになったところで、話しかけた。同じ高校とはいえ、学年の違う知らない男子に話しかけられ、その女子は明らかに警戒していたが。真一は、君についてのウワサを聞いたんだけど……と話を切り出し、「実は、僕もね」と、自分の腕に付いた切り傷を見せた。それを見て明らかに、女子の表情に変化が現れたことを、真一は見逃さなかった。
カサブタを剥がしあった女子のように、「他人の生々しい傷跡」を見る機会は、そうそうない。ならば、自分で自分に「傷を作る」しかない。真一はそう考え、これまでに何度も、自分の足や腕に傷をつけては、その傷口が治りきるまで、飽きることなくずっと眺め続けていた。よく言われる「自傷行為」とはまた違う、完全に真一自身の欲求を満たすための行為だった。しかしその傷跡は、メンヘラな下級生女子を納得させるのに、十分だった。「この人は、あたしと同じなんだ」と。
そこで真一は女子の連絡先を聞き、女子も素直に教えてくれた。心を開いたとまでは言えないが、自分のことを理解してくれそうな人に出会えたと、思えたのだろう。女子のそんな「おぼろげな信頼感」を得た真一は、次の日曜日、女子を呼び出し。町はずれにあるラブホテルに、女子を誘った。
決して性欲を満たすためではなく、お互いの傷を見せ合おうというのが真一の主張だった。他の誰にも見られずにそんなことが出来るのは、お互いの自宅では到底無理だろうし、ラブホテルが一番いいと。女子も、ホテルへ行こうと言われた直後はさすがに驚いていたが、真一の説明を聞いて納得したようで、ホテルに行くことを受け入れた。もしかしたら心のどこかで、遅かれ早かれ自分はいずれ死ぬだろう、その前に一度SEXを経験してもいいかもと、思っていたのかもしれない。
真一は高校生とわからぬよう変装し、先にホテルの部屋に入り、女子を後から呼び出す形にした。一緒にホテルに入るのは避けた方がいいだろうという真一の考えに、女子も同意した。そして、真一が部屋に入ってから10数分後、女子が緊張した面持ちで、部屋にやって来た。
ラブホテルに1人で入るなど初めてのことなので、相当に緊張したらしいが、受付は真一が済ませていたので、部屋まで行くエレベーターに直行出来たから助かったと、女子は真一に感謝していた。部屋に入って真一の顔を見て、女子は少なからずほっとしているようにも見えた。これなら恐らく「思い通り」になるなと、真一は内心考えていた。
真一はまず、自分の上着とズボンを脱いで下着だけになり、手足に付いた傷を見せた。腕や足に残された幾つもの傷を、女子は愛おしいものを見るようにじっと見つめ、自分の指先で「つーー……」っと、真一の傷跡をなぞった。
今度は君の番だよと言われ、女子も躊躇うことなく、ブラとパンツだけの下着姿になった。やはり、「このまま抱かれてもいい」という覚悟があったのかもしれない。手首だけでなく、二の腕にも幾重にも付けられた傷跡に、真一もまた、愛でるように指先で触れた。それから真一は、自分の持ってきた小さなバッグから、2本のカッターナイフを取り出した。
2本のうち1本は、真一自身が持ち。もう1本を女子に渡した。女子はカッターを渡されたことで、お互いに自分の手首を切り、無理心中のような形で2人で死のうということかと、思ったのだが。真一の考えは違った。その考えを聞いて、女子は思わず「えっ」と聞き返した。
「このカッターで、お互いの手首を、切り合おう。僕が君の手首を、君が僕の手首を。そうすれば、『ためらい傷』にはならず。2人とも、ちゃんと死に至ることの出来るような、傷が作れると思う」
お互いの手首を、切り合う。そうすることで、これまで到達することの出来なかった、「死」へと至れる。その考えに、女子は夢中になった。これまでずっと、1人きりで自傷行為を続けて来た女子にとっては、思いつくことなど出来るはずもない方法だったのだ。うん、やろう。そうしよう……! 女子は潤んだ瞳で、真一を見つめた。真一は、内心「よし」と思いながら、カッターの刃先を、チキチキチキ……と伸ばし始めた。
真一は女子の左手を握り、手のひらを上に向かせた。そのことで、女子の手を握っていた真一の手も、手のひらが上向きになった。手首の「切るべき場所」が、2人ともに上を向いたところで。真一は、いち、にの、さんでやろうねと、女子に微笑みかけた。女子も黙って、こくりと頷いた。
さあ、それじゃあ、始めようか……!
真一は、わくわくする想いをぐっと胸に秘め、カウントを始めた。いち、にの。さん……!!
真一は躊躇うことなく、カッターの刃で女子の手首を、「スパッ!」と切り裂いた。女子も、真一の手首に乗せていたカッターを「すっ」と引いたが、それは恐らく「女子のいつものやり方」だったのだろう、真一の手首に傷は出来たが、致命傷になるような深いものではなかった。
女子は、パックリと傷口の開いた自分の手首を見て、わなわなと震えていた。これが、自分では作れなかった傷。確実に、「死に至る」ことの出来る傷……!!
「あたし……死ねるのね。ほんとに、死ねるのね……!」
左手首を右手で押さえる真一に、女子は涙を流しながらそう語りかけた。すでにその目は、はるか遠く、自分がこれから行くであろう「黄泉の国」を見つめているようにも思われた。
真一は、感動に打ち震える女子に、「そうだよ」と微笑みかけ。それから、女子の髪の毛を左手で、「ぐっ」と掴むと。女子の顔を上向きにし、がら空きになった首筋をめがけ、カッターの刃を「しゅん!」と振りぬいた。
女子の首筋は、左手首よりも更に大きく、パックリと切り裂かれ。その切り口から、しゅばああああああっ……! と、鮮血がほとばしった。
真一の目には、勢いよく噴き出る血潮の中に、虹が見えたような気さえしていた。それほど、真一にはそれが「美しいもの」に見えたのだ。やがて女子は、噴き出す血潮の勢いを徐々に弱めながら、ベッドの上に「ぱたり」と力なく横たわった。
ベッドに倒れた女子の姿を、そして血の溢れ出す傷口を、じっくりと観察したあと。真一は、女子の持っているカッターに付いていた「自分の血」を丁寧に拭き取り、その代わりに女子の血をベッタリと付け。下着を脱ぎ捨て、シャワーを浴びて、身体に付いた血も洗い流した。脱いだ下着を、用意して来たビニール袋に詰め、上着とズボンを着終えると。真一はベッドに横たわる女子に、「ありがとう」と言い残し、部屋を出て行った。
自傷行為を繰り返し、自殺未遂も起こしていた女子が、カッターを手に持って、ホテルの部屋で血まみれで死んでいた。女子と同じ部屋にいたと思われる「若い男」の捜索もされたが、それは積極的なものとは言えなかった。やがて女子の死は、真一の思惑通り、「自殺」として処理されることになった。
こうして数年ぶりに、「自分の身を危険に晒す」ことにより、大きな成果を得ることに成功した真一は。「あの感触を、もう一度」という想いを胸に抱きながら、実行に移すことはなかった。すぐにまた同じような事件が起きたら、自分に疑いがかかる可能性があると考えたのだ。焦らず、じっくりと。「次の機会」を待てばいい。真一は、画像や動画のコレクションを更に充実させながら、次の機会への下準備を始めた。
狙いは、ラブホテルに誘った女子のような、メンヘラの気がある女がいい。一度経験したことで、次も上手くやれるはずだ。そう考えて、真一は大学に進学した後も、情緒不安定な女子のウワサを聞きつけては、その女子の調査をしていた。次なるターゲットとして、相応しい女性を見つけるために。
そんな時、1人の女子と知り合う機会が訪れた。その女子は専門学校に通っていて、中学・高校時代は自傷行為を繰り返し、自暴自棄な毎日を送っていたのだが、なんとかこれまで生きてこれた。それは、「ある女性」の影響が大きかった……と、しみじみ語る女子の話を聞き。真一は、その「ある女性」に会ってみたいと考えた。
専門学校生の紹介で、真一は「ある女性」と会うことになった。待ち合わせ場所は、人目に付かないところがいいという、その女性の「条件」を聞き。真一は密かに、ゾクゾクするものを感じていた。
そして真一は、夜になると交通量もバッタリと途絶え、ひと気のなくなる海岸近くの狭い公園を、待ち合わせ場所に指定した。待ち合わせ時間の少し前に、真一が公園に入ると。ブランコに乗り、「きい……きい……」とゆっくり前後に揺れている、1人の女性がいた。
真一が来たのに気付き、女性はブランコから降り、その場で真一に向かって軽くお辞儀をした。真一もお辞儀を返し、女性に近づいた。公園の周囲に立つ、街灯の薄明りに照らされた女性の顔を見て、真一は瞬時に「これは、運命だ」と悟った。その女性の目は、明らかに「自分と同じ目」をしていると思えたのだ。その女性は、自分の名前を「信子」と名乗った。
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