星野真一は、まだ幼い頃から、自分の内に潜む残虐性を自覚していた。



 最初の「兆し」が現れたのは、まだ小学校低学年の時だった。小さい子供なら誰にでも、ひとつやふたつは当たり前のようにある、転んで擦りむいたりどこかにぶつけたことによって出来る、カサブタ。真一少年の膝にも、転んだ後に出来た傷口を覆った、焦げ茶色のカサブタが出来ていた。


 これもまた、誰にでも経験があることだが、カサブタが出来た後は、その周囲が痒くなってくる。傷の深さ、カサブタの大きさによって、痒さの度合いも変わって来るが、真一少年は膝小僧に出来た、長さ2センチ、幅1センチほどの長方形のカサブタの周りを、無意識のうちにポリポリと掻き始めていた。



 すると、搔いていた指先が偶然、カサブタの縁に「ぺりっ」と引っかかった。引っかかったことにより、縁が少しだけめくれた。その時は、痛みはほとんど感じなかったが。真一少年は、めくれたカサブタの縁が、妙に気になった。そこでめくれた部分を、親指と人差し指の爪の間に挟んで、もう少しだけ、「ぺりっ」とめくってみた。



「痛っ……!」


 カサブタはまだ、膝の皮膚にしっかりと張り付いていた。強引にめくった後の皮膚は、カサブタの周囲の皮膚とは違う、それまで見たことのないような、綺麗な桃色をしていた。そのむき出しにされた桃色を見た時、真一は思わず「ゾクッ」とした。そんな感触もまた、初めて味わうものだった。真一の胸の鼓動が、ドクドクと速くなり始めた。いま自分がやったことの「その先」を、知りたくて仕方なくなっていた。


 もう少しめくれば、カサブタの下の「桃色」が、更に広くなる。だが、さっきのような「痛み」を伴うことも間違いない。痛むことを覚悟の上で、自分にとって「未知なるもの」をもっと見るか。それとも、痛みが増すことを恐れて、「ここで終わり」にするか。真一は、迷わなかった。カサブタを一気に、表面積の半分くらいまで、思い切って「ぴりりりり!」とめくり上げた。


「いってぇぇぇ……!」


 先ほどの倍以上の痛みが膝を襲ったが、それだけの「代償」はあった。少なくとも真一は、そう確信していた。


 さっきまで、めくれたカサブタの下から「ちらり」と顔を覗かせている程度だった桃色が、今は周囲との違いをクッキリと際立たせているほどに、大きく広がっていた。そして、カサブタの半分ほどを占める桃色の皮膚から、「じわり」と赤い血が沁み出して来た。


 その、「桃色の中からにじみ出る赤色」を見た時、真一は感動を覚えていた。これほどまでに美しいものが、この世にあるのかとすら思えた。自分を襲うであろう痛みを、耐えたからこそ手に入れることの出来た、これ以上ないほどの興奮と、感動。そして満足感。それは真一少年を、たちまちのうちに虜にしていた。



 膝のカサブタを、一気に「全部」めくらなかったのは、全部めくってしまうのが勿体ないと思ったからだった。一気にやってしまえば、それで終わりだ。しかし、半分だけめくれば、まだ「あと半分」の楽しみが残る。このままカサブタを残しておけば、まだ楽しみが続くのだ。真一は、めくれた部分のカサブタを、爪先で「ぴん、ぴん」と弾きながら。めくれた部分の桃色を、にじみ出た赤色が徐々に占領していく経過を、じっと見つめ続けていた。



 こうして、「人の皮膚に出来る傷口」に興味を持ち始めた真一は。ある日、同じクラスの女子の膝に、カサブタが出来ているのを見つけた。活発的な子だったので、勢いよく走って転んでしまったのだろうか。自分の膝に出来たカサブタより、ひと回りくらい大きそうなその女子のカサブタのことが、真一の頭から離れなくなっていた。


 真一は我慢できず、放課後になってから、その女子に声をかけた。これまであまり親しく話したことはなかったので、女子は不思議そうな顔をしていたが、特に真一を疑うことはなく。真一に誘われるままに、一緒に校舎の裏側へと向かった。



 周囲に他の生徒も先生もいない、放課後の校舎裏で。真一は、自分のカサブタを女子に見せた。自分にも、その女子と「同じものがある」とアピールしたかったのだ。それから真一は、間違ってカサブタをむいてしまい、すごく痛かったという話をした。女子は素直に、「痛そう~」と顔を少し歪めていたが、そこで真一は、「本題」に入った。


 カサブタは、長い間付いていると、剥がすにも剥がせなくなって、あまり良くないらしい。だから、カサブタを付けたままにしておくよりは、一度自分で剥がしてしまった方がいい。そうすれば、また新しいカサブタが出来るから、しばらくは大丈夫になる……。全ては、真一が自分で考えたデタラメだったが、実際に自分もカサブタを付けている真一が真面目に話したことで、女子は半信半疑ながらも、「そういうものなのかな」と思い始めたようだった。


 真一はその機を逃さず、女子に提案をした。カサブタを剥いた方がいいと言っても、自分でやるのはやっぱり痛いし、怖い。だから、僕が君のを、君が僕のを。同時に、「お互いのカサブタを剥こう」と。人のカサブタなら、思い切ってやれるはずだからと。



 女子はそれを聞いてさすがに躊躇っていたが、とりあえず一度やってみよう、痛くて無理そうだったらやめにしようと、真一は女子を強引に説得した。自分がやられるだけでなく、言いだした真一自身もカサブタを剥かれることで、女子はなんとか納得した。「痛かったら痛いって言うから、すぐにやめてね」と付け加えて。真一は、もちろんそうするよと大きく頷いた。だが、真一に「そうするつもり」は、更々なかった。



 女子は恐る恐る、真一の膝の、カサブタの縁をつまみ。真一も女子のカサブタを、爪で挟んだ。いち、にの、さんでやるからねと、真一は念を押し。女子が同意したのを受けて、カウントを始めた。


 いち、にの。さん……!


 真一は女子の膝に付いたカサブタの全面を、一気に「べりっ」と剝がしきった。「痛いっ!!!」女子は真一のカサブタをつまんでいた手を離してしまい、真一の方はほとんど剝がれなかった。痛いよ、酷いよと目に涙を溜めて訴える女子に、真一は持っていたティッシュを差し出しながら、ごめんごめんと謝った。女子は、カサブタを剝がされた後の傷を、両手の親指と人差し指で丸を作るようにして囲い、ふーっ、ふーっと息を吹きかけていた。


 その、女子の両手で囲われた、カサブタを剥かれたばかりの「新鮮な桃色」を。真一はウットリするような目で見つめていた。やっぱり、なんて美しいんだろう。そして、「痛みに耐える姿」というのは、なんてわくわくするんだろう……!



 その女子は、それ以来真一のことを怖がってしまい、2度と「カサブタを剥きあう」ことは出来なかった。それでも、その時に感じた想いは、真一の心に深く刻まれていた。


 人の傷跡というのは、とてつもなく美しい。皮膚の下の肉をむき出しにした、鮮やかな桃色。その桃色の下から滲み出て来る、赤い血の色。そして、傷の痛みに苦悩し、それを耐えようとする姿。その姿もまた、たまらなく愛おしい。


 更に、自分が痛みを伴うかもしれないという、これ以上ないスリル。あの女子は、真一が自身のカサブタを差し出し、「君もやっていいよ」と言ったことで、自分のカサブタを剥がされることに同意した。つまり、真一は自分の痛みと引き換えに、「大いなる成果」を得られたのだと言えた。


 その時は、女子がすぐに剥がすのをやめてしまったので、真一自身はそれほど痛みを感じなかったのだが。それでも、自分がやろうとしている通りに女子もやったら、相当に痛いだろうことは覚悟していた。自分の身を犠牲にする覚悟があれば、より大きな成果を得られる。そのことを、真一は強く意識するようになっていった。



 その頃から真一は、残酷な場面の動画や画像などをネットで収集することに、夢中になり始めた。事故現場の生々しい画像から、リンチにあって血だらけになる動画、惨殺された惨い死体写真など。ネット上は、真一にとって宝物の宝庫だった。どんな検索をすれば、より「見応えのある」画像や動画を見つけられるか。そういった画像などが掲載されている海外のサイトを閲覧すると、ウイルスに感染する危険もあったが、それを避けるにはどうすればいいのか。真一は、自分の求めるものを見つけるために、自分自身で「より良い方法」を学んでいった。


 こうして、後にIT企業に就職する真一の下地は、着実に積み上げられていたのだが。その反面、画像や動画のコレクションは豊富になったものの、実際に「傷口」を間近に見る機会は、そう容易く訪れなかった。真一は、カサブタを剥がしあった女子のことを、懐かしく思い出すことが多々あった。あんな風に「痛みを分かち合う相手」が、また現れないだろうかと。そして、真一が高校3年になった時に、遂に「その機会」がやって来た。


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