健吾が真一に語ったことは、そのほとんどが真実だったが、中には嘘も含まれていた。真実の中に巧みに嘘を混ぜることで、話すことの全てを真実に思わせようという健吾の目論見だった。


 例えば、健吾と一朗は「志を同じくする、10数名のグループに所属している」と言ったが、今やそんなグループは存在しなかった。元々友人と呼べる存在すら少なく、つるんでいたグループが唯一、「他人との繋がり」と言えたのだが。ホームレス襲撃の際に、健吾が垣間見せた「狂気」にひるんだ仲間たちは、そのほとんどがすでに、健吾の前から立ち去っていた。


 その後、一朗のような「ヤバい奴」が、こいつとならヤバいことが出来そうだと、近づいてきたが。その総数は5人にも満たなかった。そして、以前のグループとは違い、普段から頻繁につるむようなこともなく、ただ何か「ことを起こす」時だけ集まるくらいの繋がりだった。健吾は、警察への通報をさせまいとするためだけに、そんな「嘘」をまことしやかに語ったのである。



 逆に、健吾が「生活する金に困ってはいない」というのは、事実だった。両親は共働きで、それぞれにそれなりの収入が得られる仕事に就いており、家族が一堂に会する機会は少ないものの、「恵まれた家庭」で生まれ育ったと言って良かった。


 それは、中学や高校の同級生たちと比べても、顕著だと言えた。リストラされた父親が、二回りも若い青年に叱られながら、家族を養うためにコンビニで働いている家庭。DVの父親から、母親と一緒に逃げるようにして転校してきた生徒。両親が離婚して片親だけの家庭は珍しくなく、シングルマザーの母親に育てられ、父親の名前も知らない同級生など、現代社会の縮図かのように、様々な事情を抱える家庭が多かった。


 そんな中で、表面上は全く「不自由のない生活」を送っていた健吾が抱えていた不満は、まさしく「自分が、恵まれた家庭の子供であること」だった。クラスの奴らに比べれば、恵まれた境遇にいる自分は、世の中に対する不平不満などを言える立場ではなく、その資格もない。両親共に健在で、生活費に困ることのない暮らしが出来ていて、一体何が「不満」だと言うのか。周囲からそんな風に決めつけられてしまうことが、健吾には耐えられなかった。


 最初はその不満を外へ向けることはせず、自分の「内」に込めた。それが、コンパスで指を刺すという自傷行為に繋がった。最初は自分の指を傷つけることが目的だったが、次第に自分には「才能がある」ことに気付き始めた。


 自分には優れた動体視力と俊敏さがあるのだと分かり、コンパスを素早く動かしても、指を刺すようなことがなくなった。それは健吾に驚きと自信をもたらしたが、同時に「物足りなさ」も生まれてきていた。元々、「自分が痛みを感じる」ために始めたことなのに、それが出来なくなってしまったのだ。そこから健吾は、内に秘めた不満を「外」へと向け始めた。



 それまであまり、不良と呼ばれるようなグループとの付き合いはなかったが、そういった輩に自ら近づき、そいつらの前で「コンパスの芸」をやって見せると、大概は「度胸のある奴だ」と受け入れられた。いつしか健吾は、自ら先頭に立ち、更なる「刺激」を求め始めた。ホームレスを襲ってボコボコにするなどの「過激な行動」は、それが顕著に現れた例と言えた。


 そんな行動を続けるうちに、ひとつのグループだった仲間たちは、次々に去り。一朗を含めた「新たな数名の仲間」だけが、今の健吾が行動を共にする、ごく限られた者たちだった。彼らもまた、自分の中で「やり場のない怒り」を溜め込んでいたのだろう。一朗や他の仲間が、どんな不満を抱えているのか、健吾は知らない。一朗たちも、健吾の詳しい事情など聞きはしない。ただ、「共に行動できる」こと、それだけが重要だった。



 そして健吾は、「新たな仲間」の中でも、ツルむ回数の最も多い一朗を誘って、「新たな計画」を実行することにしたのである。一朗は健吾に比べると、自分の欲望に「より忠実」だというきらいはあるが、健吾の考えに反論することなく、「面白そうじゃん、それ」と話に乗ってくるところが、計画を共に遂行する上で、何より優先すべき事項だったのだ。


 健吾が「目標」を高級住宅地に絞ったのは、生活レベルの低い「底辺の家庭」では、健吾が何かを語っても、真一のように「素直に理解しない」だろうと思われたからだ。健吾の話など聞かず、「警察など知ったことか!」と、やにむに反撃してくる可能性もある。


 そこへ行くと、高級住宅地に住むような「上流階級」の家庭は、世間体なども含め、大きな騒ぎを起こすと「失うもの」が多い。それゆえに、健吾の提示した「条件」を飲んでくれる可能性が高いと考えたのだ。真一の態度を見て、自分の考えが正しかったと、健吾は確信を持つに至った。



 また、健吾の両親は、高校を出てから就職もせずフラフラしている息子が、何か「悪い道」へと進みつつあることに気付いている気配があったが、あえてそれには触れないようにしていた。「もう大人なんだから、自分の行動には自分で責任を持て」と暗に言っているようにも思えたが、体のいい「放任主義」なんだろうと、健吾は受け取っていた。


 高校に入学したばかりの妹は、そんな兄を「反面教師」として、学業に専念し「優等生」を継続する一方、やはり兄の行動に口を出すようなことはなかった。むしろ、関りになるのを避けているようにも思えた。まだ小さい頃は、一緒によく遊んだ「仲のいい妹」だったが、今は「違う道」を歩んでいるんだなと、健吾は自分を納得させていた。



 それでも、家に帰れば変わらぬ「恵まれた家庭」があり、自分の部屋で安眠することが出来る。そんな「生暖かい環境」が、健吾を更に「外での刺激」へ向けさせていたのかもしれない。何不自由ない生活をしている奴の、自分勝手で我儘な行動だと後ろ指を刺されても、健吾は自分を制することはなかった。逆にそれが、健吾の「闘志」を奮い立たせていた。


 恵まれた家に生まれたら、不満を持っちゃいけないってのか? 黙って世間様の言いなりになってろってことか……? 健吾は迷うことなく、計画の「実行」に移った。対面する者の恐怖を感じながら、自分自身も痛みを味わう可能性を秘めた、「とびきりのスリル」を与えてくれる、「ゲーム」を実現するために……。




「それでは、あなたの手を、テーブルに置いてもらえますか……?」


 健吾の言葉に従い、真一が覚悟を決めたように、右手をテーブルに突こうとした時。


 ピンポーーーン……


 突然、玄関のチャイムが鳴った。健吾も一朗も、「はっ」となって音のした玄関の方を見たあと、健吾はすぐに真一に向き直った。


「……誰か、来客の予定があったんですか。チャイムを鳴らしている人が、誰かわかりますか……?」


 健吾の問いに、真一は首をふるふると横に振りながら、「いや、わからない。でも、こんな風にふいに訪ねて来るのは、隣人の三ツ谷さんじゃないかと思うが……」



 健吾は、「それじゃあ、確かめましょう」と言いながら、真一の脇に手を回し、足を縛られ歩みの不自由な真一を引きずるようにして、玄関に向かった。そこからは言葉を発することなく、身振りで「覗いてみろ」と真一に指示し、真一は言われた通りに、インターホンに付属した監視カメラの映像で、玄関前の様子を確認した。


「……やっぱり、三ツ谷さんだ。今日訪ねて来るとは言ってなかったけど、今度の日曜は家でゆっくりする予定だとは話していたので、ふらっと寄ってみたのかもしれない。それくらい、普段から親しいお付き合いのある隣人でね」


 真一も声を潜めながら、健吾にそう説明し、「次の指示」を待った。健吾は、しばし「どうすべきか」を考えていた。家でゆっくりするとは言っても、休日であれば、夫婦そろって買い物くらいには行くかもしれない。ならば、チャイムを押して返答がなくとも、不審には思わないだろう。しかしそれだと、ある程度時間を置いて、また訪ねて来る可能性があるかも……?



 健吾は考えた結果、信子ではなく、鼻をケガした真一に、「来客の対応」をさせることにした。信子だと、一朗に体をまさぐられていたこともあり、取り繕うとしても「怯え」の表情が出てしまうかもと思ったのだ。しかし真一は、ゲームをすることを「受け入れた」こともあってか、乱入した時に比べると、いくらか落ち着いた様子が伺える。後は、鼻から血を流していることを、上手く誤魔化せればいい。健吾はそう判断し、真一に具体的な指示を与えた。 


 腕の拘束だけを解かれた真一が、玄関のドアを開けると。そこに立っていた三ツ谷は、最初は満面の笑みで「やあ、星野さん……」と話し掛けてきたが、すぐに「ど、どうしたんだい? かなり血が出てるようだけど……」と、血に染まったハンカチで鼻を押さえる真一の様子を、不安そうに見つめ始めた。


「いや、ちょっと部屋の模様替えをしようかと思って、家具を持ち上げようとしたところで油断してね。足を滑らせて、鼻を強く打ってしまった。結構血が出たけど、だいぶ治まってきたから、しばらく大人しくしてれば血も止まると思う」


 健吾に指示された通りの「言い訳」をする真一に、三ツ谷は尚も心配そうな顔を浮かべながら、「そうかい……あまり、無理はしなさんな。良かったら、俺が診てやろうか?」と、問い掛けて来た。


「ああ、君に医師の心得があるのは知ってるからね、もし酷くなるようだったらお願いするよ。とりあえずは、大人しく血が止まるのを待とうかと思う」



「三ツ谷は、医師の心得がある」という真一の言葉に、健吾は内心「へえ……」と感心しつつ。指示していなかった受け答えもしっかりこなした真一に、ドアの影から「オッケー」の意味を込めて、親指をグッと突き出した。



「ああ、それじゃあ、お大事にな。酷いようだったら、遠慮なく連絡をくれ」 

 三ツ谷はそう言って、「奥さんに宜しく」と言い残し、玄関前を立ち去っていった。思惑通りにことが進んだことで、健吾は「してやったり」とほくそ笑んでいたが。三ツ谷が去る間際に、真一が「チラッ」と意味ありげな目配せを三ツ谷に送り、三ツ谷も口をつぐんだままそれを認識していたことに、健吾は気付かなかった。


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