健吾は星野宅の応接間に入り、横長のテーブルを挟んで、真一の向かい側の、これも横長のソファーに腰かけた。向かいにいる真一は、両の手首と足首を縛られたまま、潰された鼻を真っ赤に染まったハンカチで押さえながら、身を縮こませるようにして座っている。


 健吾の左側、真一から見ると右側に、健吾と真一が座っているソファーの、ちょうど半分の大きさのソファーがあり。そこに、真一と同じように両手両足を縛られた、信子が座らされていた。そのソファーの背後には一朗が立ち、両手をソファーにかけ、卑猥な目付きで信子をジロジロと見つめている。



 見た限り、真一の年齢は恐らく、30代半ばから後半といったところだろう。信子は真一よりやや若く見え、30代前半か、もしかしたら20代後半かもしれない。子供のいない家庭の妻である信子は、まだ十二分に「現役感」を漂わせていた。休日の昼間ということでリラックスしていたのだろう、ゆったりとした服装をしてはいたが、それでもはっきりとわかるほど盛り上がった胸の隆起に、一朗は興奮しているに違いない。


 そんなことを健吾が考えている側から、一朗がガマンしきれないとでも言うように、ソファーにかけていた両手を、信子の肩に降ろし。その勢いのまま躊躇せずに、両手の平で信子の胸の膨らみを、「ぎゅっ」と掴んだ。



「いや……やっ!!」


 猿ぐつわなどをしているわけではないので、身をよじりながら信子が洩らした声が、そのまま聞えて来る。あまり大きな声を出さないのは、やはり「いきなり家に上がり込んで来て、夫を殴り倒し、自分を縛り上げた見知らぬ若者2人」に怯えているからだろう。特にまだ命令されたわけではないが、あまり「大声を出してはいけない」と、察しているのではないか。むやみに叫べば、それだけ自分達の身に、危害が加えられるのだと。



「おい……やめろ! おい?!」


 下卑た笑みを浮かべながら、服の上から嫌がる信子の乳房を揉みしだき続ける一朗を見て、真一がたまらず叫んだ。その声もまた、この場にいる者に聞こえる範囲での、「小さな叫び」ではあったが。突然乱入して来た若者の「目的」もわからないままで、騒ぎを大きくしない方が得策だと考えているのかもしれない。


 これに対し一朗の方は、信子の「嫌がる様子」が更に欲情を駆り立てるのだろう、「ぐへへへへ」とでも言いだしそうな下品な顔つきになっていた。健吾は「はあ……」と軽いため息をつき、「そのくらいにしておけよ」と、一朗をたしなめた。



 それから健吾は改めて、自分達がいる応接間の中を、じっくりと見渡した。壁には海外のものと思われる絵画がかけられており、その下には調度品などが並べられたガラスケースがある。決してこれ見よがしにではなく、トロフィーや盾のようなもの、こちらも海外のものであろう土産物といった品々が、さりげなく陳列されている様は、やはりこの家が「裕福な家庭」であることを伺わせていた。


「お二人とも、まだお若いですよね……? 私の見た限り、ですが。それで、この辺りの土地にこれだけの家を建てて、二人きりで住んでいらっしゃる。どちらかのご両親が、資産家だったとか? もしくは、相当いいお給料の仕事をされているとか……?」


 健吾にそう聞かれ、真一は「なぜそんなことを言わなければならないのか」というように、憮然とした表情をしていたが。健吾にたしなめられ、今は両手をソファーにかけているものの、相変わらず舐めまわすように信子の体を見ている一朗を見て、「仕方ない」といった風に、ポツリポツリと話し始めた。これも、健吾の狙い通りだった。自分が何か、逆らったり歯向かうような素振りをすれば、妻の身に「危険が及ぶ」のだと、真一は察したのだ。いわば暗黙の了解で、信子は「人質」の立場に置かれていると言って良かった。



「私は……幸いにも、外資系のIT企業に就職することが出来てね。私が入社した時もすでに、経営状態は上向きだったんだが。ここ数年で一気に業績が伸び、給与もボーナスもそれ相応のものがもらえるようになった。不景気が続く最中に、ほんとにラッキーだったと思っている」


 外資系の、IT企業か。なるほどね……。健吾は、この家が醸し出している裕福さと「落ち着き」に、少し納得がいった気がした。たぶん子供の頃から頭が良くて、いい大学を出て、業績のいい会社のエリート社員になりましたってとこだろうな。この落ち着きさ加減は、これが自分に相応しい環境だと信じてるんだろうな……。


 しかし健吾は、そのことに対し「恨み、つらみ」のようなものを抱いているわけではなかった。ただ、そういう世界で当たり前のように生きている奴もいるんだなと、なんとなく思っただけだった。



「君たちの目当てはなんだ……金か? どのくらい欲しいんだ?」


 真一は、信子から一朗の気を逸らそうという意味合いもあったのか、ハンカチで鼻を押さえながら、健吾にそう問いかけた。問われた健吾は、大袈裟に「はあ……」とため息をつくと。両手を広げ、外人のようなオーバーアクションで首を横に振り、「やれやれ」という顔つきをしてみせた。


「お金、ですか。僕らが、お金に困っているように見えますか……?」


 健吾の着ている衣服は、決して高級品ではないが、安売りの量販店で売られているものではない。それなりの質を持つ衣料を、それに相応する金額で買ったものだということを、真一にわからせたかった。


「でもこの服も、このお宅のようにどこかに潜入して盗んで来たものか、巻き上げた金で買ったものかもしれないと、思うかもしれないですね。そこら辺は、着こなしというか、自然体であることを感じてもらえるといいかな、と思います。ようするに、僕らの目的は、金をぶんどることではない。決して生活する金に困っているわけではないというのを、わかってもらえれば幸いです」



「金じゃないのか。それじゃ一体、なんなんだ……?」


 再びの問いかけに、健吾は「すう」と軽く息を吸い込んでから、一言一言をはっきりと吐き出すよう心がけた。それが健吾の、一番伝えたいことだったから。


「僕らの要求は、単純明快です。僕らと、簡単な”ゲーム”をしてもらいたいんです」



 その言葉を聞いた時の、真一と信子の表情は、まさにこれが「呆気に取られる」というやつだなと、健吾は内心ほくそ笑んでいた。……まさかそんなことを言いだすとは、夢にも思わなかったろう。しかし俺は、嘘はひとつも言っていない。やりたいんだよ、簡単なゲームを。あんたとね。



「ゲームをしたい、だと……? どういうことなんだ。何をしようっていうんだ??」


 怯えたように聞く真一に向かって、健吾は「ニヤリ」と笑い、持参した小さなバッグから、先の尖ったアイスピックを取り出した。


 その鋭利な切っ先を見て、真一も信子も、その目の中に更なる怯えが浮かび上がった。それで何をする気なのか、と考えているんだろう。今、教えてあげるよ。ゲームのやり方を。



「これはですね……ほんとに、ちょっと突いただけでも血が出るくらいに、先を尖らせてます。そういう風に、僕は手入れをしてます。その方が、ゲームの『面白味』が高まりますから」


 そう言いながら健吾は、自分の左手のひらをテーブルに乗せ、5本の指の間を広げた。大きく「パー」をしたような状態になった左手を、じっと見つめ。健吾は右手で、尖った方を下に向けて逆手に持ったアイスピックを、肩の上まで持ち上げた。


「あなたやあなたのご友人も、子供の頃とかに、やったことがありませんでしたか? コンパスの先とかを使って。僕は昔から、これが得意だったんです」


 健吾はアイスピックの先を、ゆっくりと、テーブルに付いた左手の、親指と人差し指の間に振り下ろし。ピックの先が「こつん」とテーブルに当たったあと、右手を少し上げ、再びゆっくりと、今度は人差し指と中指の間に振り下ろした。次に、中指と薬指の間に。続いて、薬指と小指の間に。その次からは、それまでの手順とは逆に、中指と人差し指の間に……と、ピックを振り下ろし。次第にその振り下ろすスピードを、高めていった。



 最初は、ピックがテーブルを衝く音が、カツン……カツン……と、間を置いて聞こえていたが。徐々にそれが、カツンカツン、そして、カツカツカツカツッ!! と、同じ場所に連続でピックを突き立てているかのような速さになっていった。真一も信子も、真剣な表情で一心にそれをやっている健吾を、驚きと戸惑いを秘めた目付きで見守っていた。


 ピックが指の間を、矢継ぎ早に5往復くらいした頃に、健吾はやっと「ふう……」とため息をつき、ピックを「ことん」とテーブルの上に置いた。戸惑う真一と信子とは裏腹に、一朗が「相変わらず、見事だねえ」と感心したように、手をパチパチと叩いていた。



「……御覧になったように、僕は今でもこれが、大の得意でしてね。好きこそものの上手なれなどと言いますが、ピックが自分の指を刺してしまうんじゃないかというスリルと、自分には出来るはずだという自負のバランス。これが僕は、たまらなく好きなんです」


 それから健吾は、テーブルに突いていた左手を持ち上げ、手のひらを顔の前にかざして、じっと見つめ始めた。


「……好きだからこそ、それこそ毎日毎日、僕はこれを繰り返しました。そりゃあ最初は、指が傷だらけにもなりましたよ。でも今は、あなたもご覧になったように、どの指もかすることすらなく、あれだけのスピードでピックを動かせるようになった。これも、たゆまぬ練習の成果だと言えるでしょう。しかし……」


 健吾は大袈裟に、首を横に振りながら、もう一度ため息をついた。まるで舞台俳優のような「大きな仕草」をするのも、健吾の「遊び」のひとつだった。そういう「お芝居」をすることが、快感でもあった。侵入した家の家族という、「観客」の前で。



「ここまで出来るようになると、なんとなく、『出来て当たり前』のような感覚になっていくんですよ。なんせテーブルに置いているのは、自分の手ですから。それぞれの指の長さ、太さ、指と指との開き加減も、毎日繰り返していくうちに、自ずと身体に染みついていく。それじゃあやっぱり、出来て当たり前だろうなと。最初の頃に感じていたスリルや面白味が、薄れていってしまうんです。それで僕は、考えました」


 健吾は、ここからが本題だと言うように、真一の目をじっと見つめ。しかし、口調はそれまでと変わらず丁寧に、噛んで含めるように、ゆっくりと言葉を吐いた。


「自分の手ではなく、他人の手でやる。それが、僕がここでやりたいと思っている、”ゲーム”です」


 そう語った健吾の瞳は間違いなく、これから始まることへの「愉しみ」に満ちた光を帯びていた。


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