ピン、ポーン……。


 健吾は、「標的」に決めていた一軒家の玄関に付いた呼び鈴を、わざとらしくゆっくりと押した。家の門から入ると、ささやかではあるが庭園のように整備された庭があり、家の亭主か奥さんが趣味でやっていると思われるガーデニングの小鉢なども並び、決して派手ではないが、「落ち着いた美しさ」を醸し出していた。庭を囲う塀と並行して、職人が手掛けたようにカットされた木々が立ち並び、隣家からこの家の様子を伺うのは、容易ではないと判断出来た。それが、この家を標的にした理由のひとつだった。



「はい……どちらさまですか?」


 インターホン越しに、やや警戒したような女性の声が漏れ聞こえて来た。声の調子から、それほど年配ではないように感じられたが、「よそ行きの声」を作っている可能性もある。健吾は、ここで住人の年齢などを決めつけてしまわない方がいいだろうなと考えながら、インターホンのボタンを押した。


「あ、宅急便です。星野さん宛てに、荷物が届いてます」


 健吾は極めて冷静に、「いつも言ってること」のように、ハキハキとそう答えた。ここが「星野宅」だということは、表札でわかっている。表札で見る限り住人は、星野真一と星野信子の2人だけ。子供のいない比較的若い夫婦が2人で暮らしているのではと推測されるが、逆に子供たちがすでに独立した後の、老夫婦水入らずの暮らしとも考えられる。高級住宅街に建つ、敷地の広い一軒家だけに、その可能性も捨てきれないだろうなと健吾は考えていた。



「宅急便、ですか……? 頼んだ覚えが、ないんですけど」


 恐らく「星野信子」のものだと思われる女性の声は、更に警戒心を強めたようにも思えた。しかしこれは、想定の範囲内だ。「そうですか? ここの住所は、〇〇町のXXーXXXXですよね? それで、あて名が星野さんなんで、間違いないと思ったんですが」健吾は尚も落ち着いた声で、スマホで検索した住所を読み上げた。このご時世、グーグルマップなどで検索すれば、番地の特定などはすぐに出来る。しかし、名前と正確な番地を告げられた女性の心中では、おかしいとは思いつつ、もしかしたらという「迷い」が生じ始めていた。健吾はこの機を逃さず、畳みかけた。


「良かったら、どんな荷物かだけでも見てもらえますか? それで、お宅宛かどうか、はっきりするかもしれませんし」


 間髪を入れずになされた健吾の提案に、インターホンの女性は戸惑いながらも、「そうですね……じゃあ、ちょっとだけ」と、渋々その提案を受け入れた。健吾はその言葉を聞いて、計画の成功を確信し、カメラに映らないよう玄関脇に控えていた一朗に「ちらっ」と目線で合図を送った。


「お手数をおかけします、すいません」

 そう言って丁寧に詫びる健吾の口調に乗せられるように、「ガチャッ」という内側のカギを開ける音と共に、女性は玄関のドアを少しだけ開けた。カギは開けたものの、チェーンはしっかりとドアにかかっていた。まだ完全に、警戒心は解いていないということだ。だが健吾には、それで十分だった。


「これなんですけど……」と、健吾が用意していた小さなダンボールを、わずかに開けられたドアの隙間に近づけると。星野信子と思われる女性も、隙間に近づいて、ダンボールに貼られているであろう宛名を確認しようと試みた。その隙を逃さず、まず一朗が持っていたブロックの先を、ドアの隙間に差し入れた。それと同時に、健吾はドアの隙間に右手を差し込み、ドアノブを握っている信子の右手首を「ぎゅっ」と掴んだ。



「な、何を……?!」

 信子は慌ててドアを閉めようとしたが、一朗が差し込んだブロックがガッチリと隙間にハマり、ドアは閉まりきらない。健吾が信子の手首を掴んだ右手に力を入れ、ねじり上げるようにしてドアノブから引きはがそうとする。信子が思わず「痛っ……!」と声をあげるその前に、今度は左手を隙間に差し入れた健吾が、信子の口を塞ぐように覆った。



 右手で手首をねじり上げ、左手で口を塞ぎながら、健吾は信子に冷静に告げた。

「……大きな声とか、出さないように。このまま腕をねじ上げて、もっと痛い目に逢わせることも出来ますよ? そうされたくなかったら、ドアに付いているチェーンを外してくれると、有難いです」


 怯えたような目付きで自分を見つめる信子に、自分が言ったことが本気とわからせるため、健吾は実際に信子の右手首を「ぎりっ」とねじ上げた。

「! ! ! !」

 口を塞がれ、唸るような声を洩らした信子は、涙目になりながら、「わかった」と訴えるように、健吾に向かって何度も頷いた。


 信子は右手首を健吾に捕まれたまま、左手だけで苦労しつつも、言われた通りにドアのチェーンを外した。その瞬間、健吾と一朗が同時にドアに体重をかけ、ドアを開けまいとした信子のかすかな抵抗も、男2人の力には敵わず。星野家のドアは、完全に開け放たれた。


「それでは、お邪魔しますよ」


 健吾は信子の手首を掴んだままで、土足のまま玄関から家の中へと上がりこんだ。すぐ後に続いた一朗は、自分が入った後にドアを閉め、チェーンをかけると。チェーンの金具が外れないように、先ほどドアの隙間に差し込んでいたブロックで、ガンガン! と金具を叩きつけた。その音は家中に響き渡るほど大きく、健吾は思わず苦笑いした。……そんなに激しく音を立てる必要はないんだがな。まあ、派手なことの好きな一朗らしいやり方だと言えるかもな……。



「なんだ、何の騒ぎだ?」


 派手な物音を聞きつけたのだろう、この家のあるじと思われる男・星野真一が、奥の部屋から歩み出て来た。そこで、見知らぬ若い男2人が玄関から上がり込み、しかもその1人が妻の手首を掴み上げているのを見て、「さっ」と顔色が変わった。


「君たちは……何者だ? 警察を呼ぶぞ?!」


 そう言いながら真一は、先ほどまでいた部屋の方へ戻ろうとした。恐らく部屋にスマホが置いてあり、それで通報しようというのだろう。健吾は慣れた手付きで、ポケットから伸縮式の警棒を取り出した。


「おい、頼む」


 健吾は右手で掴んでいた信子の手首を、一朗に差し出した。「はいよ」一朗がすかさず、両手でしっかりと信子の腕を掴むと、健吾は警棒を「しゃきっ」と最長の長さまで伸ばして、真一の背後に歩み寄った。



「君らは、いったい……」


 背後の気配に気づいた真一が、振り返りながらそう言おうとしたが、その前に健吾が振り下ろした警棒が、真一の右足の脛を強打した。「ぐわあああああっ!」突然右足を襲った激痛に、真一はたまらずその場にしゃがみこんだ。そして、両手で脛を押さえる真一が、「よせ、おい……」と口にするのを気にも留めずに、健吾は拳を真一の顔面に叩きこんだ。「ぐちゃっ」という音と共に鼻を潰された真一は、もう健吾に抵抗する余地がなくなっていた。



 一朗に腕をねじ上げられ、こちらも身動き取れない状態の信子が、必死に「あなた、あなた! 大丈夫?!」と叫ぶ声を聞きながら。健吾は、計画が滞りなく進んでいることに満足感を覚え、密かに呟いた。


 ……さあ、「遊びの時間」の、始まりだ。


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