第2話 アンダーグラウンド 1






 未整備区域、番外地、あるいは貧民窟スラムと呼ばれる街の外縁部と隣接する十三番地にソラたちの貸家はある。

 《はじまりの街》と呼ばれるカトレフは一から十三の区画で分けられ、街の中心にある《天井広場》と街の端にある十三番地は結構な距離がある。表通りで約一時間、裏路地を通ってショートカットしても四十五分はかかるだろう。

 そこまでして《天井広場》へ行く必要があるかと言えば、“ある”。

 少なくともソラは、というか攻略者ローグはそもそも《天井広場》へ行かなければなにも始まらない。


 二十年前、円形都市カトレフの中心に大きなが空いた。

 はカトレフを治めていたフィヨドル=カトリエフ伯爵の屋敷を含む多くの建物と少なくない数の人間を飲み込んだ。当然、飲み込まれた人間の中には伯爵やその家族、私設兵団もいた。

 それから約二週間後、数名の人間がから生還する。

 はたして生還者は、フィヨドル=カトリエフ伯爵の一人娘アーシュラ=カトリエフとその近衛たちだった。


 彼女たちは『の下には広大な地下空間が広がっていた』と語った。


 ――それから月日が流れ、カトレフ以外にも地下空間へ続くが発見された。人々はかつてノドグラフ大陸の“下”に存在したとされる地下世界の名前にちなんで、その地下空間をアンダーグラウンドと呼ぶようになった。

 カトレフが《はじまりの街》と呼ばれるのは、最初にアンダーグラウンドへ続くが発見された街だからだ。


 アンダーグラウンドへ潜り、金を稼ぐことを生業とする人間たちは攻略者ローグと呼ばれ、今ではノドグラフ大陸全土で職業として成立している。


 現在、カトレフのには魔術で造り出した地面が蓋をし、広場になっている。人工的に造られた大地のというわけだ。しかしアンダーグラウンドへ下るための通路は整備されていて、だからこの街の攻略者たちは天井広場へ行くし、商売人たちは彼らにあれやこれやと売りつけるため集まる。


 そんなわけで、どれだけ遠くても攻略者である以上、天井広場へ行くしかない。この街の物価や家賃は中心へ向かうほど高くなるから、近くに引っ越すというのも現実的じゃないし。


 ソラは黒のインナーとボトムス、白地に青いラインの入ったオーバーサイズジャケットに着替え、腰に直剣ブロードソードを吊るして家を出た。

 今の時代、鎧を着る人間はほとんどいない。魔術を技術が発展したことで、見た目は普通の衣服でも旧時代の鎧と同じかそれ以上の強靭さを持つ防具が生み出されたからだ。

 もちろん、魔術を鎧はそれよりさらに高い強度を誇る。ただ一介の攻略者に手が出る値段ではないので、まあ、ガントレットやグリーブくらいなら頑張れば買えるかな、というレベルだ。


 十三番地は簡単に言えば住宅街で、あばら家というほどじゃないが安っぽい造りの家が多い。中央地区の連中からすれば、ここはいわゆる貧民街ということらしい。ソラたちの家も借りた当初はけっこうボロボロで、今のように平屋とはいえ内装も外装も綺麗になっているのはミュウの努力が大きい。


 家の前の小道を抜けて大通りに出ると、辛気臭い顔の連中や道の隅でうずくまっている人間が目に入ってくる。この地区の住人の大半は貧民窟スラムから流れてきた浮浪者や、ギリギリ貧民窟行きを免れているような人々だ。

 ソラたちだって、生まれこそ貧民窟ではないが、孤児として寄り集まっていた頃は貧民窟と十三番地の境目で暮らしていた。一歩間違えば同じようになっていただろうし、今だってその可能性が消えたわけじゃない。


 ミュウは八番地の花屋で働いているし、リズとグレンはよく解らないけど、月一でそこそこの額を入れている。それでもあの家で暮らしていく上で、一番の稼ぎ頭はソラだ。仮にソラが死にでもしたら、路頭に迷うまではいかなくても、三人が今よりずっと苦しい生活を強いられるのは間違いない。


 まあ、攻略者は稼げるし、ソラ自身けっこう向いていると思っている。危険の多い職業だが、別に嫌々やってるわけじゃない。


 大通りをまっすぐ北に向かうと、徐々に街並みが変わってきた。二階建ての建物が増え、民家だけじゃなく飲食店や道具屋などの商店も軒を連ね始める。屋台や露天もちらほら出てきて、道行く人たちもどこか活気づいている。


 ソラはその中から《チープ・ショップ》という看板を提げた小さな道具屋に立ち寄った。


「ヨォー、ソラっち! 待ってたぜィ!」


 両開きのドアを開けるなり、ハスキーな女性の声が店内に響いた。相変わらず声がでかい。


「こんにちわ、ウェンさん」

「語っ苦しいねェ! 常連サンなんだからもっと楽にしなって!」


 茶髪を結い上げたエプロン姿のウェンさんに肩を思いっきり叩かれて、ソラは曖昧に笑顔を浮かべた。痛くはないけど、なんというか、圧がすごい。

 ウェンさんは《チープ・ショップ》の店主にして唯一の店員だ。まだ二十代らしく、そばかすのある顔も親しみがあるのだが、なにしろこのテンションなので常連たちからは姐さんなどと呼ばれている。らしい。

 ソラが訪れる時はだいたい客がいないので、あくまで本人から聞いた話だ。


「で、いつもので良いのかい?」

「はい」


 頷くと、ウェンさんはレジ上の包みを渡してきた。中身は『ウェン印のおまかせサンドイッチセット』だ。味はまぁまぁで量が多く、安い。この店はそういう、決して高品質ではないが妥協できるラインの商品を安く売っている。


 ソラは腰のポーチから硬貨を三枚取り出してウェンさんに渡す。サンドイッチ十個入りで三百ガルド。はっきり言って破格だ。


「毎度あり! いつもありがとうねェ」

「いえ、こちらこそ。安すぎていつか潰れるんじゃないかと心配なくらいですよ」

「あァ、それなんだけどねェ……」


 珍しく歯切れの悪いウェンさんにソラは首をかしげた。明朗快活、闊達自在な彼女が言い淀むとは、まさか本当に潰れそうなのか。それは困る。


「流石に客が少なすぎてね、そのうちちょっとばかし値上げするかもしれない」

「それは……」


 むしろ今が安すぎるだけではとか、潰れるほどじゃなくて良かったとか、色々と頭に浮かんだが、ソラは率直なアドバイスをすることにした。


「まず、お店の名前を変えたらいいんじゃないですか?」


 『陳腐な店チープ・ショップ』なんていかにも粗悪品を売ってそうだし、好んで入りたくはないだろう。ソラは店先の『格安商品多数』という売り文句に惹かれて来店した口だし、一度訪れれば貧乏攻略者や庶民の味方的なお店だと理解してもらえるだろうけど、それにしたってこの店名では入るのを躊躇うのも無理はない。

 しかし、ウェンさんにはアドバイスの意味が伝わらなかったらしく、きょとんとしている。


「なんでだい?」

「いや、まあ、こだわりがあるなら別にいいんですけど」


 ある意味では親しみのある名前とも取れるし、素人が口出しするのもお門違いかとソラは引き下がった。代案も別に思い浮かばないし。

 受け取った包みを背負袋に仕舞って、ソラはうーんと唸っているウェンさんに背を向けた。


「それじゃあ。多少値上げしても買いに来ますね」

「オウ! そう言ってくれると助かるよ!」


 会釈して、ソラは店から出た。値上げ、か。ウェンさんとしても、本当はやりたくないんだろう。でも、生活のためには仕方ない。世知辛い話だ。

 ソラに出来るのはこれからも店へ通ったり、知り合いに宣伝するくらいだろう。残念ながら宣伝できるような知り合いはいないので、結局、通い続けるくらいしか出来ることはない。

 これが悪漢に脅されているとかなら少しは力になれたんだけど、などと益体もないことを考えながら、ソラは改めて天井広場へ向かった。





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