はてなき空とさいはての星。 ―Valfraixe in the Sky―

九十九 緑

第1話 いつもどおりの朝






 カーテンから漏れ出した朝の日差しに顔面を直撃され、ソラは目を覚ました。眩しい。なんなんだよ、もう。上体を起こして体を伸ばしたら少し頭がはっきりした。わざとカーテンに隙間をあけて太陽に起こしてもらうこの方法、そろそろやめた方がいいかもしれない。天気悪いと寝坊するし。

 いいかげん目覚まし時計買おうかな、と考えながらベッドから降りて、我ながら生活感のない部屋を突っ切り、ドアを開ける。「わっ」と声がして、ソラはドアノブを掴んだまま立ち止まった。


「びっくりしたあ。おはよう」

「ん、おはよ」


 ちょうど部屋の前を通りかかったミュウが、大きな胸に手を当ててほっと息を吐き、寝起きには眩しすぎる笑顔を向けてきた。ゆるくウェーブのかかったミルクブラウンの髪は綺麗に整ってるし、格好も部屋着ではなく深緑のワンピースに白いエプロン、頭には三角巾もつけている。いつも朝早くから起きて家事をこなすミュウには頭が上がらない。ソラには無理だ。


「どうかしたの?」


 人としての格の違いを痛感していたソラの顔を、ペールグリーンの大きな瞳が覗き込んでくる。ミュウの目はすごく大きい。優しげで、それでいて、どこか小動物っぽくもある。


「なんでもない。顔洗ってくるね」


 このまま見つめられていると吸い込まれるような気がして、ソラはさりげなく顔を逸らした。もちろん本当に吸い込まれると思ってるわけじゃない。ただ、ミュウの大きな瞳に見つめられるのが少し苦手だった。


「そうだね。寝ぐせすごいよ?」

「え、マジ?」

「うん」


 ふふ、とミュウに笑われて髪を押さえつける。いまさら寝ぐせを見られたくらいなんだという感じだけど、ついやってしまった。


「ソラ、髪の毛サラサラなのにね」

「関係あるのそれ」

「え、知らない。あるのかな」


 絶対ないでしょ。いや、あるかもしれないけど。どっちでもいいか。

 朝食の準備をするというミュウと別れて洗面所に行く。顔と髪を軽く洗ってタオルで拭き、鏡に映った自分の顔を見る。


 耳が隠れる長さの黒髪に、青空のような色の瞳。ミュウほどじゃないにしても目が大きくて、十七歳にしてはちょっと幼く見える。格好いいというより可愛い系だ。ソラは自分の顔が嫌いじゃない。別に好きでもないが、この顔で得をしたことが何度かあって、使と考えている。子供扱いされることがあるのは少しムカつくけど、それだけだ。


「おあよ~……」


 あくび混じりの声に振り返ると、深緑の髪をボサボサにした少女が半開きの瞼をこすりながら洗面所に入ってきた。


「おはよ、リズ」

「ぅん~」


 しょぼしょぼした目でのろのろとこちらへ向かってくるリズに、一歩下がって洗面台の前を譲る。ドライヤーを用意しながらぼぉっとしているリズの動向を見守っていると、覚束無い手つきで蛇口をひねって顔をバシャバシャと洗い出した。かなり雑だ。めちゃくちゃ水が飛び散ってるし。っていうかタオル用意してないし。

 仕方ない。ソラはドライヤーを棚に置いて新しいタオルを取り出した。蛇口を締める音がして、見るとリズが「ぅあ~」と両手を彷徨わせている。ソラは押し付けるようにタオルを手渡した。


 ごしごしと顔を拭いたリズの、髪色と同じ深緑の瞳と鏡越しに目が合った。


「ソラにい、いたの?」

「いたよ。ずっと。誰がタオル渡したと思ってんの」

「あたし寝ぼけてた?」

「うん」


 頷いて、ソラはドライヤーの電源スイッチを入れた。リズは洗面台を軽く拭いてそこにもたれかかり、こっちを見ている。そこまで濡れていなかった髪を乾かし終えて電源スイッチを切ると同時、リズが口を開いた。


「ソラ兄、髪やって~」

クシ取って。後ろ向いて」

「ん!」


 どうせそのつもりだろうと思っていたので、ソラは端的に答えた。起きる時間がかぶった時は大抵こうなる。自分でやるのが面倒くさいのか、あるいは、ソラよりも二つか三つ年下なので甘えているのかもしれない。正確な年齢は解らないが、年下なのはたしかだ。なんにせよ断る理由もないので、頼まれたらやってあげている。


 後ろ手に渡された櫛を、少し硬いリズの髪に通す。リズは小柄だが、ソラの背が低いのもあって頭の高さはほとんど変わらない。正直やりづらいので屈んで欲しいが、前にそう言ったら「疲れるからヤだ」と断られた。

 引っかからないようゆっくりかしながら、鏡に映るリズをちらっと見る。つり目で勝ち気そうな顔立ちだが、人懐っこい性格が滲み出てるのかきつい印象はない。


「終わったよ」


 寝ぐせが取れて、綺麗な前下がりのショートボブになったリズに声をかける。


「え~、もう?」

「大丈夫、ちゃんと直ってるよ」

「そこは心配してないけどさ~」


 なぜか不満げなリズを退かして出したものを片付け、ついでに飛び散った水も拭き取ってから二人で洗面所を出た。


 洗面所はL字型の廊下のちょうど折れ曲がっている部分にあり、右手へ曲がればソラたちの私室で、正面に向かうとリビングダイニングがある。扉越しにもフライパンで何かを焼く音と香ばしい匂いが漂ってきて、お腹が鳴りそうになった。


「朝ごはん、なにって?」

「たぶんソーセージとスクランブルエッグ」

「それソラ兄の予想じゃん」

「まあ、そうだけど」


 ミュウの作る朝食は必ずトーストとサラダがあって、あとはサイドメニューが数パターンだ。ソーセージ、スクランブルエッグはかなり高頻度で出てくるが、二日続けて同じメニューということはない。昨日はベーコンとマッシュポテト、一昨日がコーンポタージュとオムレツだったのでそろそろ出てきてもおかしくない。予想といってもきちんと根拠があるのだ。

 まあ、わざわざ説明するのもアレだからしないけど。ていうかなんでこんなこと真剣に考えてるんだ。


 アホなことを考えているソラを置いて先に行ったリズが、リビングダイニングへ続くドアを開けた途端に驚いた声を上げた。


「えっ、グレンが先に起きてる! なんで?」


 後ろから覗き込むと、白いロングソファに不機嫌そうな少年がだらしなく座っていた。髪の右半分だけ鮮血のように紅く、左半分は夜のように黒い奇抜なスタイル、瞳は髪色と反対で左が紅く右が黒いオッドアイのグレンが、剣呑な目つきでこちらを睨んでくる。ちなみに紅い瞳はカラコンで、元は両目とも黒い。


「うるせーな。頭に響くから大声出すんじゃねーよ」


 全体的に白を基調として、通りに面した大窓の前に飾られた花や、レースのカーテン、白いクロスが掛けられたテーブルなどお洒落で清潔な雰囲気のリビングと絶望的にミスマッチしたガラの悪さも、慣れればなんてことはない。いや、嘘ついた。未だにこの部屋でくつろいでいるグレンの絵面は違和感がある。

 どっちかっていうと薄暗い路地裏にある怪しげな酒場や落書きまみれの壁の前でたむろしているのが似合う風貌だし。本人もこういう綺麗な部屋は落ち着かないらしく、基本自室にこもっているか、外をぶらついている。最近は夜中になっても帰ってこない、なんてこともある。


「起きたんじゃなくて、寝てないんでしょ。たぶん」

「あ~、朝帰りってやつ?」


 ダイニングテーブルに向かいながらそう言うと、リズがいたずらっぽく笑った。意味わかって言ってるのかな。


「関係ねーだろ」


 ぶっきらぼうにしつつ、グレンもテーブルに着く。こういうところは律儀だ。


「関係なくないよ。私たちは“家族”でしょ?」


 大きなトレイに朝食を乗せて持ってきたミュウが少し怒った顔でそう言った。

 家族――といっても、血の繋がりはない。それどころかソラも、ミュウも、リズも、グレンも、血の繋がった家族はいないか、いたとしてもどこにいるのか解らない。

 ソラたちは全員が孤児だ。いつの間にか集まって、気がついたら一緒に過ごしていた。力を合わせて生きてきた、とは言えない。わりと各々が好きに過ごして、勝手に生きている。ただ帰る場所が同じで、ミュウはそれを“家族”と表現している。


 この一軒家を借りようと言いだしたのもミュウだった。その方が『家族っぽい』からと。


「グレンが誰と仲良くして何をしててもいいけど、それは心配してないってことじゃないんだよ」

「……だから飯の時は帰ってきてるじゃねーか」


 心なしかグレンの語気が弱い。悪ぶっている彼も、ミュウの慈愛に満ちたオーラの前では形無しだ。


「でも、昨日のお夕飯の時はいなかったでしょう?」

「まあ、いいんじゃない? 別にそれくらい」


 フォローのつもりじゃないが、ソラは説教モードに入りそうなミュウへ声をかけた。


「でも……」

「それより朝ごはん、冷めちゃうよ」


 席から立って、ミュウが持つトレイの上から皿を取る。朝食はソーセージと目玉焼きだった。惜しい。

 左右二つずつ持った皿を各席の前に配膳し、キッチンへ向かう。


「トーストも焼けてるよね?」

「あ、いいよ。私が持ってくから」

「じゃあマーガリンとかお願い」


 皿の上にペーパーナプキンを敷いて、綺麗に焼けているトーストを六枚重ねて置く。ソラとグレンが二枚、リズとミュウが一枚食べるのでこの枚数だ。冷蔵庫からマーガリンとジャムを出したミュウとダイニングテーブルに戻る。


「じゃ、いただきます」

「「いただきます」」

「……ます」


 約一名声が小さすぎてちゃんと聞こえなかったが、全員揃って顔の前で十字を切り、食前の挨拶をする。


「ソラ兄、イチゴジャム取って~」

「ん」

「朝からよくそんな甘いモン食えるな」

「グレンはちゃんとサラダも食べなきゃだめだよ?」


 いつもどおりの賑やかな食事風景に、ソラはこっそり息を吐いた。――家族、か。

 本当の家族をソラは知らないが、こういう“いつもどおり”が続くのなら、そういうのも悪くないんだろう。


 ならばこそ、自分ソラ攻略者ローグとして稼がなくては。

 決意というほど重いものではないけれど、たしかに、ひそかに、あらためて、そう思った。





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