第3話

 俺と花と珠、三人の付き合いは途切れることなく、気づけば俺も花もどんどん成長していった。もちろん、でかくなるにつれて裏山に行く回数は減っていったけれども、それでも珠を蔑ろにするなんてことはなくって、むしろ料理ができるようになったと、花がおいなりさんを持ってきたり、俺も最近の村での出来事を珠に詳しく話して相談に乗ってもらったりと、お互いに信頼お互いを信頼していた。


 珠も化ける練習をしてるのか、それとも年齢を重ねているせいなのか、俺らと同じように姿を変えてった。初めて会った時は女児の姿だったけれど、こん時は花と同じくらいの妙齢の女性になっていた。花と珠は特に仲が良くて、側からみれば姉妹のように見えたもんだ。


 上手く化けれているもんだから、たまに村までやってきて、俺や花の家へ訪ねてくる時もあった。村の奴らにゃ「古い友人」とかなんとか言って適当に誤魔化してたが、あいつらもあいつらで気のいい奴らだから、「ほれ弥吉の連れなら野菜持ってけ」とか「お花の友達だろう?もしよかったらもう着なくなった着物をあげるよ」とか言って、珠に色んなものを渡してたっけな。


 珠も珠で「こんなに色々貰うだけじゃ申し訳ない」と、畑仕事やら縫い物やらを手伝って、それを繰り返してるうちいつしかあいつも村の一員として受け入れられていった。


 ──さて、歳を重ねると見合いの相談という物がくる。村の風習みたいなもんで、叔父や叔母なんかがどこからかそういう話を持ってくるんだよ。


 しかし、大体の話は断っちまってた。「俺の相手は俺が決めるからいい」なんてカッコつけてはいたけれど、別に誰か気になる人がいるわけでもなくて、それに結婚なんてまだ早いと思ったし、想像もできなかったしな。


 で、そのことは珠にも話していた。珠は決まって「人間は大変だね、狐なら見合いなんかしないよ」と返してきて、「もし見合いするなら教えてね」なんて仕切りに言ってくるんだ。俺は話半分に「ああ、分かったよ」なんて、適当な返事をしていてなぁ。


 それである日、また叔母がやってきて「この子はどうだ、あの子はどうだ」とうるさく言ってきた。俺はいつものように「いやいや、やめとくよ」と聞き流していたんだけれど。


 「じゃ、あの子はどうだ、あのお花って子。気立もいいし器量もいい、お前と仲も良いだろう」


 って、言われちまった時、俺は言葉に詰まっちまった。


 なに、そん時に花を特段好いてたってわけじゃない。けども花がこうして見合いの話に出るってのは、もしかしたら他の男のとこにも同じように見合いの話がいってるかもしれんわけで。


 そう考えると、何故だか途端に胸が苦しくなった。花がどこか遠くにいっちまう、花が知らん男の元にいっちまう。それが俺には関係なくて、俺に止める権利なんてないと知っているのに、それを哀しく思うのはどうしてなんだか──。


 「お、急にダンマリになったな?…そうか!お花がいいんか!」


 俺の様子が変わったのを見て、にんまりと笑うその顔が無性にむかついたんで、


 「うるせえ、ちょいと喉がつかえただけだい」


 と強がってはみたものの、はたしてこの心の苦しみは一体なんなのか。今にして思えばあれこそが恋だったんだろうが、若い俺がそれを認められるわけもねえ。


 それでもどうにか心のモヤを振り払おうと、とりあえず叔母を家から追い出して、一人頭を抱えて悩んだ。そいでしばらく悩んだ後に、これは一人じゃ考えきれんと、頭を冷やすため散歩がてら裏山に向かった。珠と話でもすりゃ、少しは気が晴れるかなってよ。


 そうして裏山の前に着いた時、珠が誰かと話してた。


 「おや、誰だろう?」


 ちょいと近づくと、それが誰か分かった。花だ。花と珠が二人向き合って喋ってる。俺は叔母からあんな話をされた後だったから花と会うのが気恥ずかしくて、ついつい近くの茂みに隠れちまった。


 そっと顔を出して二人を見ると、いつもなら仲良く笑って話してるのに、その日は花が真面目な顔して珠を見つめて、珠はなんだか物悲しげだった。


 一体何を話してるのか。耳を澄ますとまず、花の声が聞こえた。


 「──珠。私はこの話、自分の想いに従って受けようかと思っています。しかし、私は貴方の想いも知っているのです。数年来の友として、血の繋がりを超えた姉妹として、そしてなにより恋敵として、このことをどうして貴方に黙っていられましょうか」


 何のことを言っているかそれはまだ分からなかったけれども、花の言葉は凛とした冷たさと鬼気迫る熱、二つを併せ持った力強いものだった。


 対して、珠は今にも泣き出しそうな震え声でこう切り出した。


 「花、花よ。それはワタシにも同じ事なんだ。ワタシにとって花は、友であり、姉であり、妹であり、名付けてくれた親であり、大切な家族だ。弥吉も、弥吉もそうだ。二人はワタシの命、いやそれ以上の存在だ。その仲睦まじい二人の仲を、どうしてワタシの想い一つで引き裂けようか。ワタシの気持ちなど無視しておくれ、ワタシの心など考えないでおくれ。花、どうか無慈悲に弥吉と結ばれておくれよ。それが身の程知らずな想いを持った、キツネを救う唯一の方法なのだから」


 苦しそうに吐き出した珠の思いを、花は目を閉じ聴いていた。そして再び目を開けた時、花は決意した顔つきで、介錯のように言葉をぶつけた。


 「では──私は弥吉さんと見合い、結ばれようとおもいます」


 珠はゆっくり頷くと、それきり顔を上げはしなかった。花はそれを一瞥すると立ち上がり、目を拭って走り去って行った。



 「そうか、そうか。」



 俺はその時全てを知った。あいつらが秘めてた心の内を、それをぶつけ合った、二人の辛さを。なんて俺は馬鹿なのだろう。花と珠の心内を微塵も知らず、一人浮かれて悩むなど。いいや、二人の気持ちと比べれば、悩みと言うのもおこがましい。


 「…なあ、弥吉。そこにいるんだろう」


 不意に、茂みの向こうから声がかかった。


 「気づいて、いたのか」


 「ワタシはキツネだよ。キツネは耳がいいからね」

 

 泣き腫らした目で悲しく笑う珠の顔を、ちゃんと見れはしなかった。俺はどうにも目を合わせられなくて、すぐに下を向いてしまった。

 

 「ねえ、弥吉。お前にお願いがある」


 「…なんだい」


 「ワタシのことを撫でておくれ」


 そう言われて顔を上げると、珠はいつの間にか狐の姿に戻ってて。


 「…うん、分かった」


 俺は珠を持ち上げ、いつか一緒にいなりを食べたあの岩の上に座り、珠を膝の上に乗せゆっくりと背中を撫でてやった。


 「弥吉は撫でるのがうまいねえ」


 「そうかい?」


 「そうさ」


 「そうかい」


 それきり珠は喋らなかった。けれど無理矢理会話しようとするほど、俺も野暮じゃなかった。

 

 それは不思議な感覚だった。撫でる男と撫でられる狐、一人と一匹の静かな空間。けど無音ってわけじゃなく、風で葉の擦れる音がして、虫が鳴く声がする。獣が地を踏む音がして、遠くで人の声がする。


 決して絶えない音たちを、珠と俺とで聞いていたんだ。


 「ありがとう、弥吉」


 珠が、また唐突に口を開いた。


 「なんだい藪から棒に」


 「藪から棒でも感謝したいのさ。お前と出会えたことに」


 俺はこん時に、珠が何か強い決心をしたように感じた。だがその決心が何に対するものなのかとは、俺にはどうも問えなくて、返事もできずに黙りこくってしまった。


 「…ところで!お前にもう一つ頼みがある。どうか目を瞑っておくれ」


 パッと、珠の雰囲気が変わった。それが俺を不安にさせぬための演技だと勘付いてしまって、俺は無性に悲しくなった。


 「ああ、なんでも聞くさ」


 だが、珠の気持ちを無下にしちゃあいけないと、俺も出来るだけ明るく返事して、目を瞑ったんだ。


 「ちゃんと瞑ったか?」


 「おう、何も見えない」


 「じゃあ今指は何本だ」


 「分からないよ」


 「そうか。じゃあ──」


 珠の声が途切れると、ちょっとの間が空いた。


 それから、頬に湿っぽい感覚がして。


 「じゃあね、弥吉。」


 ──静かな、珠の声。


 「えっ、おい待てよ珠…」


 驚いて目を開けると珠の姿は消えていた。俺はほっぺに触れながら、あの湿っぽさが狐の鼻だったのか、それとも人の唇だったのかと考えた。けれども珠からしてみれば、どちらも変わらないことだと気がついて、俺は俺の浅ましさを恥じた。


 そしてその日から、珠が俺と花の前に姿を現すことは無くなったんだ。

 



 ──ゴホッ…ああ、すまねえ。ちょいと横になるぞ陽吉。なあに、長話して少し疲れただけさ。…まてまて、もうすぐ話きるんだ。そんな帰るなんて言わず、最後まで聞いてけ。なあ、陽吉。

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