猫猫探偵とわたし
福沢雪
猫猫探偵とわたし
「人の顔を見て、なにをニヤニヤしているのだきみは」
甘味処のテーブル席で、しゃくしゃくとかき氷を食べている男の子。
歳は十四の中学二年生。さらりとした黒髪で、ぱっと見たところは美少年。けれどその目は赤く血走り、うっすらと涙がにじんでいます。
「猫覘(ねこぬすみ)さんは、面白い人だなあと思いまして」
向かいの席に座っているわたしは、ニヤニヤが止まりません。
なぜなら目下の猫覘さんは、両脇に猫を抱えて、頭の上にも子猫を乗せて、それでも器用に、真っ赤なかき氷を食べているのですから。
ああ、そうそう。ひとつ注意を。
かき氷にかかっている赤い液体は、シロップではなくケチャップです。猫覘さんはなんにでもケチャップをかける、ちょっと変わりものなのです。
とはいえそれだって、猫覘さんの「特技」に比べればたいしたことはありませんけどね。
「僕は別に面白くなんて――こら、動くな『ねぐせ』。猫毛が氷に入る」
猫覘さんの頭の上で、白い子猫が氷に落ちまいと前足を踏ん張っています。なんともかわいらしいその仕草に、わたしは頬をゆるませました。
そんなタイミングで、猫覘さんが抱えていた右脇の猫が小さく鳴きます。
「なに? 『すでに毛まみれだろう』だと? 黙れ、この毛だらけ妖怪め。ここのかき氷は、ただでさえまずいんだ。おまえらの毛なんて入ったら、それこそ食えたもんじゃない」
猫覘さんが罵声を浴びせると、今度は左脇の三毛が鳴きました。
「『ケチャップなんてかけてるから』だと? やかましい! 迷い猫の分際で、僕の味覚に意見しようなんて百年早い!」
そうなのです。
この猫覘さん、猫の言葉がわかるのです。
その「特技」を活かして脱走した猫を捕まえたり、猫同士の縄張り争いを解決したりで、いつも猫に囲まれている猫覘さん。
ですが別に、猫が好きなわけではありません。
どころかむしろ大嫌いで、一匹ならまだしも二匹以上の猫に囲まれると、まるで泣き明かしたように、目が真っ赤になってしまう猫アレルギー持ち。
なのにいつも猫に囲まれているので、人は敬意と憐れみをこめて、赤い目をした猫覘さんを、「猫猫探偵」と呼んでいます。
「だから、さっきからなにをニタニタしているのだきみは」
再びとがめられたわたしは、そんな猫猫探偵の助手です。
わたしにできることといったら、こうして猫覘さんにつきまとい、自宅でキーボードをたたいて、猫猫探偵の活躍をネットにつづる程度。早い話が、単なるファンの女の子です。
「いやあ。猫覘さんは、本当に猫に好かれているなあと思いまして」
わたしがそんな風に返すと、猫覘さんは機嫌を損ねたのか、片眉を上げて威嚇するように血走った目を向けてきました。
「僕は猫など大嫌いだ! 『ねこぬすみ』なんて名前でなければ、こんなバカげたことをしていられるか!」
そうでした。猫覘さんはその名前のせいで、いつも猫泥棒と勘ぐられ、痛くない腹をさぐられて、とうとう嫌気が差してしまい、世の迷い猫を勝手に飼い主のもとに届けるという、猫猫探偵になったのでした。
今日も食事を終えたら、小脇の二匹を飼い主の元に届ける予定です。
「そう言いつつも猫に優しいから、猫覘さんは好かれているんですよ」
だって猫アレルギーなのに積極的に猫と関わるなんてお人好し、世界中探したって猫覘さんしかいません。だから猫たちは、みんな猫覘さんが大好きです。
「ともかく僕は猫が嫌いだ! そんなのわかりきったことだろう。わざわざ言わせるなんて、きみは性格が悪い」
「ええ。わたしは性格『も』、悪いんです」
見た目はもっと悪いので、わたしはみんなから嫌われています。
「……悪いのは性格だけだ。ふん。そろそろ家へ帰るぞ、毛ものども」
いつも不機嫌で、いつも優しい猫覘さん。
そんな猫覘さんのことが、わたしは大好きです。
*
昨日は二匹の猫を飼い主の元に送り届けて、無事に解散となりました。
明けて今日、わたしは恐ろしい話を耳にします。
区役所の前を通ったときに聞いたのですが、なんでも行方不明の届け出があった猫が、あるお宅の庭で血だらけで死んでいたのだとか。
これは一大事と、わたしは中学校へ向かいました。
ちょうど放課後の時間だったので、電柱に身を隠して、帰宅する生徒たちの中から猫覘さんを探します。
「うっわ、見て見て。この子、超かわいい」
校門の辺りから、そんな声が聞こえてきました。
見れば制服を着た女子生徒たちが、白い子猫を抱き上げて盛り上がっています。
あの子猫は、ねぐせちゃんですね。ねぐせちゃんはどこからともなく現れて、猫覘さんの頭によじ登りたがる子猫です。
「ふわふわだよー。すっごい癒やされる」
そうでしょう、そうでしょう。ねぐせちゃんは真っ白な毛も相まって、それこそぬいぐるみのようなかわいさです。
「ほんとかわいい……うっわ、最悪。なんで学校にきてんの……?」
ねぐせちゃんをかわいがっていた生徒が、電柱に隠れていたわたしと目があったとたん、嫌なものを見たというように言いました。
「……すみません」
わたしは蚊の鳴くような声で、ぼそりとつぶやきます。知っている生徒ではありませんでしたが、不気味な黒ずくめのわたしはある意味有名です。
「おや、ねぐせと助手じゃないか。なにか事件か」
ようやく、猫覘さんが昇降口から現れました。
昨日とは違い、両目はすっきり輝く白と黒。とはいえねぐせちゃんがすぐさま頭上に飛びついたので、その瞳はさっと血走りました。
「ひっ」
いきなり目を真っ赤に充血させた猫覘さんを見て、女子生徒たちが悲鳴を上げて逃げていきます。
「いやはや、しんどい体ですね」
お気に入りの場所で、機嫌よく鳴くねぐせちゃんと、その足下でごしごしと目をこする猫覘さんを見て、わたしは口元がほころぶのを押さえきれません。
「そう思うなら、迎えにこないで放っておいてくれ。ああ、かゆい」
ふて腐れるのはもっともですが、事件は急を要します。
わたしは猫覘さんに、聞きかじった事件の概要を説明しました。
「……ふむ。殺猫事件の可能性があるな。急ぐぞ」
猫覘さんは大股でさっそうと歩き、自転車置き場に向かいました。
そうして愛車の「ドッグラブ号」にまたがると、後ろにわたし、かごにねぐせちゃんを載せて、きーこ、きーこと、自転車をこぎだしました。
*
「区役所の方からきたものだ。現場を見せてくれ」
猫が死んでいるとされる一戸建てに着くと、猫覘さんが引き戸を開けて、大きな声で尋ねました。
猫覘さんは中学生なので、区役所の職員ではありません。なのでここでいう『区役所の方』は方面のことですが、探偵には方便も必要なのです。
「たしかに区役所に猫が死んでいると連絡したが、なんで子どもがくるんだ」
玄関に現れた中年男性は、明らかに不審な表情です。
「公務員はみな、猫の手も借りたいほど忙しい。しかし猫の手を借りても、実際にはなんの役にも立たない。だから僕がきたんだ」
猫覘さんが、さも当然というように話しました。ほとんど意味のない言葉でも、堂々としているとそれらしく聞こえますね。
「本当に、区役所の関係者なのか……? いや、それよりもだ。その頭の上の猫、すごくかわいいな。ちょっと触ってもいいかい」
ご主人の目は、少年のようにきらきらと輝いていました。
「いいだろう。ただし現場を見終わってからだ」
「よしきた。猫が死んでるのは庭だ」
ねぐせちゃんのかわいらしさのおかげで、わたしたちはなんとか事件現場へ案内してもらえました。
ですがいきなり、予想外のことが起こります。
「猫が、いない……? そんな。さっきまで、そこで死んでいたのに……」
庭に出たご主人が、唖然とした様子で言いました。
わたしは庭に目をやります。
立派な松の木の植わったお庭には、猫の死体なんてどこにもありません。
ただし中央の地面に、おびただしい量の血痕があります。
「おい、信じてくれ。本当に、さっきまでそこで猫が死んでいたんだ。ほら、証拠も撮影してある」
ご主人がスマホではない、二つ折りの携帯電話の画面を見せてくれました。
たしかに庭の中央で、血痕の位置に猫が倒れています。
「ずいぶん、用意がいいな」
「そ、それは……たまたまだよ。たまたま」
中学生の疑いに、なぜか大人がうろたえています。
「ふん。殺猫事件に、死体消失事件か。並みの探偵なら根を上げるだろう。だが猫猫探偵なら、五分とかからず解決してみせるさ」
そう言うと、猫覘さんはくんくんと鼻を動かしました。
「なるほど。この香り、アメリカ産だな」
次いであちこちを向きながら、目をこすってつぶやきます。
「このかゆみ……こっちか」
「お、おい! 勝手に入ってもらっちゃ困るよ!」
慌てるご主人を振り切り、猫覘さんが縁側からお宅に上がりこみました。
そうして大股でずんずん歩き、奥の部屋のふすまを勢いよく開けます。
「待て! そこは……」
あわあわとしているご主人と対照的に、室内の床の間では、猫が一匹くつろいでいました。どうやら食事をすませたばかりのようで、口の周りにペースト状のおやつがついています。
「なに? 『風呂上がりのニャンチューブは最高にうまい』だと? やかましい。おまえなぞ、すぐに飼い主の元に連れ帰してやる」
猫覘さんは猫の首根をつかむと、振り返って赤い目でご主人をにらみました。
「おおかたあんたは、迷いこんだこいつがかわいくて飼いたくなったんだろう」
「うっ……」
ご主人の反応からすると、どうやら図星のようです。
「だからあんたは自分の猫にするために、ケチャップを血に見立ててこいつの死を偽装した。区役所から本物の飼い主に死亡を通知させれば、その後は自分の猫として飼えるからな」
「くっ……! なぜ、わかったんだ」
「僕はいつでも、二匹以上の猫につきまとわれる『猫猫探偵』だ。僕に解決できない猫の事件などない!」
猫覘さんがご主人に指をつきつけると、頭上のねぐせちゃんもふんばりながら片腕を前に出しました。
おそらく真相解明のきっかけは、庭の血痕と猫アレルギーでしょう。
かき氷にもケチャップをかけるケチャップマニアの猫覘さんは、庭の赤い液体が血ではなくケチャップだと匂いですぐにわかったのです。
それでは猫はどこだとなったとき、家の方を向くと、より目がかゆくなることに気づきました。以前はしんどい体だと言いましたが、こと探偵業務に限っては便利かもしれません。
「さすがは猫猫探偵。みごとに殺猫事件の真相を暴き、誘拐事件となるところを未然に防ぎましたね」
わたしが猫覘さんを賞賛すると、いきなりご主人が叫びました。
「黙ってろ、黒いの! 気味が悪い!」
思わずびくりとなり、わたしは身を縮こまらせます。
すると猫覘さんが、ご自分のスマホを操作し始めました。
「主人。あんたがおとなしく猫を返せば、僕は見逃してやるつもりだった。最初に迷いこんできたのは、猫のほうだしな。だがやはり、通報させてもらう。ペットに誘拐罪は適用されないから窃盗罪だ。それでも裁判次第では懲役刑になる」
「そんな……俺はちょっと、猫と触れあいたかっただけなのに……」
「もしもし、警察か。窃盗事件の発生だ。場所は――」
がっくりとうなだれるご主人をよそに、猫覘さんは淡々と住所を伝えました。
*
事件をお巡りさんに引き継いだ後の、夕暮れどきの帰り道。
きーこ、きーこと「ドッグラブ号」をこぐ猫覘さんに、わたしは自転車の後ろからお礼を言います。
「猫覘さんは、本当に優しいですね。単につきまとっているだけのファンを助手にしてくれた上に、その助手のためにご主人をとっちめてくれるなんて」
ありがとうございますと頭を下げると、猫覘さんは鼻を鳴らしました。
「うぬぼれるな。僕はきみのために通報したわけじゃない。あの主人は『猫と触れあいたい』程度の軽い気持ちだったかもしれないが、飼い主にとったら家族がいなくなったのと同義だからな」
「でも最初は、見逃すつもりだったんでしょう?」
わたしの問いに、前カゴのねぐせちゃんも同意して鳴いています。
「僕は猫が嫌いだ」
「よーく、知ってますよ」
「だが探偵業は嫌いじゃない。助手への侮辱は、僕への侮辱だ」
こんな風に素直じゃないし、いつも不機嫌ですけど、猫覘さんはやっぱり優しい人です。人から『気味が悪い』とののしられるわたしのことも、こうして大切にしてくれるのですから。
「わたし、猫覘さんのこと大好きです」
わたしはうれしくなって、猫覘さんのうなじに愛情表現をしました。
すると首をすくめた猫覘さんが、振り返って赤く血走った目で叫びます。
「ざらざらの舌で舐めるな黒猫! これだから、猫は嫌いなんだ!」
猫猫探偵とわたし 福沢雪 @seseri
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