最期の手紙
千里アユム
最期の手紙
目の前に落ちて来た紙を何気なく手に取った。
昇降口の前。昇降口のある建物は広いフロアが奥に広がっているだけなので、上に教室がないことはわかっていたが、上から降ってきたので条件反射で上を向く。が、想像通り、上に人の姿はなかった。
俺は改めて紙を見た。四つ折りぐらいで文庫本サイズのそれは、小テストか何かかと思ったが、そうではなさそうだ。手触りがよくサラッとした質感だったから。
どこかから飛んできたものだろうか。持ち主がわかるようなものなら届けてやろうと、俺はその紙を開いた。
——直後、硬直する。
「お待たせ! ケンヤ、どうしたの」
クラスメイトで親友のタイトにふいに声をかけられ、肩が跳ね上がった。ドッドッドッと自分の心臓の音が耳に響くようだ。
「あ、いや別に」
タイトが担任に呼ばれて職員室に寄ることになったので、昇降口で待ち合わせをしていたのだ。すぐに合流することはわかっていたのに、俺はそのことを忘れてひどく驚いてしまった。
——いや違うか。紙に書かれていたことを読んだ直後だったから、やましい気持ちになってしまったのだ。人の秘密を盗み見たような、そんな気持ちに。
俺が「別に」と言ったところで、タイトが納得することはなかった。訝しげな視線を向けられる。挙動不審が過ぎたから仕方ないか。
一見おっとりしていておとなしそうに見えるこいつが、実はとても聡く行動力もあることを、俺はよく知っている。
誤魔化しきることなんてできないだろうと諦めて、俺は今しがた拾ったそれを差し出した。
タイトは紙を受け取ると無造作にそれを開き、目を通して——と言っても二行なので一瞬で読めるのだが——しばらく無言だった。
が、やがて顔を上げると、責めるように言った。
「二股はよくないよ」
「ちげぇよ!!」
勘違いもはなはだしい。第一彼女はいない。振り回してくる女王様みたいな女友達がいるぐらいで。
——それはともかく、紙にはこう書いてあった。
「ずっと好きでした。最期にこんな手紙を残してごめんね」
「どこから飛んできたのかなぁ」
タイトは辺りを見回した。昇降口の上の部分に人の気配はない。そもそもそこは屋上という造りでなく、いわゆる屋根といった場所であり、そこに上がるならハシゴが必要だ。
そんなところに好きな人を呼び出して告白——ってこともないだろう。
「俺の上にこれが降ってきたとき、ほとんど風は吹いてなかったんだよな」
「今日は一日穏やかだもんね。——遠くから飛んできたわけではないのか」
「どうしたもんかな。これ」
「持ち主というか、書いた人を探し出さなきゃね」
「やっぱそう思うか」
「うん。気のせいならそれでもいい。無駄足でもぜんぜん構わない。だから——」
「ああ、そうだな」
俺たちが気になっているのは同じところだろう。
——最期に。
この文字を使うときにいいイメージはかけらもない。もし「彼」か「彼女」かが思い詰めてて、最悪の事態が起きようとしているのなら、絶対に止めなくてはいけない。
「風がない中で上から落ちてきたなら、上の方から落としたのは確かだろうな」
タケロウがぶっきらぼうに言った。
俺たちが「どこからきたのか」、「これは誰の字か」、などと話していると、クラスメイトのタケロウが通りかかったのだ。
一人を好み、あまりクラスの話題に入ってこないが、ここぞというときに頼りになる世話焼きのゲーマーだ。そしてなかなかに頭もいい。それでこの手紙のことを相談したのだ。
「手紙の主はもうどこかの屋上にいて——最悪の事態に……?」
タイトが心配そうに訊くとタケロウは首を振った。
「あのな、上の方とは言ったが別に屋上とは言ってない。そもそもその『最期』が引っかかったとしても、勝手に飛び降りとかを想像するのは早計だ」
「そ、そっか。うん、そうだよね……」
俺は落ちてきた時と同じように手紙——最初はただの紙だと思ったのだが、今は手紙と呼ぶことにする———を折りたたんだ。
そして、ふと気付く。
「これはもしかして……」
「何かわかったの?」
「ああ……いや、わかったと言っていいのかわからないが、この引っ掻きキズみたいなヤツさ——」
ばさり、と上空で音がして、俺たちが見上げると、黒いカラスが電柱に止まっていた。別のところでもがさりと音がしたのでそちらを見ると、カラスがビニール袋を地面に置いて中身を啄んでいる。
近頃は学校の付近にカラスが増えていて、よく見かけるのだが、それにしても今日はやたらと多い。
するとタイトはハッとしたように顔を上げ、昇降口の向かって右側の建物の奥へ走り出した。あっという間に後ろ姿が消える。相変わらず速い。いや、速すぎる。
タイトが何を思いどこに向かったのかは、俺とタケロウにもわかった。俺たちはゆっくりと後を追う。
タイトはやはり思った通りの場所にいた。
——そこは学校内のゴミが集められる場所だった。
その付近には小ぶりな倉庫がいくつもあった。中は内容別にゴミが入れられているが、毎日午後にゴミ収集車が裏門から入って回収していく。たいていは授業中だからその様子を見ることはないが、グラウンドを利用していると、ゴウンゴウンと音が響いてきてそれがわかるのだ。
一番ゴミが増えるのが昼休み明けなので、午後の回収の後である今は、中は多くない。
ゴミを持ってきた者は責任を持ってきちんと中に入れて扉を閉めるべきなのだが、どうやらそれが不十分だったらしく、人が一人通れるほどの隙間が開いていた。
隙間の前はひどく散らかっている。よりによって生ゴミの倉庫だ。季節が冬だからよかったが、夏だったらかなり悲惨なことになっていただろう。
タイトは隙間から中を覗いて、顔をしかめた。
「どうした?」
「うん。たくさんカラスがいて、開けると一気に出てくるだろうなって」
「マジか。——うわ、ほんとだ。なんか黒いのがわっさわっさ動いてるな」
扉を開ける気にはならないが、このまま放置しておくわけにもいかないだろう。
「とりあえず、誰かに伝えるか」
「門横の守衛室でいいんじゃないか」
「そうだな」
タケロウの言葉に頷き、俺はタイトを促して守衛室へ向い、事情を話す。そして俺とタイトはそのまま門を出た。
徒歩通学の俺と電車通学のタイトは駅までは一緒だ。タケロウは自転車通学なので、一旦駐輪場へ戻ったが、帰る方角は同じなので待つことにした。
タケロウと門の前で合流してから、俺たちは駅に向かって歩き出す。タケロウは自転車にまたがり、足で地面を蹴りながら、歩く俺たちの後ろを付いてくる。
「あの手紙がゴミ置き場から出てきたのなら、もう持ち主はわからないし、そもそもあの手紙の役目は果たされたあとかもしれない。諦めろ」
俯いて歩いているタイトに、タケロウが素っ気ない口調で言う。突き放すような言い方ではあるが、彼なりの優しさであることはわかっている。
「……そうだよね。落とし物ならともかく、捨てられた物の持ち主を探すのは失礼かもしれないし……」
「そういうことだ」
「それにしても、あんなに生ゴミでぐちゃぐちゃになってた場所で、よくきれいなままだったよな……」
俺はつぶやき、ポケットに押し込んであった手紙を取り出し、しげしげと見やる。
カラスのクチバシかツメかの引っ掻きキズぐらいしかなかったのは奇跡だろう。
その瞬間、タイトが立ち止まって、俺の顔を見つめた。
「どうした」
「いや、それさ」
タイトが指差す。
「よく考えたら、さっきのゴミ置き場からカラスが持ち出したとは限らなくない?」
「え……ええ!?」
——確かにそうだ。あの状況から、カラスが犯人だと思い込んでいた。いやカラスかもしれないが、持ち出した場所は生ゴミ置き場ではなかったのかもしれない。
「どうする?」
タケロウが訊く。俺の方を向いているから俺に訊いたんだろうが——いや、俺に訊くなよ。どうしていいか俺にもわからない。
だが正義感の強いタイトが諦めることはなかった。
「戻ろう!」
俺は救いを求めるようにタケロウを見た。タケロウは軽く手を上げてから、ペダルに足を乗せる。帰る気だ。
「待てよ」
「手紙を拾ったのはお前だろ。タイトが戻ると言うのなら付き合う責任がある。——というか、タイトにはむしろ戻る義務はないが、まぁこいつにそれを説いても無駄だろうしな」
「確かに……」
警察官一家の末っ子の正義感が暴走気味なのはいつものことだ。
俺は諦めて二人で戻ることにした。
再び門をくぐる俺たちに守衛は怪訝そうだった。
忘れ物を取りに——とうそぶき、ゴミ置き場に戻る。俺たちが待ち合わせたりのんびり歩いたりしている間に生ゴミ倉庫の前は片付けられようで、扉もしっかり閉じられていた。
周囲の木々に何羽かカラスが乗っている。追い出されて恨めしそうな目を向けられている気分になった。襲ってきたらどうしよう。
「で、どうする気だ?」
「……うん、ごめん。別にどうするかって考えてなかった」
「まあそうだろうと思ってたからいいけどな」
俺は笑う。だがしかしどうしたものか。時刻は五時を回っている。部活はまだできる時間だが、俺たちのような帰宅部で残ってる奴はほぼいない時間だ。
「——こんな手紙を残されたおれの気持ちはどうなるんだ!?」
突如どこからともなく聞こえた声に、俺とタイトはびっくりして飛び上がった。慌てて声の出どころを探す。
「それがあの子の精一杯だったのよ!」
「だからって! どうして……どうして一言、言ってくれなかったんだ! おれだって……」
男女の声が聞こえてくる。しかし話の内容はセンシティブなのに、かなりの声量だ。
——これは、まさか。
俺たちは申し合わせたように顔を見合わせてから、体育館の方に視線を向けた。
体育館のちょうど舞台がある側がこちら側だ。
近づけば、声はやはり体育館から聞こえてきていた。舞台裏の通路近くの腰窓が開いているのだ。
かろうじて背が届く俺は中を覗き込む。タイトは俺の頭一つ分小柄なので、中をうかがい見ることはできず、答え合わせを待つように俺の顔を見上げてくる。
「——今度こそ、正解そうだな」
俺が言うとタイトがくすくすと笑った。
「早とちりしちゃったか。まあそれならそれでよかった」
「ああ。でも一応、この手紙が演劇部の物か確認しておこう」
「うん。はっきりさせときたいよね」
「おう」
俺は窓の横をコンコンと叩いた。舞台裏にいた女子生徒が俺に気付いて近づいてくる。
「何か?」
あきらかに警戒モードだ。中の方が床が高いから、俺は頭だけ見えている状態で、向こうは腰まで見えている。高さがチグハグで変な感じだ。
「いや、これ拾ったんだけど——演劇部のじゃないか?」
俺は手を伸ばして手紙を差し出した。
「これ? ——あ!」
「あ?」
「ああ、うん、そう! これうちの部の小道具の手紙よ! さっき窓の近くで持ってたら、近くにカラスが飛んできて、びっくりして窓の外に放り出しちゃったのよ。取りに出たんだけど、飛んでったのか見つからなくて。——まぁ大した物じゃないから、また書き直せばいいかって思ってたんだけど」
「そうか。よかった。持ち主がわかって……」
「拾って持ってきてくれたのね。でもよくうちのだってわかったわね」
「いやまあ、偶然かな。しかしさ、そんな訳ありげな手紙、もう外に飛ばすなよな」
「……そうね」
言われた意味がわかって、女子生徒は笑って頷いた。
「正解がわかるとあっけないな」
「ほんと。でもま小道具で何よりだよ」
「だな。明日正解をタケロウに話したらどう言うかな」
「——くだらない」
タイトらしくない言葉遣いだ。が、さもありなん——彼の真似だからだ。まぁちっとも似てはいなかったが。
俺たちは今度こそ家路につく。恨めしそうなカラスの鳴き声が背後から何度も聞こえていた。
最期の手紙 千里アユム @ayumusen
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